随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

 世界最古の印刷物

2006-06-24 22:27:02 | 紙の話し
 和紙の歴史  (三)紙の伝来と国産化


世界最古の印刷物                         

 この時代の特筆すべき事項として、宝亀元年(770年)に、百万塔陀羅尼経が完成している。(『続日本紀』)
この百万塔陀羅尼経が、現存する世界最古の印刷物とされている。
印刷の方法は、陽刻に彫った版木に墨を塗り、その上に紙を乗せて摺ったと考えられている。逆に、紙を下にして捺印したという説もあるが、版は陽刻(版が凸状のもの)である。
捺印の歴史は古く、古代オリエント、ギリシャ、ローマ、中国でも印章として使用された。紙以前の印章の版は、すべて陰刻(凹状に溝を彫ったもの)であった。紙が使用されるようになってから、400~500年後に陽刻が登場したといわれている。木版が初めて歴史に登場するのは、随の文帝十三年(593)で、天下の書物を集めて、木版で刷るように命令したという。
書籍の出版が盛んになるのは宋の時代(960~1127)で、その末期(1045年頃)に、畢竟 が陶製の活字を発明したとされている。その後、木製活字が開発され、後代の明になって鉛や銅などの金属活字が作られるようになっている。

陀羅尼は、サンスクリットの写音で、仏前で唱える呪文のことである。
 百万塔陀羅尼経が刷られた紙は、穀紙または黄麻紙などさまざまで、虫喰いを防ぐために黄檗汁で染められている。図書寮やその付属の山城国の紙戸だけでの抄紙能力では不十分で、各地の紙漉き場が動員されたであろう。  
 百万塔陀羅尼経は一行が五文字で統一されており、紙幅が4.5Cmで長さは陀羅尼の種類により一定していないが、15㎝~50㎝ほどである。  
 百万基の小さな三重の塔は、中国渡来のロクロを使用した木製の塔で、陀羅尼の摺り本が納められている。
 この百万塔は、法隆寺・東大寺・興福寺・薬師寺・四天王寺など名だたる十大寺にそれぞれ十万基ずつ分けて納められた。完成するのに6年の歳月を費やしている。  十大寺に分置された百万基の内、現存しているのは法隆寺の四万数千基と、他に博物館や個人所蔵のものが若干残っているだけである。

百万塔の一大事業は、称徳天皇が、藤原仲麻呂の乱を平定したあと、乱に倒れた多くの人々の鎮魂と、国内平和を祈願して発願された。
称徳天皇の名は、再即位したときの名で、最初の即位は孝謙天皇で、女性の天皇として有名である。また彼女が征伐した藤原仲麻呂は、藤原不比等の孫であり、彼女の母方の祖父も同じく藤原不比等である。つまり血のつながったいとこを粛正したのである。このような複雑な政治的な背景の下に、百万塔の一大事業が発願されたのであった。


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