随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

 紙漉きの伝来

2006-06-19 09:20:48 | 紙の話し
和紙の歴史  (三)紙の伝来と国産化


紙漉きの伝来

製紙の日本への伝来は、地理的条件からヨーロッパへの伝来に比較して500年以上も早く、飛鳥時代の610年に高麗僧「曇徴」(どんちょう)によって紙漉きと墨の製法が伝えられた。(『日本書紀』)

「・・・高麗の王、僧曇徴、法定を貢上る。曇徴は五経を知れり。また能く彩色及び紙墨を作り、併せてみず臼(水車を利用した臼)を造る。」

と、ある。                             
 高麗王が、先進技術者の二人の僧を日本に派遣したのである。
水車を利用した石臼は、紙漉きの原料の麻のボロや麻クズの繊維を細かく砕く(繊維の叩解)ためのものであろう。
石臼とは碾き臼のことである。二枚の円形の石を重ねて擦りながら回す、いわゆる「ロータリーカーン」のことで、西南アジアで小麦の栽培が普及し、小麦を粉にするために発明され、長い時間をかけて改良された。
 米食圏では碾き臼は必要でなかった。稲は脱穀し、木臼と杵でつくだけでよかった。小麦圏では、粉にするために石臼が発明され、さまざまの試行錯誤がなされた。当初はむろん人力で小型の石臼を動かし、次第に牛や馬の力で大きな石臼を回した。そして中央アジアで、河の流れを利用する水車で石臼を回す水臼が開発された。小麦圏には一気に広まったと考えられる。そして、シルクロード経由で中国にも伝えられ、紙の発明とともに、原料の麻の繊維の叩解に利用されるようになったと考えられる。

余談ながら、この水の流れを動力とした水臼の発明は、紙の発明にも劣らない偉大な発明であった。水臼は、人類が手にした最初の自然の力を動力として使った機械といえる。マルクスは『資本論』のなかで、

「すべての機械の基本形は、ローマ帝国が水車において伝えた。」

「機械の発達史は、小麦製粉工場の歴史によって追求できる。」        

と、述べている。