腱鞘炎(ジストニア)日記

ジストニア生活もいつの間にか24年目!!
のんびりと付き合っていきます。

ミゲル・シンプリシオ追跡「驚愕!!ミゲル・シンプリシオは二人いた??」

2021-11-12 18:46:31 | ギター
今月初めにドイツのショップから到着したミゲル・シンプリシオ



20世紀初頭の名工フランシスコ・シンプリシオの甥が1969年に作ったギターです。



ラベルには誇らしげに「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」と記されています。


でもF.シンプリシオの面影の全くないギターかなあ?

ボディも大きく重たい楽器です。
重量は1.7Kg位あります。


内部構造も





60年代のニューコンセプトギター?


弾き心地もやや大味でおおらか、70年代スパニッシュの感触。
ウルフの位置はやや高めでパワフルに鳴るギターです。
音色は太く柔らかい音で少しこもった様な音。
F.シンプリシオの様に引き締まった音がコツンコツンと鳴る楽器では無く、豪快にボコンボコンと鳴る感じです。


不思議な魅力のあるギターです。


F.シンプリシオは有名ですが、その後継者ミゲル・シンプリシオに関しては現在ほとんど知られていません。
私もこのギターを見つけるまでは知りませんでした。


ギターの歴史から忘れ去られているF.シンプリシオの甥「ミゲル・シンプリシオ」
1969年の段階ではギターを作っていたはずなのに、情報量が少なすぎです。
いつ頃までギターを作っていたのかも分かりません。


ラベルにあった工房の住所をグーグルマップで検索してみたら



綺麗な公園になっていました。


ちなみにフランシスコ・シンプリシオの工房はたぶんここです。



もの凄いアールヌーボーな建物です。
工房の場所でも格の違いを見せつけられます。

ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの工房を引き継いだはずですが、途中で移転したのでしょうか?




ミゲル・シンプリシオの事を色々と調べてみました。




ネットで見つけたフランシスコ・シンプリシオと一緒に写るミゲル・シンプリシオの写真。
この写真の載っていたHPにとんでもない事が書いてありました!!!
びっくりです。

「フランシスコ・シンプリシオの息子ミゲル・シンプリシオは1899年に生まれ、父親とエンリケ・ガルシアの両方の訓練を受けました。彼の父親の人生の間、彼らは密接に一緒に働いた。父親の死後、彼は彼のワークショップを引き継ぎ、すぐにラテンアメリカで国際的な評判を得ました。彼の生涯の間に、彼のギターはアルゼンチンで素晴らしい価格で販売されました。彼は彼自身のレーベルの下で約150のギターの生産で信用されているが、彼は彼の父親の生産の多くを手にしたようです。1938年に39歳で胃がんで亡くなりました。彼はフアン・フェノイを訓練した。」

色々とビックリですが、一番驚かされたのがミゲル・シンプリシオは1938年に39歳で胃がんで死んでいるって事です。
って事はどういう事???
私のギターをミゲル・シンプリシオは死んでから31年も経ってから作ったって事???
ほとんどオカルトですなあ。

もう1つ気になるのが、ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの息子だったって事です。
ネットで色々と調べたりしても、他の情報源でもミゲル・シンプリシオは甥では無く息子とされています。

でも私のギターのラベルには「Sobrino de Francisco Simplicio」とはっきりと書かれています。
イーホ(息子)では無くソブリーノ(甥)なのです。

これってどういう事????


フランシスコ・シンプリシオが1932年に亡くなってから、たった6年間で約150台のギターを作ったって記載も気になります。


弟子のファン・フェノイ(Juan Fenoy)の事も気になって調べてみました。
ほとんど情報無しです。

見つかった情報は、ミゲル・シンプリシオの唯一の弟子と称していた事と「悪意の無いトーレスの贋作」を作り修理者として自分のラベルを貼っていたエピソードだけです。


ミゲル・シンプリシオはあまりに情報が無いので、フランシスコ・シンプリシオの事も調べてみました。

1874年10月18日に生まれ、若い頃18年間家具職人として働いた後、エンリケ・ガルシアの工房でギターを作り始めます。
エンリケ・ガルシアが1923年の11月に死亡した後、工房を引き継ぎます。
1932年1月14日に死亡するまで約340台のギターを作っています。
フランシスコ・シンプリシオは息子のミゲル・シンプリシオと一緒にギターを作り、工房では娘のヨセファ( Josefa)が手伝いをしていた。



写真はF.シンプリシオと娘のヨセファです。



もう一人エンリケ・コル(Enrique Coll)(1894-1978)という弟子がいた。



Bertram Burkert plays O Magnum Mysterium by Francis Poulenc on a 1931 Enrique Coll


フランシスコ・シンプリシオ存命中の1931年に作られたエンリケ・コルのギター
美しい音のギターです。

この人もネットで検索しても、ほとんど情報がありません。
1978年まで生きていたのに現存するギターの情報もほとんどありません。
動画の1台の他は40年代に作られたギター1台ヒットするだけです。
これだけ美しい音のギターが作れる名工が、その後1台しかギターを作っていないって事もあまり考えられません。

娘のヨセファもその後のギター史にはまったく登場していません。



それからシンプリシオのギターがガルシアの死後たった8年で340台も作られている事も驚きです。
装飾は外注だったとしても凄い台数です。


たぶんこういう事なのかと思います。

フランシスコ・シンプリシオの美しく繊細なギターは、名工が一人でゆっくりじっくりと作っていた訳では無く、実際は数人の職人で分業して作っていたのでしょう。
ミゲル・シンプリシオとエンリケ・コルの二人の職人とお手伝いの娘ヨゼファとフランシスコ・シンプリシオ本人の4人体制で作っていたのであれば、年間40台以上作り続ける事も可能です。
そしてフランシスコ・シンプリシオの死後、ファン・フェノイが加わった4人体制で「ミゲル・シンプリシオ」のギターを作っていれば、6年間で150台の製作も可能です。


ミゲル・シンプリシオが忘れられた存在になってしまった理由はこんな所か?

①工房を引き継いでからたった6年で突然ミゲル・シンプリシオが胃癌で死んでしまったため製作していた期間が短い事。
②150台程度しかギターが作られなかった事。
③作られたギターの多くが当時裕福だったブエノスアイレスへ輸出された事。
④残されたギターは「シンプリシオ」として大切に扱われ、わざわざ「ミゲル・シンプリシオ」の名前が出されない事。


エンリケ・コルもファン・フェノイも独立せずにミゲル・シンプリシオのギターを作っていたため知られざる名工になってしまった。

そしてミゲル・シンプリシオの死後工房は閉じられたのでしょう。


Schubert Variations by F. Rebay on a 1934 M. Simplicio guitar – Lorenzo Micheli


ミゲル・シンプリシオ存命中1934年に作られたギター。
ラベルは「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」ラベルでは無く。フランシスコ・シンプリシオの時代の物とほとんど同じに見えます。
音もほとんどフランシスコ・シンプリシオと変わりません。


さて、ここからは想像では無く妄想です。

フランシスコ・シンプリシオの親族には息子の他にもう一人ミゲル・シンプリシオがいた!!!

自称?フランシスコ・シンプリシオの甥のミゲル・S.シンプリシオです。

このミゲル・シンプリシオはもしかしたらギターを作る職人では無かったかも知れません。
ミゲル・シンプリシオの工房が閉鎖されてから短くない年月が過ぎた頃、ミゲル・S.シンプリシオは突然にバルセロナのAgustina Saragossaに工房を再開してしまいます。
ギター製作を担当したのはエンリケ・コルかファン・フェノイ。
希望的観測です。
シンプリシオとまったく関係の無い職人がギターを作っていた可能性もあります。
いずれにしても良い職人だった事は残されたギターで分かります。
ラベルには堂々と「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」記され、フランシスコ・シンプリシオのギターを熱望していた一部の人達に歓迎されました。
しかしその頃はすでにフランシスコ・シンプリシオの設計を元に作られていたギターが、時代に合わなくなっていました。
60年代のフレタやラミレス3世といったライバル達に対抗し、ミゲル・シンプリシオのギターは大型化し重量が増し、反応の鈍い大味なギターに変わっていき、評判はさらに落ちていきます。
そうして60年代の末(又は70年代初め)工房は閉鎖されミゲル・シンプリシオの名は再び忘れ去られた存在になった。
作られたのはラベルにフランシスコ・シンプリシオの名が記された140台弱のギター。
それもフランシスコ・シンプリシオのギターの様に大切に扱われる事無く、ほとんどが楽器としての寿命を終えていった。

そう考えると、「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」のギターの謎がしっくりと解けてしまいます。
現存するギターが60年代に集中している事も説明がついてしまいます。

何だか面白くなって色々と調べたり妄想したりしてしまいいました。
正体不明の変なギターを手に入れると、調べ物をする楽しみも付いてきて良いのです。



2021.11.13 追記

ネットで息子の方のミゲル・シンプリシオのラベルを見つけました。



息子の方のミゲル・シンプリシオのラベル
フランシスコ・シンプリシオのラベルにサインだけミゲルさんになっています。
お父さんも息子も区別無く「シンプリシオのギター」として大切に残されてきたため、ミゲル・シンプリシオの名前が単独で語られる事が無かったのでしょう。



甥っ子のミゲル・S.シンプリシオのサインと比べると「S.」の文字が加わっているだけで無く、筆跡がかなり違います。
甥っ子ミゲルの方が字がうまい?
息子の方は字が汚い!!!

たぶんミゲル・シンプリシオは二人いたって事はこれで確実ですね。

ロジャースはやっぱり凄かった

2021-11-05 07:18:56 | ギター
ミゲル・シンプリシオの頭にはチープなゴトーの糸巻きが付いていました。
新品なのにガタガタです。





コリはダミですなあ。
どうしてこんなに悲しいビジュアルのマシンが作れるのだろうか??
ガタガタはガタガタなりに調弦は出来ますが、操作性も不快なんですよねえ。
音にも悪い影響が出てしまっている気がします。


ここまで酷いマシンが付いていると、何の迷いも無く交換に踏み切れます。
そこそこ味のある古い糸巻きが付いていたりすると、そのまま我慢して使い続けたりしてします。


一刻も早く交換してしまいたい!!!


交換しました。





美しい!!!!
調弦しようと視線を糸巻きへ向けた瞬間に、幸せを感じるくらい美しいです。

ロジャースのマシンです。

真鍮のプレートは適度にマットで自然な輝きが素晴らしい材質感です。
ボタンはあえて高級感のある素材を避けてスネークウッドにしました。
このボタンのつまみ心地がとてつもなく良いのです。(←アホな感想)

ギター側に問題があって1弦の軸に無理な負担が掛かっています。
これは山本さんの工房で直してもらいます。
それ以外はスーと回ってピタっと止るロジャース独特の使い心地です。
調弦が快楽に変わる?


そして糸巻きをロジャースに替えただけで、楽器が激変しました。

反応が良くなって簡単に音が出るように変わった!!!!
軽く弦に触れただけでピアニシモが出せます。
弾き心地も良くなっています。
高音の歪んだ音も無くなりました。

ロジャースってやっぱり凄いです。
値段が高いだけの事はあります。

シンプリシオはシンプリシオで無かった

2021-11-02 07:10:34 | どうしてギターが増えていくの?
ダ~~~ン!!!!



とうとう到着です。

夜中に酔っ払って楽しくなってしまってポチっとしてから、12日後にドイツから到着です。
今回はサンフェリューの時よりもかなり早い到着です。



ミゲル・シンプリシオ




フランシスコ・シンプリシオの甥っ子で、叔父さんと一緒にフランシスコ・シンプリシオのギターを作っていた人です。
そのミゲル・シンプリシオが1969年に作ったギターです。


さっそく梱包の解体作業に取りかかります。




オリジナルケースが激渋!!!



内部にはM.S.Sinplicioの名が記されています。
これは良いですねえ。


そしてギターの状態は!!!



あれ????
何だか想像していたのと違うなあ、、、、





適当な修理をちょこっとだけ施したボロボロの粗大ゴミみたいなギターが到着すると思っていたのに、ケースに入っていたのはピッカピカのギターです。
ビカビカに再塗装されてしまっています。
表面板センターの修理跡が無ければ、出来たての新品のギターみたいです。




裏板もピッカピカです。




美しい美しい口輪
写真よりも実物の方がより美しい




1920年代のF.シンプリシオへのオマージュ???
ヘッドの埋木細工も実物は色合いが落ち着いていて良い感じですね。
これはこれでアリです。




ブリッジの鮑も実物は目立ち過ぎずに良い色合いです。


弦を張り替える時に内部を撮影。




60年代のニューコンセプト??
ブーシェベース???
では無いか、、、、

F.シンプリシオでは無い!!!

サウンドホール下に2本のごつい横力木
その下にほとんど平行な9本ファンブレーシング
エンドに逆ハの字
そしてブリッジ下のトラベルスバー?
真ん中の力木が貫通する小さな力木?
そのエンドにもうひとつ

1920~30年代にF.シンプリシオの下で作っていたギターとは別物です。
フレタ・エ・イーホスやラミレス3世等の様に、大きなコンサートホールでも負けない力強い音を模索した結果なんでしょうねえ。
色々とやってみてたどり着いたガチガチの表面板。
ギターの重量もそれなりにあります。


それはそれとして、、、

裏板のエンドブロック辺りに写っている白い物は何????
蛾の繭?
巨大化した黴の塊??
修理した時に取り忘れた綿????
バルセロナで流行った何かの呪いの儀式の跡????

何だか不気味なんですけど。


サウンドホールから小さなハタキを突っ込んでパタパタしたけど取れないですう。
裏板にがっつりとくっついてます。
修理・調整で山本さんの所へ持っていった時にでも取ってもらおうかな?

昔、ブエノスアイレスから取り寄せたヌニェス1世の中から、巨大なスズメバチの死骸が出てきた事はあったなあ、、、、


弦も張り替えたし、さっそく弾いてみます。

お~~~パワフルだあ!!
シンプリシオでは無いいいいいいいいいいいい!!!!

高音は太く丸い心地良い音色。
低音はやや腰高ですがパワフルな太い音がドカンドカンと出ます。
弦の感触は上から下まで重くて柔らかい。
70年代スパニッシュの感触。
やや大味だけどひたすらパワフルです。
体育会系筋肉質ギター。
弾きこなすのはちょっと大変か?
でも反応が素直なので弾きづらくは無いです。
音色も含めて弾き心地は良いです。


まだ楽器が眠っているせいもありますが、再塗装の影響で反応が鈍いですね。
弾き込んで楽器が目覚めて、塗膜が振動になじんでくると大化けする予感がします。
サドルとナットも良くないかなあ?


そしてこれはアウト



ゴトーの安物の糸巻きに交換されてしまっています。 
量産ギター用の物です。
調弦は問題無く出来ますが、ガタガタです。
見た目も悲しいですし調弦が楽しくない!!!
音にも影響が出ていると思います。
コリは交換ですね。

奮発してロジャースにしちゃおうかな?
このギターには音の事も含めて、ロジャースが一番良いと思う。

糸巻きを手に入れたら、いつもの様に山本さんも所で修理・調整をお願いする予定です。


まだまだ楽しみは続きます。