腱鞘炎(ジストニア)日記

ジストニア生活もいつの間にか24年目!!
のんびりと付き合っていきます。

猫がいた

2023-05-09 03:15:56 | 不思議な話
まだ両親が存命だった頃、、、、

実家で子猫を飼っていました。
マンチカンのとっても可愛らしい子猫でした。
少しヤンチャで人懐っこい性格の活発な子で、私は実家へ行った時はいつも遊んでもらっていました。

食事中にテーブルに上がってきて、母親に酷く怒られる事もよくありました。
私が「だめだよおー」なんて言いながら抱き上げて下ろす時だけは、何故か無抵抗な完全脱力状態で大人しくされるがままになっていました。


とても可愛かったのですが、残念な事に大人に成長する前に亡くなってしまいました。


亡くなる時は、よほど具合が悪かったのか「病院へ行くかい?」って声を掛けると、いつもは嫌がって中々入ってくれない移動用バックへ自分から入って私を待っていました。
近所の動物病院へ預けた翌日に亡くなったと連絡が入りました。



子猫が亡くなってから1週間位した頃の事です。
認知症気味だった母親が真夜中に寝間着のまま外へ出てしまい、そのまま徘徊して警察へ保護される小さな事件を起こしました。
その時まではそんなことは、一度もありませんでた。



「猫が玄関にいて外に出て行ったのでついて行った」



みんなボケた母親の妄想だと思っていました。
実は誰にも言っていませんでしたが、、、、、


私も何度も子猫を見ていました。


子猫が亡くなってから数日の間は実家で、猫の影が玄関の辺りを横切るのを何度も見かけました。
リビングのソファーに座っていると、足下をスーと子猫が体を擦り付けながら通り抜けていくのを感じたりもしました。

私への最後の挨拶に来てくれていたのだと思います。



母親の事は連れて行こうとしたのかなあ?



母親が徘徊して以降は、子猫は現れなくなりました。

あの時私は、、、、見てしまっていたのです。。。

2012-06-27 21:25:40 | 不思議な話
ずいぶんと前の出来事だったと思います。


この不思議な体験の事を、私は今まですっかり忘れていました。
いつの出来事だったのだろうか?
たぶんその時私は、まだ10代だっと思うのです。


私は古くて狭い公団の団地に家族と住んでいました。
昭和40年代に作られた5階建ての団地の4階です。
私の部屋はその団地の和室です。
畳の上に布団を敷いて、寝ていました。


ある夜の出来事です。

部屋の電気を消して、布団に入ったまま、天井を見上げていました。
10代の少年だった私は。布団に入ってから眠くなるまでの間、いつも色々な事を考えて過ごしていました。
その時も、いつもの夜と同じように、天井を見上げながら色々な想いが頭の中をよぎっていました。


突然の事です。


足元からザワザワと、たくさんの何かが這い上がってきました。
そして手の上にもザワザワと這い上がってくる。

手足をザワザワした物に押さえつけられて、体が動かない。
声が出ない。。。


金縛りだあ!!!


金縛り初体験で~~す!!


あれ????
体は動かないし、声も出ないんですけど、、、
あいかわらず和室の天井は見えてる????



目を開いたまま

金縛りになって

しまったあ!!!!



これは興味深いなあ!!!
目を開いていて景色が見えているって事は、私の体を押さえつけている「ザワザワした物」(←金縛りの正体)も見えてしまうって事かあ????
お~~~~!!!それはしゅごいぞ!!!


さっそく視線を天井から少しづつ下方に移動していきます。

そして見ました。
私の体を押さえつけている「ザワザワした物」を。


とてつもない物が、私の体を押さえつけていました。


金色に輝く大量の光の束が、
まるで重なり合った水晶のように
私の体を覆っていたあぁぁぁぁぁ!!!



う~~~~みゅうう。。
貴重な体験だった。

子供の頃、ぼくの家にはサンタクロースは来なかった

2010-12-24 22:18:10 | 不思議な話
赤い服を着た妖しい爺さんが、煙突から不法侵入して来る。
これはかなり怖い事だと思う。
でも、日本の家には煙突が無いから安心です。


この時期になると思います。
サンタクロースを信じている子供って、今でもいるんでしょうか?


親の勝手な喜びのために、子供を騙してサンタクロースを信じさせてしまうのは、問題があると思います。
いつまでも信じていたら、小学校に入学した時に馬鹿扱いされて苛められると思う。
サンタクロースの存在を信じていると、色々と矛盾も感じる事になるし、、



クリスマスイブらしい、そんなサンタさんにまつわるお話です。



小さな子供の頃、友達の家のクリスマス会で初めて「フルーツポンチ」と出会いました。
まだサンタクロース信じていた頃の事です。
フルーツポンチは、それまで食べた事が無い位美味しかった、、、


クリスマス前
小さい子供だった僕は、父親と二人でデパートのおもちゃ売り場にいました。


父親「クリスマスプレゼントは何をサンタさんにお願いしようか?」

僕「ロボット」(←大きな大きなロボットのおもちゃを指差す)

父親「こっちをサンタさんにお願いしなさい」(←隣の小さくて値段の安いロボットのおもちゃを指差す)

僕「分かった。こっちをサンタさんにお願いする。」(←子供心にあまり高い物をお願いしてはいけないんだと察している)


場面はフルーツポンチが振舞われた友達の家のクリスマス会に戻ります。

友達がサンタさんに貰ったクリスマスプレゼントを自慢してみんなに見せています。
大きなロボットです。
僕がサンタさんから貰った小さなロボットの隣にあった、大きくて値段の高いロボットです。


う~~~みゅう。。。
格差社会の縮図だなあ、、、

小さかった僕は、この矛盾に満ちた出来事を、どう解釈して納得したんだろう???
良く覚えていない。
ただこの時からしばらくの間、フルーツポンチは僕の憧れの夢の食べ物になりました。

今にして思えば、フルーツポンチなんてただの「フルーツ缶のサイダー割り」なんですけどねえ。

あの時電話から、切なくなる位に子供な声

2010-11-06 23:00:16 | 不思議な話
いったいなんだったんだろう?
あの時の声は、、、
あの声を聞いてから、もう23年が経ちます。



忘れられない電話の声があります。
聞いたのは、たった一度だけ
あの声を思い出す瞬間が、今もあります。




23年前、私は前にいた会社の新入社員でした。
職場は従業員が8名の小さな事務所でした。

どこの会社でもそうでしょうが、事務所に掛かってきた電話は、まず新入社員がとるのが原則です。
だからその電話も、当然のように私がとりました。



職場に掛かってくる電話にしては、どこか変でした。
受話器の向こうには、どこかで聞いた事があるような音楽が小さく流れています。
アイドル歌手の歌のようにも思えますが、よく分かりません。
そして聞こえてきた声は、切なくなる位に子供っぽい声でした。
どうして職場に、子供から電話が掛かってくるの???


その子供な声が、唐突に言います。


「おニャン子クラブ解散についてどう思いますか?ご意見をお聞かせ下さい」


へっっ???ほへえ???
おニャン子クラブう????
カイさん???????



「どう思う?」と言われても、、、
何にも思わないんですけど。
そういう歳じゃあないし、
だいたいこっちは仕事中ですしねえ。
社会人にもなって、「おニャン子クラブ解散」についてしっかりとした意見を持っている人は、当時でもそれほど多くはいないと思ふ。。。。
私の世代では、おニャン子クラブのメンバーの名前とかは知らない人が多いと思う。


電話の向こうでは「くだらないってご意見でも良いですから」なんて言って、しつこく意見を求めて来る。
だから「おニャン子クラブ」を良く知らないんだってばあ!!!



その時の私は、「たぶん子どもの悪戯だろう」って思い、そのまま電話を切ってしまいました。




そして、数日間が経ちました。


ある日の夜です。
ビールを飲みながら、点けっぱなしのTVを眺めていました。


何気なく見ていたTV番組に、解散の近いおニャン子クラブが出ていました。


おニャン子クラブには、妙に小さな女の子が混じっていました。
「ゆうゆ」と言う人らしいです。



その「ゆうゆ」が喋っています。



「切なくなる位に、子供な声」です。

あの時の電話の声と同じように、、、、



ストーカーさんコンバンワ!!その②「お前は、サザエさんの友達かア??」

2009-03-10 12:53:07 | 不思議な話
夜の練馬で見つめあう人々、、

「オオクワガタのメスの顔を持つストーカー男」VS「一気に良いが醒めた元酔っ払い集団」

時が止まった

先に時間を動かしたのは、ストーカー男だった。

くるりと体の向きを変え、そのまんま無言でマーチへ向かって歩き出す。
元酔っ払い集団は、まだ固まったまんまで、ストーカー男を見送る。

マーチは爆音と共に走り去った。

って、思ったら道路の反対方向から、また戻って来た。
練馬は、一方通行の道路が多いからねエ、、、

目の前を再び走り去る真っ赤なマーチ。
運転席のストーカー男の横顔を、再びはっきりと確認。

どっからどー見ても、あの「オオクワガタのメス」の様な顔は、見慣れた男の顔です。

今度は、本当にマーチは走り去りました。

元酔っ払い集団は、交わす言葉を失って、呆然と立ち尽くします。
で、その後は我に返って、、、

「ホエ~~~」「アヒ~~」「ギョエ~~~~」って、いっせいに驚きの声。
まだ、思考がうまく回っていないから、意味のある言葉が出てこない。
その後も、しばらく、お互いに「驚いたねエ~~」って言葉しか出ない。

まさかねエ、、、
同じ会社の奴が、ストーカーだった
なんてねエ。。。

私は、あの男と結構仲良かったんだよなア。
ただの「昆虫みたいな顔の窓際社員」だと思っていたら、オタクの上にストーカーだったんだア!!

どーしよう、、、今度社内で顔合わした時に、どんな話したらエ~~んだあアアアアア???

普通に「この前の夜は、どうも」って挨拶するのも変だし、、、
ストレートに「いや~~ア、ストーカーやってる人と知り合う機会なんて、めったに無いんで、話聞かせて!!」って、言ってみようか??
って、無理です。

驚愕から立ち直った元酔っ払い集団が、ふと足元を見ると、ストーカー男が立っていた辺りに、何か落ちている。

携帯電話

ふたたび盛り上がる元酔っ払い集団!!!

さっそくみんなで、携帯のアドレス帳を見ちゃいました。
かなり良いが醒めたとはいえ、元酔っ払い集団のする事ですから、、、
まだ、個人情報がどーのって、あんまりそういう意識持って無かった頃だし、、、

「イクラ・ノリコ」

アドレス帳のトップにあった名前です。

何イ~~!!「イクラ」に「ノリ」だア???
絶対に、いね~~よ、そんな名前の奴!!
サザエさんの登場人物じゃああるまいし!!!

元酔っ払い集団の盛り上がりは、再び最高潮に達した。

その時
ストーカー被害者の娘が、ポツリと言った。

「掛けて見れば、いーじゃん」

う~~みゅう。。。エ~~のかなア???
まあ、エ~~かあ、、
こんな娘を、対象に選んだストーカー男は、絶対に相手を間違ったと思う。

で、私が代表して、そのストーカー男が落としていった携帯電話で、イクラさんて名前の番号に掛けてしまいました。
スミマセン。。。ムカシノコトナンデ、、、

真夜中だしね、
本当に「イクラ」とか「ノリ」なんて名前の人は、いないと思うし、、
誰も出ないよ、、きっと、、

「プル~~・プル~~」って呼び出し音の後

「ハイ、モシモシ」って、若い女性の声
ドヒ~~!!相手が出ちゃった。

私は当然、「ブチ」って、電話切りました。

何も知らない関係ない人の所へ、夜中に無言電話掛けちゃった、、、
悪い事をしました。。。

元酔っ払い集団は、盛り下がりました。
で、夜も遅いし、解散って事になりましたトサ。

これで、かなりビビッた、ストーカー男のお話は、終わりです。

ちなみにその後は、どーなったかって言うと、、、

窓際社員の上にオタクで、ストーカーなオオクワガタのメスの顔を持つ男と、社内で出会っちゃった時は、お互いに暗黙の了解で、何も無かった事にして、普通に会話しました。


ストーカーさんコンバンワ!!その①「夜の練馬の電信柱」

2009-03-08 20:52:41 | 不思議な話
不思議な話って言うよりも、、、
かなりビビッた話ですウ。。。。

その出来事は、今から15年位前の事だったと思います。
その頃の職場は、従業員が5人位の小さな支店でした。

あの頃は、若かった、、、

体力も気力も、充実しまくってた。
仕事しまくってました。
毎晩、夜中の2時・3時まで仕事して、朝は5時半頃起きて、ギター朝練して、、
まだ指も元気だったし。。。。

遊びまくってもいました。
職場の仲間と、オールナイトでカラオケやったり、飲み会やって、そのまんま仕事行って、また夜中まで仕事して、、、

仕事を仕事だと思ってなかったかな???
ほとんどサークル活動のノリでした。
う~~~みゅう。。。。絶対、何かを間違ってたよーな気がする。

まあ、サークル活動で仕事してたんで、社内の上昇志向の強い人達とは、基本的に合わないです。
当時仲の良かった仕事仲間は、もう誰も会社に残って無い、、、
って言うか、自分自身も会社追い出されたんだっけねエ。

仲の良かったのは、会社からちょっとドロップアウトしかかった人ばっかり。。。
仕事が出来るせいで、会社批判ばっかりしてる人。
部下を庇うせいで、上役から評判の悪い課長さん。
ちょっとオタクっぽいけど、気のいい男(←こいつは、オオクワガタのメス???みたいな顔してたっけ、、、)
真面目過ぎて、一生懸命な若い女子社員。
み~~んな、社内上昇志向の強い人達が集まると、否定されていた仕事仲間達でした。

同じ職場の仲間は、大事な仲間でした。
目標に向かって、協力しあう本当の仲間だった。。

仲間の中に、真面目過ぎて、とても一生懸命な若い女子社員がいました。
仕事の仲間であると同時に、飲み友達でもありました。

いつものように、職場のみんなで、飲んでいる時の事です。
その一生懸命な若い女子社員が、、、

「私は、ストーカーに付きまとわれて、困っています」

みんな酔っ払ってたしね。
その娘は、真面目な娘だったけど、けっして大人しいタイプじゃあなかったし、、、
絶対ストーカーが、相手になんかしないタイプだと思う。
で、みんなじぇんじぇんその娘のストーカー話なんて、信じなかった。
でもその夜の飲み会は、ムチャクチャにストーカーの話で盛り上がったア!!!

そのストーカーは、夜になると真っ赤なマーチに乗って現れて、一晩中、家の廻りをグルグルと回っているそーな、、、
若葉マークの人が、夜に運転の練習してるだけなんじゃあ無いのオ???

酔っ払って盛り上がってたんで、職場のみんなで、
「ストーカーを捕らえよう!!」
ってな流れになって、、、

みんなで、その娘の家のある練馬に向かいました。
でも、本当にストーカーが現れるなんて、誰も思ってなかった、、、
酔っ払い集団は、お祭り騒ぎ状態で、練馬の夜の静寂をブチ壊して、ひたすら歩きます。
そして、その娘の家にたどり着きました、、、

その時です。

真っ赤なマーチが、目の前を通り過ぎていく、、、、

ゲゲッ、、、酔っ払い集団は、一気に正気に戻ったア!!!
通り過ぎていったマーチが、ちょっと先の方で止まった。
誰かが、車から降りてくる。
黒い人影が、その娘の家に向かって歩いて来る。

焦って、電信柱の陰に隠れようとする酔っ払い集団。

教訓その①
「電信柱は、酔っ払いが集団で隠れるには、細い!!」

近づいてくる足音。
息を潜める酔っ払い達。

1m位の至近距離で、ストーカー男とハチ合わせです。
思わずストーカーと見詰め合ってしまった。。。

見るからにオタクっぽい男です。
メガネ掛けて、背が低くて、ぽっちゃりしてて、、、
目と目の間が離れていて、昆虫みたいな目してる。

私の頭の中に、唐突に浮かんだのは!!

「オオクワガタのメス」

エッ???オオクワガタのメス?????

教訓その②
「ストーカーと見詰め合ってはいけない。。。。」

夜の所沢で、急ぐ車

2008-09-02 12:56:17 | 不思議な話
私は以前に、埼玉の田園調布と言われている(←ウソコケ)所沢に住んでいた事があります。

なにも無い所でした。。。
一番有名な名所が、航空公園内に展示されている、汚れた「YS11旅客機」です。
これなら、羽村市の「まいまいずいど」の方が、まだまし(←そーかなア???)です。

町中には、何故か、団子屋ばかりが、沢山ありました。
沢山あるけど、どの団子屋も、特別美味しい訳では無かった。。。
団子に限らず、あんまり美味しい店は、無かったかなア???

そんな中で、所沢駅の近くにあった「すし初」は、リーズナブルで、とっても!!うみゃかったなア、、、
親父さんが、体全体飛び跳ねるようにしながら、リズムに乗って握るすしは、絶品でした。
一度、「すし初」が混んでいて、息子が握ったすしを食べたら、特別美味しくなかった。
不思議だなア???
同じネタとシャリ使っていたのに、、、


変なお店は、色々とありました。

「まぼろし軒ラーメン」
このお店は、TV番組の企画で出来たラーメン屋だったと思います。
バリ島風掘っ立て小屋って感じの建物が、所沢の街道筋にぽつんと建っていて、夜中でも若者で満杯になっていました。
味は、普通に美味しかった。

「立ち食いそば琵琶湖」
雑居ビルの1Fにあったお店です。
所沢で、どーして琵琶湖なの???
看板には、「立ち食いそば」って書いてあるのに、ミラーガラス張りのサファードには、、、、

「アダルト」

の張り紙が1枚。。。。
お店がオープンしているのを、見た事が無いので、何のお店かはいまだに分かりません。。。


さて、所沢に住んでいた頃、職場も所沢でした。

その頃同じ職場に、若い経理担当の娘がいました。
20才です!!!若い!!!!
大宮出身の、地元所沢のヤンキーです。

ちなみに埼玉県民にとっては、大宮は大都会で、所沢はド田舎って認識らしいです。(←だれだ、所沢を「埼玉の田園調布」なんて、言ったのは、、、)
ヤンキー娘は、大宮から所沢に引っ越してきた時、家の裏の川を、子豚が流されていくのを見て、ショックを受けたそうです。

一日も早く、こんなド田舎から、大都会大宮へ戻りたい。。。って思ったそうです。(所沢市民の皆様、、、失礼いたしました、、私が言ったんじゃあなくて、ヤンキー娘が言った事ですから、、、)

そんなヤンキー娘も、やがて所沢になじんで、ヤンキー仲間も沢山出来たそうです。


このヤンキー娘のお仲間に、色々と見えてしまう男の子がいたそうです。
他の人には見えない物が、そこにいるのが、見えてしまうそうです。

ある時、夜中に所沢市内を、ヤンキー仲間でドライブしていたら、そのみえちゃう奴が、いきなり「逃げろ」って叫びだしたそうです。


中年の女の人の首が、追いかけてくる!!!


その男の子にしか見えない首に怯えて、車のスピードを上げたけど、首はどんどん近づいてくる、、、
そして、、

はいって来たア!!!!

ドアをすり抜けて、首が車の中へ、、、
男の子の叫び声に、車内は大パニック!!!

ただそれだけだそうです。
何も起きなかったそうです。
でもヤンキー娘は、「怖かった」って言っていました。

所沢って、大きな通りから、ちょっと脇道に入るだけで、街灯の無い真っ暗な山道になったりするんで、こう言う事って、よくあるそうです。

私には、見えちゃう友達がいなくて、本当に良かったと思います。



見えちゃう友達とドライブしなくても、所沢の夜道には、怖い出来事があります。
ヤンキー娘の仲間の、男の子の出会った話です。


彼女を助手席に乗せて、真夜中に所沢の山道を車で走っていたそうです。
街灯の無い山道を、二人でじゃれ合いながら走っていると、、、

気が付いたら、後ろにぴったりと黒塗りの車が付いている。
車高を低くした、族車が後ろにぴったりと張り付いて、離れない。
さっきまで楽しくじゃれていた二人も、「まずい」って思って、、、
スピードを上げて逃げようとしても、後ろの車は離れてくれない。
ライトをパッシングしながら、追いかけてくる。

しばらく走っても、振り切れそうに無いので、車を道の脇に止めてやり過ごす事にしました。

すると、黒塗りの車も、すぐ後ろに止まって、、、

男が二人車から降りて、こちらに近づいてくる。
男達は、車の窓ガラスをコンコンって叩いて、窓を開けるように身振りで、指示してきました。
諦めて、窓を開けると、その男は、、、

大丈夫ですか?

って聞いてきた。
変な人では無さそうなので、少し安心して、何が「大丈夫」なのか聞いたら、その二人組の男の話は、、、


後ろから見ていたら、前を走る車の中に、真っ白い手が見えた。
その手が、助手席の彼女に向かって、後部座席の方から、伸びてきて、、、

彼女の首を、後ろから、絞めようとしているように見えた

ので、良く見て確かめようとして、ライトを上向きにしたら、手がすうーって引っ込んで、、、
またしばらくしたら、手が後ろから彼女の首に向かってそろそろと伸びてきて、ライトを上向きにすると、また引っ込んで、、、、

気になって、付いてきたけど、本当に大丈夫ですか?





夜の病室に訪れるもの、、、

2008-08-30 23:30:23 | 不思議な話
以前にも書きましたが、私は医者が苦手です。
って言うか、、、ほとんど信用していましぇ~~ん。
だから、病院に自分から行く事は、ほとんどありません。

そんな私ですが、今から10数年前までは、年に2~3回救急車で病院へ運ばれていました。
あの頃は、若かった、、、、



まだ20代の頃です。
現場で防塵マスク無しに、リシンをサンダーで削り取ったら、粉吸い込んでしまって、、、おバカです。

その夜に、突然に!!呼吸困難に陥ってしまったア!!!
夜寝てたら、ゼイゼイ始まって、、、だんだんと、少しづつ、息が吸えなくなって来て、、、
苦しい。。。

しばらく我慢してたけど、咽はヒューヒューと音を立て始めるし、ほとんど息吸えなくなるしで、我慢できずに親を起こして救急車呼んでもらいました。
本当に、死ぬかと思った。。。

夜中に、サイレンなんか鳴らされたら、近所迷惑だから、「鳴らさないで!!!」ってお願いしたけど、無視された。。。
当たり前かア、、、

病院で、吸入してもらったら、だんだん呼吸が出来るようになったけど、それからがまた大変だった。
だいたい、救急車って、病院まで運んでくれるけど、家までは送ってくれないんだよねエ、、、
真夜中に病院から家まで、どうやって帰ったらエ~~んだア???
フラフラしながら家まで、1時間近くかけて歩いて帰ったジェイ!!!

家に帰って、鏡で自分の顔見たら、ドス黒い紫色に変色してた。
体中が痒い。
皮膚の下で、無数の小さな虫が動き回っているような、いや~~な痒さ。
指先で、ちょこんって腕の皮膚に触ったら、いきなりミミズ腫れになった、、、
う~~~みゅう、、このまま死ぬんじゃあないだろうなア???

幸い、永遠の夜に入り込む事無く、次の日の朝も、目は覚めました。

それ以来、年に2~3回夜中に呼吸困難を起こして、救急車で病院に運ばれるようになってしまいましたア。
でも、今は完治してます。
別に不思議な話では無い、病気ネタでした。

さらに前の事です。
大学生の頃です。

私の血液型は、O型です。
大学のギター部の人の、知り合いが手術をするので、O型の血液が必要って事で、輸血用の血液を提供しに病院に行ってきました。
生まれて初めて、血液抜き取られました。。。。

私の血を抜き取る担当は、若~~い看護婦さん(当時は、看護師と呼ばずに看護婦さんでした)で、何故かナチュラル・ハイになりながら、私の血液を抜き取ってくれました。

その看護婦さんは、ビニール袋に溜まっていく私の血を見て「うわ~~~!!こんなに真っ赤っか!!」とか、ビニール袋なぜなぜしながら「まだ温ったか~~い!!!」なんてハシャイでいました。
いったい、なんなんだあ???

ちなみに私の血を輸血された患者さんは、私の血が濃すぎたせいで、その夜発熱したそーです。

これも、不思議な話では無かった(看護婦さんは、不思議な人でしたが、、、)。。。

実は、病院で不思議な出来事に出会った事が、ありませんでした。。。
ってな訳で、人から聞いた話です。
大学生の時、ギター部の同期の女の子から聞いた話です。

その娘のおばさんが、ガンで入院していた時の出来事だそうです。
その頃は今と違って、ガンになると助からないって時代です。
おばさんは、末期ガンで治る見込みは無かったそうです。

そのおばさんのために、家族が頼んだ介護の人達が、次々と辞めていくので、家族は不思議に思っていたそうです。
ある時、やめさせて欲しいと言い出した介護の人に、理由を聞いたそうです。
最初は言い渋っていた介護の人が、やがて話してくれた事は、、

「夜になると、子供が来て怖い」

何の事か分からなくなった家族が、おばさんにその話をすると、おばさんは微笑みながら答えたそうです。



「あの子は、昔、流産した私の子なの、私に会いにきてくれるの」



それから、しばらくして、そのおばさんは亡くなったそうです。


料理を作っていて思い出した、少しだけ不思議な話

2008-08-02 06:51:56 | 不思議な話
私は料理がまったく出来ません(←キッパリ!!)。

マズイのです。
出来上がった料理が、口にするのが苦痛な位、変な味になります。

例えば、「今日の料理」を見ながら料理をしていて、「味醂少々」なんて書いてあったりすると、もうダメです。
「味醂」なんて、家にありましぇ~~ん。
代わりにお酢でエ~~かなア???な~~んて考えて、ドボドボってお酢入れちゃったりします。
キャベツって書いてあるのに、似てるから冷蔵庫の中のレタスでエ~~カア、、とか、、、

味もほとんどしないか、異常にショッパイかどちらかです。

料理もダメですが、片付けはもっとダメです。
使用後の食器を放置して、アオカビを繁殖させて、全ての食器を燃えないゴミの日に出した事もありましたア!!!!!!!

でも、「自分はダメな人間なんだなア」って一番感じたのは、、、

当時はちゃんと??自炊していたので、ご飯も小さな炊飯ジャーで炊いていました。
お米をよ~~く洗ってから炊けば、炊飯ジャーを保温にして、4~5日は大丈夫って思っていました。
でも、さすがに1週間以上経つとねエ、、
いくら意地汚い私でも、もう食べません。。。
保温のスイッチは切ります。

その時も、まだ炊飯ジャーの中に、半分位残っていました。

で、月日は流れました。
炊飯ジャーにご飯が入ったままで、、、、

私は、片付けが苦手なんです。(←ソーイウ、モンダイデハ、、、、)

さすがに半年以上経つと、もう怖くて炊飯ジャーのフタを開けられしぇ~~ん。
忘れました、、、思い出さないようにしていました、、、炊飯ジャーの事は、、、

時の流れは、速いものです。
炊飯ジャーの保温スイッチを切ってから、2年経ちました。
その後、一度引越しもしたのですが、怖くてフタを開けられずに、そのまんま引越し先に持って行きました。。。何故?????

その夜私は酔っていました。
たしか、どっかのおね~~ちゃんと、電話していたんだと思います。
何故そー言う話になったのかよく思い出せないのですが、、、
ご飯は、炊飯ジャーに入れられたまま、2年間経つとどーなるのか???知りたいから、炊飯ジャーのフタを開けろって、そのおねーちゃんに言われて、、、

酔ってたしねえ、、、

開けちゃいました、炊飯ジャーのフタを、、、
炊飯ジャーの中は。。。。



何も入っていない、、、