先日、横山中学野球部通信の先生の言葉を書きました。
「やれるのに、やらないのはずるい」
「ずるい」という言葉は、普通、人を騙したり、出し抜いたりすることを指すのでしょうが、この場合は、他人ではなく、「自分自身を」ということでしょうね。そこにも書きましたが、誰のためにやるのか、ということでしょう。
やれるのにやらない。だからと言って、誰が困るわけでもありません。誰に迷惑をかけているわけでもありません。別に自分だってそれでいいんだから放っておいてくれと言われれば、それまでです。
しかし、本当にそうなのでしょうか。誰も困りませんし、自分だって困りませんが、未来の自分が困らないかどうかは誰にも分かりません。今しかやれないことがあるからです。
そして、やるも、やらないも、本人の意思です。しかし、「やる」時の意思と、「やらない」時の意思は同じだとはっきり言えるでしょうか。一歩踏み出すことと、立ち止まること。この違いは大きいはずです。
こうしたことを突き詰めて考えたり、話したりすることは、うざかったり、面倒臭いことなのかもしれません。しかし、こうしたことを愚直に考え、悩み、それをスポーツなどにぶつけることが出来るのも、若いうちだけです。
それが分かるからこそ、言ってくれている人がいるということは、本当にありがたいことです。きっと、そうしたことも、後になって初めて分かることなのかもしれません。しかし、言わなくたっていいことを言ってくれることを、意気に感じてほしいものです。やれるのに、やらない場合ではないと思います。
↓ やれることをやるように、背中に後押しをお願いします。
今日のジョグ
仕事と中央線の遅れでお休み。