随縁記

つれづれなるままに、ものの歴史や、社会に対して思いつくことどもを記す

和紙の歴史 パピルスとパーチメント

2006-06-11 14:56:26 | 紙の話し
パピルスとパーチメント

 古代の西方世界での書写材は、初は粘土板であった。         
 湿った粘土板に、葦の茎で楔形の文字を刻みつけた。乾燥すると極めて固くなり、保存性に優れていたが、やはり重く嵩張るために保管に苦労したであろう。
やがて、古代エジプトで、パピルスという優れた書写材料が発明されて、広く用いられるようになった。 
パピルスは、紀元前2500年頃のエジプトで、文字の使用と共に使用され始め、古代エジプトの重要な輸出品で、貿易の通貨の役割も担っていた。
パピルスは多年生の草本で、食料、船の構造材、縄、書写材など様々に利用された。書写材としての「パピルス」は、水草のパピルスの根に近い部分の髄を取り出し、薄い片にして水に漬けて叩き、長さを揃えて縦と横に並べて圧搾脱水し、乾燥させた後、表面を動物の牙などで擦って滑らかにして使用する。今日的な感覚では、紙というよりも原始的な布のようなもので、欠点としては文字が書きにくいことと、脆いことであった。片面しか記入できないことと、また曲げに弱いため30㎝四方のものを二十枚くらいつないで5mほどの巻物として利用した。
 「volume(巻物)」は、パピルスの巻物のラテン語表現を語源とする。
 「bible(聖書)」は、ギリシャ語でパピルスに文字を書いたものをbibloと表現した事を語源とする。そして、紙を意味するpaperがパピルスを語源としていることは周知のことである。これらのことは、古代世界でいかにパピルスが広く利用されたかの証左である。

パピルスの製造と流通は、エジプト王朝の管理下に置かれ、書写材のパピルスの製法は秘密にされていた。まさに国家の戦略物資としての地位を占め、それはサマルカンドで盛んに製紙が行われるようになるまで続いた。

古代における優れた書写材を開発したエジプトは、プトレマイオス一世(BC283没)の時に文明の象徴として、古代最大のアレクサンドリア図書館を作った。パピルスの書物は、天文、科学、文学、歴史、信仰、慣習などあらゆる分野に及んでいる。息子の二世フィラデルフォスがその充実に努め、蔵書は数十万巻といわれている。エジプト文明を彷彿とさせる壮挙であった。                     
 ところが、アナトリアのペルガモン(現トルコ共和国ベルガマ)におこった王朝のエメネウス二世(在位BC197~159)は、アレクサンドリア図書館の司書長を引き抜き、エジプトに対抗して二十万巻の書物を蔵する大図書館を作った。

 新興国のペルガモン王朝は、世界に文明国家としての存在を誇示したのだろうか。
 エジプトはアレクサンドリアを越える図書館の出現を喜ばず、パピルスの輸出を停止した。
このために、エメネウス二世は、パピルスよりも優れた書写材料の開発を命じて、生まれたのがパーチメント(羊皮紙)である。        
 羊の他に牛や鹿等の獣皮を、水に漬け石灰乳に浸して不要な毛や肉を取り除き、木枠に張り付けて乾燥させ水洗い後、軽石で表面を磨いて平らにし、最後に白色の鉱物の粉をすり込み不透明化した。

羊皮紙は、パピルスに比べてはるかに書きやすく、また強靱で冊子本を作るのに適しており、さらに保存性にも優れていた。このため、紙が普及するまでは、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教などの聖書に使用され続けている。            
 ただとにかく高価で、バイブル一冊を書くのに羊五百頭分の皮が必要であったという。羊皮紙のパーチメントの名称は、ペルガモン王朝の名に由来している。