随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

お札の話  ⑦管理通貨制度-2

2012-07-20 14:28:14 | Weblog





 管理通貨制度が採用される以前、欧米諸国を中心とした「国際決済市」場では、金本位制度が採用されていた。
 これは銀行に金貨・金地金を預託し、その預かり券(紙幣)を用いて取引を行い、最終的な決済は、売り手・買い手の指定する銀行間で金を現送することによって精算する制度であった。

 ところが、1929年からの世界恐慌が拡大し、イギリスは1931年に金本位制を離脱、アメリカを除く各国もこれに追随し、以後は金本位制に代わる管理通貨制度の時代になっていった。
 日本では、1942(昭和17)に日本銀行法が制定され、管理通貨制度へと移行した。


 しかし、第一次世界大戦の前後から、金(本位金)は、経済力の格差からアメリカに集まっていた。このため、アメリカでは国内で正貨が過剰となってインフレが昂進した。
 通貨準備から金の一部をはずす「不胎化政策」をとった結果、金本位制の持つ国際収支調整のメカニズムは失われ金の偏在が進行した。

 説明がやや煩雑になるが・・
 「不胎化政策」とは、中央銀行が金融市場で発生した資金需給変動に対して、それに見合う信用を増減させることで、その変動を相殺する金融調節を行うことを意味する。
 通貨当局による、外為市場介入に伴う通貨需給の変動を、公開市場操作(オペレーション)により調節し、市場金利などへの影響を与えないようにすることである。
 ともかく、中央銀行の最後の貸し手機能から可能となる政策で、相殺の原則が不胎化政策である。
 今日でも、日銀が行う公開市場操作(オペレーション)については、稿を改める。

 第二次大戦後はIMF体制のもと、金 1オンス=35ドルの平価で、交換可能な米ドルを基軸通貨とした。これに従い、各国通貨は、米ドルとの「固定相場制」を採用した(ブレトン・ウッズ体制)。
 この体制下でも、加盟各国は国内においては管理通貨制度を取っており、通貨当局は為替介入と金融政策により、対ドル固定相場を上下幅1%以内に維持しつづけた。
 この制度は「金ドル本位制」「金為替本位制」などといわれる。
 1948年7月  1ドル=270円と決められたが、戦後のインフレによって
 1949年  1ドル=360円の固定相場が実施された。
 
 しかし、1971年、アメリカの財政赤字、経常赤字が増大してインフレが進行、アメリカはドルと金の兌換停止に踏み切り(ニクソン・ショック)、これをもって金と通貨の関係は完全に切り離され、国際的にも管理通貨制度へ移行した。
 


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