今月初めにドイツのショップから到着したミゲル・シンプリシオ
20世紀初頭の名工フランシスコ・シンプリシオの甥が1969年に作ったギターです。
ラベルには誇らしげに「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」と記されています。
でもF.シンプリシオの面影の全くないギターかなあ?
ボディも大きく重たい楽器です。
重量は1.7Kg位あります。
内部構造も
60年代のニューコンセプトギター?
弾き心地もやや大味でおおらか、70年代スパニッシュの感触。
ウルフの位置はやや高めでパワフルに鳴るギターです。
音色は太く柔らかい音で少しこもった様な音。
F.シンプリシオの様に引き締まった音がコツンコツンと鳴る楽器では無く、豪快にボコンボコンと鳴る感じです。
不思議な魅力のあるギターです。
F.シンプリシオは有名ですが、その後継者ミゲル・シンプリシオに関しては現在ほとんど知られていません。
私もこのギターを見つけるまでは知りませんでした。
ギターの歴史から忘れ去られているF.シンプリシオの甥「ミゲル・シンプリシオ」
1969年の段階ではギターを作っていたはずなのに、情報量が少なすぎです。
いつ頃までギターを作っていたのかも分かりません。
ラベルにあった工房の住所をグーグルマップで検索してみたら
綺麗な公園になっていました。
ちなみにフランシスコ・シンプリシオの工房はたぶんここです。
もの凄いアールヌーボーな建物です。
工房の場所でも格の違いを見せつけられます。
ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの工房を引き継いだはずですが、途中で移転したのでしょうか?
ミゲル・シンプリシオの事を色々と調べてみました。
ネットで見つけたフランシスコ・シンプリシオと一緒に写るミゲル・シンプリシオの写真。
この写真の載っていたHPにとんでもない事が書いてありました!!!
びっくりです。
「フランシスコ・シンプリシオの息子ミゲル・シンプリシオは1899年に生まれ、父親とエンリケ・ガルシアの両方の訓練を受けました。彼の父親の人生の間、彼らは密接に一緒に働いた。父親の死後、彼は彼のワークショップを引き継ぎ、すぐにラテンアメリカで国際的な評判を得ました。彼の生涯の間に、彼のギターはアルゼンチンで素晴らしい価格で販売されました。彼は彼自身のレーベルの下で約150のギターの生産で信用されているが、彼は彼の父親の生産の多くを手にしたようです。1938年に39歳で胃がんで亡くなりました。彼はフアン・フェノイを訓練した。」
色々とビックリですが、一番驚かされたのがミゲル・シンプリシオは1938年に39歳で胃がんで死んでいるって事です。
って事はどういう事???
私のギターをミゲル・シンプリシオは死んでから31年も経ってから作ったって事???
ほとんどオカルトですなあ。
もう1つ気になるのが、ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの息子だったって事です。
ネットで色々と調べたりしても、他の情報源でもミゲル・シンプリシオは甥では無く息子とされています。
でも私のギターのラベルには「Sobrino de Francisco Simplicio」とはっきりと書かれています。
イーホ(息子)では無くソブリーノ(甥)なのです。
これってどういう事????
フランシスコ・シンプリシオが1932年に亡くなってから、たった6年間で約150台のギターを作ったって記載も気になります。
弟子のファン・フェノイ(Juan Fenoy)の事も気になって調べてみました。
ほとんど情報無しです。
見つかった情報は、ミゲル・シンプリシオの唯一の弟子と称していた事と「悪意の無いトーレスの贋作」を作り修理者として自分のラベルを貼っていたエピソードだけです。
ミゲル・シンプリシオはあまりに情報が無いので、フランシスコ・シンプリシオの事も調べてみました。
1874年10月18日に生まれ、若い頃18年間家具職人として働いた後、エンリケ・ガルシアの工房でギターを作り始めます。
エンリケ・ガルシアが1923年の11月に死亡した後、工房を引き継ぎます。
1932年1月14日に死亡するまで約340台のギターを作っています。
フランシスコ・シンプリシオは息子のミゲル・シンプリシオと一緒にギターを作り、工房では娘のヨセファ( Josefa)が手伝いをしていた。
写真はF.シンプリシオと娘のヨセファです。
もう一人エンリケ・コル(Enrique Coll)(1894-1978)という弟子がいた。
Bertram Burkert plays O Magnum Mysterium by Francis Poulenc on a 1931 Enrique Coll
フランシスコ・シンプリシオ存命中の1931年に作られたエンリケ・コルのギター
美しい音のギターです。
この人もネットで検索しても、ほとんど情報がありません。
1978年まで生きていたのに現存するギターの情報もほとんどありません。
動画の1台の他は40年代に作られたギター1台ヒットするだけです。
これだけ美しい音のギターが作れる名工が、その後1台しかギターを作っていないって事もあまり考えられません。
娘のヨセファもその後のギター史にはまったく登場していません。
それからシンプリシオのギターがガルシアの死後たった8年で340台も作られている事も驚きです。
装飾は外注だったとしても凄い台数です。
たぶんこういう事なのかと思います。
フランシスコ・シンプリシオの美しく繊細なギターは、名工が一人でゆっくりじっくりと作っていた訳では無く、実際は数人の職人で分業して作っていたのでしょう。
ミゲル・シンプリシオとエンリケ・コルの二人の職人とお手伝いの娘ヨゼファとフランシスコ・シンプリシオ本人の4人体制で作っていたのであれば、年間40台以上作り続ける事も可能です。
そしてフランシスコ・シンプリシオの死後、ファン・フェノイが加わった4人体制で「ミゲル・シンプリシオ」のギターを作っていれば、6年間で150台の製作も可能です。
ミゲル・シンプリシオが忘れられた存在になってしまった理由はこんな所か?
①工房を引き継いでからたった6年で突然ミゲル・シンプリシオが胃癌で死んでしまったため製作していた期間が短い事。
②150台程度しかギターが作られなかった事。
③作られたギターの多くが当時裕福だったブエノスアイレスへ輸出された事。
④残されたギターは「シンプリシオ」として大切に扱われ、わざわざ「ミゲル・シンプリシオ」の名前が出されない事。
エンリケ・コルもファン・フェノイも独立せずにミゲル・シンプリシオのギターを作っていたため知られざる名工になってしまった。
そしてミゲル・シンプリシオの死後工房は閉じられたのでしょう。
Schubert Variations by F. Rebay on a 1934 M. Simplicio guitar – Lorenzo Micheli
ミゲル・シンプリシオ存命中1934年に作られたギター。
ラベルは「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」ラベルでは無く。フランシスコ・シンプリシオの時代の物とほとんど同じに見えます。
音もほとんどフランシスコ・シンプリシオと変わりません。
さて、ここからは想像では無く妄想です。
フランシスコ・シンプリシオの親族には息子の他にもう一人ミゲル・シンプリシオがいた!!!
自称?フランシスコ・シンプリシオの甥のミゲル・S.シンプリシオです。
このミゲル・シンプリシオはもしかしたらギターを作る職人では無かったかも知れません。
ミゲル・シンプリシオの工房が閉鎖されてから短くない年月が過ぎた頃、ミゲル・S.シンプリシオは突然にバルセロナのAgustina Saragossaに工房を再開してしまいます。
ギター製作を担当したのはエンリケ・コルかファン・フェノイ。
希望的観測です。
シンプリシオとまったく関係の無い職人がギターを作っていた可能性もあります。
いずれにしても良い職人だった事は残されたギターで分かります。
ラベルには堂々と「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」記され、フランシスコ・シンプリシオのギターを熱望していた一部の人達に歓迎されました。
しかしその頃はすでにフランシスコ・シンプリシオの設計を元に作られていたギターが、時代に合わなくなっていました。
60年代のフレタやラミレス3世といったライバル達に対抗し、ミゲル・シンプリシオのギターは大型化し重量が増し、反応の鈍い大味なギターに変わっていき、評判はさらに落ちていきます。
そうして60年代の末(又は70年代初め)工房は閉鎖されミゲル・シンプリシオの名は再び忘れ去られた存在になった。
作られたのはラベルにフランシスコ・シンプリシオの名が記された140台弱のギター。
それもフランシスコ・シンプリシオのギターの様に大切に扱われる事無く、ほとんどが楽器としての寿命を終えていった。
そう考えると、「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」のギターの謎がしっくりと解けてしまいます。
現存するギターが60年代に集中している事も説明がついてしまいます。
何だか面白くなって色々と調べたり妄想したりしてしまいいました。
正体不明の変なギターを手に入れると、調べ物をする楽しみも付いてきて良いのです。
2021.11.13 追記
ネットで息子の方のミゲル・シンプリシオのラベルを見つけました。
息子の方のミゲル・シンプリシオのラベル
フランシスコ・シンプリシオのラベルにサインだけミゲルさんになっています。
お父さんも息子も区別無く「シンプリシオのギター」として大切に残されてきたため、ミゲル・シンプリシオの名前が単独で語られる事が無かったのでしょう。
甥っ子のミゲル・S.シンプリシオのサインと比べると「S.」の文字が加わっているだけで無く、筆跡がかなり違います。
甥っ子ミゲルの方が字がうまい?
息子の方は字が汚い!!!
たぶんミゲル・シンプリシオは二人いたって事はこれで確実ですね。
20世紀初頭の名工フランシスコ・シンプリシオの甥が1969年に作ったギターです。
ラベルには誇らしげに「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」と記されています。
でもF.シンプリシオの面影の全くないギターかなあ?
ボディも大きく重たい楽器です。
重量は1.7Kg位あります。
内部構造も
60年代のニューコンセプトギター?
弾き心地もやや大味でおおらか、70年代スパニッシュの感触。
ウルフの位置はやや高めでパワフルに鳴るギターです。
音色は太く柔らかい音で少しこもった様な音。
F.シンプリシオの様に引き締まった音がコツンコツンと鳴る楽器では無く、豪快にボコンボコンと鳴る感じです。
不思議な魅力のあるギターです。
F.シンプリシオは有名ですが、その後継者ミゲル・シンプリシオに関しては現在ほとんど知られていません。
私もこのギターを見つけるまでは知りませんでした。
ギターの歴史から忘れ去られているF.シンプリシオの甥「ミゲル・シンプリシオ」
1969年の段階ではギターを作っていたはずなのに、情報量が少なすぎです。
いつ頃までギターを作っていたのかも分かりません。
ラベルにあった工房の住所をグーグルマップで検索してみたら
綺麗な公園になっていました。
ちなみにフランシスコ・シンプリシオの工房はたぶんここです。
もの凄いアールヌーボーな建物です。
工房の場所でも格の違いを見せつけられます。
ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの工房を引き継いだはずですが、途中で移転したのでしょうか?
ミゲル・シンプリシオの事を色々と調べてみました。
ネットで見つけたフランシスコ・シンプリシオと一緒に写るミゲル・シンプリシオの写真。
この写真の載っていたHPにとんでもない事が書いてありました!!!
びっくりです。
「フランシスコ・シンプリシオの息子ミゲル・シンプリシオは1899年に生まれ、父親とエンリケ・ガルシアの両方の訓練を受けました。彼の父親の人生の間、彼らは密接に一緒に働いた。父親の死後、彼は彼のワークショップを引き継ぎ、すぐにラテンアメリカで国際的な評判を得ました。彼の生涯の間に、彼のギターはアルゼンチンで素晴らしい価格で販売されました。彼は彼自身のレーベルの下で約150のギターの生産で信用されているが、彼は彼の父親の生産の多くを手にしたようです。1938年に39歳で胃がんで亡くなりました。彼はフアン・フェノイを訓練した。」
色々とビックリですが、一番驚かされたのがミゲル・シンプリシオは1938年に39歳で胃がんで死んでいるって事です。
って事はどういう事???
私のギターをミゲル・シンプリシオは死んでから31年も経ってから作ったって事???
ほとんどオカルトですなあ。
もう1つ気になるのが、ミゲル・シンプリシオはフランシスコ・シンプリシオの息子だったって事です。
ネットで色々と調べたりしても、他の情報源でもミゲル・シンプリシオは甥では無く息子とされています。
でも私のギターのラベルには「Sobrino de Francisco Simplicio」とはっきりと書かれています。
イーホ(息子)では無くソブリーノ(甥)なのです。
これってどういう事????
フランシスコ・シンプリシオが1932年に亡くなってから、たった6年間で約150台のギターを作ったって記載も気になります。
弟子のファン・フェノイ(Juan Fenoy)の事も気になって調べてみました。
ほとんど情報無しです。
見つかった情報は、ミゲル・シンプリシオの唯一の弟子と称していた事と「悪意の無いトーレスの贋作」を作り修理者として自分のラベルを貼っていたエピソードだけです。
ミゲル・シンプリシオはあまりに情報が無いので、フランシスコ・シンプリシオの事も調べてみました。
1874年10月18日に生まれ、若い頃18年間家具職人として働いた後、エンリケ・ガルシアの工房でギターを作り始めます。
エンリケ・ガルシアが1923年の11月に死亡した後、工房を引き継ぎます。
1932年1月14日に死亡するまで約340台のギターを作っています。
フランシスコ・シンプリシオは息子のミゲル・シンプリシオと一緒にギターを作り、工房では娘のヨセファ( Josefa)が手伝いをしていた。
写真はF.シンプリシオと娘のヨセファです。
もう一人エンリケ・コル(Enrique Coll)(1894-1978)という弟子がいた。
Bertram Burkert plays O Magnum Mysterium by Francis Poulenc on a 1931 Enrique Coll
フランシスコ・シンプリシオ存命中の1931年に作られたエンリケ・コルのギター
美しい音のギターです。
この人もネットで検索しても、ほとんど情報がありません。
1978年まで生きていたのに現存するギターの情報もほとんどありません。
動画の1台の他は40年代に作られたギター1台ヒットするだけです。
これだけ美しい音のギターが作れる名工が、その後1台しかギターを作っていないって事もあまり考えられません。
娘のヨセファもその後のギター史にはまったく登場していません。
それからシンプリシオのギターがガルシアの死後たった8年で340台も作られている事も驚きです。
装飾は外注だったとしても凄い台数です。
たぶんこういう事なのかと思います。
フランシスコ・シンプリシオの美しく繊細なギターは、名工が一人でゆっくりじっくりと作っていた訳では無く、実際は数人の職人で分業して作っていたのでしょう。
ミゲル・シンプリシオとエンリケ・コルの二人の職人とお手伝いの娘ヨゼファとフランシスコ・シンプリシオ本人の4人体制で作っていたのであれば、年間40台以上作り続ける事も可能です。
そしてフランシスコ・シンプリシオの死後、ファン・フェノイが加わった4人体制で「ミゲル・シンプリシオ」のギターを作っていれば、6年間で150台の製作も可能です。
ミゲル・シンプリシオが忘れられた存在になってしまった理由はこんな所か?
①工房を引き継いでからたった6年で突然ミゲル・シンプリシオが胃癌で死んでしまったため製作していた期間が短い事。
②150台程度しかギターが作られなかった事。
③作られたギターの多くが当時裕福だったブエノスアイレスへ輸出された事。
④残されたギターは「シンプリシオ」として大切に扱われ、わざわざ「ミゲル・シンプリシオ」の名前が出されない事。
エンリケ・コルもファン・フェノイも独立せずにミゲル・シンプリシオのギターを作っていたため知られざる名工になってしまった。
そしてミゲル・シンプリシオの死後工房は閉じられたのでしょう。
Schubert Variations by F. Rebay on a 1934 M. Simplicio guitar – Lorenzo Micheli
ミゲル・シンプリシオ存命中1934年に作られたギター。
ラベルは「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」ラベルでは無く。フランシスコ・シンプリシオの時代の物とほとんど同じに見えます。
音もほとんどフランシスコ・シンプリシオと変わりません。
さて、ここからは想像では無く妄想です。
フランシスコ・シンプリシオの親族には息子の他にもう一人ミゲル・シンプリシオがいた!!!
自称?フランシスコ・シンプリシオの甥のミゲル・S.シンプリシオです。
このミゲル・シンプリシオはもしかしたらギターを作る職人では無かったかも知れません。
ミゲル・シンプリシオの工房が閉鎖されてから短くない年月が過ぎた頃、ミゲル・S.シンプリシオは突然にバルセロナのAgustina Saragossaに工房を再開してしまいます。
ギター製作を担当したのはエンリケ・コルかファン・フェノイ。
希望的観測です。
シンプリシオとまったく関係の無い職人がギターを作っていた可能性もあります。
いずれにしても良い職人だった事は残されたギターで分かります。
ラベルには堂々と「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」記され、フランシスコ・シンプリシオのギターを熱望していた一部の人達に歓迎されました。
しかしその頃はすでにフランシスコ・シンプリシオの設計を元に作られていたギターが、時代に合わなくなっていました。
60年代のフレタやラミレス3世といったライバル達に対抗し、ミゲル・シンプリシオのギターは大型化し重量が増し、反応の鈍い大味なギターに変わっていき、評判はさらに落ちていきます。
そうして60年代の末(又は70年代初め)工房は閉鎖されミゲル・シンプリシオの名は再び忘れ去られた存在になった。
作られたのはラベルにフランシスコ・シンプリシオの名が記された140台弱のギター。
それもフランシスコ・シンプリシオのギターの様に大切に扱われる事無く、ほとんどが楽器としての寿命を終えていった。
そう考えると、「Miguel S.Simplicio Sobrino de Francisco Simplicio」のギターの謎がしっくりと解けてしまいます。
現存するギターが60年代に集中している事も説明がついてしまいます。
何だか面白くなって色々と調べたり妄想したりしてしまいいました。
正体不明の変なギターを手に入れると、調べ物をする楽しみも付いてきて良いのです。
2021.11.13 追記
ネットで息子の方のミゲル・シンプリシオのラベルを見つけました。
息子の方のミゲル・シンプリシオのラベル
フランシスコ・シンプリシオのラベルにサインだけミゲルさんになっています。
お父さんも息子も区別無く「シンプリシオのギター」として大切に残されてきたため、ミゲル・シンプリシオの名前が単独で語られる事が無かったのでしょう。
甥っ子のミゲル・S.シンプリシオのサインと比べると「S.」の文字が加わっているだけで無く、筆跡がかなり違います。
甥っ子ミゲルの方が字がうまい?
息子の方は字が汚い!!!
たぶんミゲル・シンプリシオは二人いたって事はこれで確実ですね。