随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

和紙の歴史  サマルカンドの製紙  

2006-06-17 09:22:55 | 紙の話し
サマルカンドの製紙

西方で最初に紙漉き場が作られたのは、七五一年中央アジアのサマルカンドであった。唐軍とイスラム勢力のアッバース朝がタラス(カザフスタン共和国)で戦って、唐軍が破れたときの捕虜に、紙漉きの職人がいて伝えたという。
西方への製紙法の初伝は、戦時捕虜という予期せぬ出来事で、しかも日本への伝来から140年以上も経過している。
またこの時代の唐では、製紙法が秘密にされていたのかも知れない。
サマルカンドでは、桑、苧麻などを製紙原料に使用して紙が漉かれた。
しかしサマルカンドでは、桑科の植物が少なかった。そこで、麻のボロの混入量を次第に増加させ、ついにはボロのみで紙を漉く技術を確立した。

ペルシャ語で紙のことを「カーガス」という。アラビア語でもインド語でも紙のことをカーガスといった。カーガスは、中国語の穀紙(Gu-zhi)が訛ったものとされている。紙を西方に商品として伝えた国際商人のソグド人が、紙をカーガスと呼んだ。
中央アジアで、シルクロードを経由した東西交易に重要な役割を演じたのが、国際都市サマルカンドであり、サマルカンドを中心に、世界を股にかけて活躍したのがソグド人であった。 
 ソグド人は、もともとソグディアナ地方にいたが、アレキサンダー大王の遠征によって、各地に四散させられることになった。四散したソグド人は、国境を越えて連携しつつ、自らの才覚で国際商人として活躍したのである。
 イスラム帝国のアッバース王朝は、アラブ人の政権であったが、中央アジアでの住民は、イラン系、トルコ系が多かった。          
サマルカンドは、イスラム文化によって育まれ、ソグド人の東西交易の活躍によって、当時の世界でもたぐいまれな文化都市を形成していた。

イスラム世界はイスラム教によって統一されている。
 イスラム教の聖典は、『コーラン』であるが、アッラーの啓示を受けたマホメットの時代には、「天上に書板としてあり」地上には存在せず、マホメットによって語られた。
マホメットの死後、神の啓示としての地上の『コーラン』の編纂がカリフ(マホメットの代理者という意味)によって行われた。さまざまな書写材に書かれた『コーラン』も、イスラム圏の拡大により、まちまちの方言で表記された。   
 当時は、パーチメントに書かれた『コーラン』が多かったようだが、音吐朗々と読唱されねばならない『コーラン』が方言では都合が悪く、何度かの結集と統一が行われた。  
 このような事情で、結集統一された聖典『コーラン』の配布が必要であった。
このような時期に、サマルカンドで紙漉きの技術が伝わったのであった。
 サマルカンドでは、最盛期には一つの川筋に300もの水車があり、そのうち140は製紙用のものであったといわれている。
サマルカンドで製紙が盛んになるにつれて紙が普及し、紙に書かれた聖典『コーラン』は誰もが手元におくべきものとされた。