一昨年は故障上がりで思いのほか差をつけられず早稲田の逆転を許した東洋大ですが、それ以外は、5区の山登り区間で柏原が圧倒的な差をつけて逃げ切るというのが優勝パターンとなってきました(「箱根駅伝 東洋大連覇!」「熱闘 箱根駅伝!」「東洋大の底力!」「箱根駅伝、東洋大完全優勝!」)。
82回大会(2006年)から、もっとも過酷な山登りの5区が23.4kmを最長区間となったことから、エース区間と言われる2区や裏エース区間9区よりも最重要区間になったと言われます。82回大会は「山の神」と言われた今井正人の順天堂大学が往路優勝、翌年は総合優勝を果たしました。その後も往路優勝はすべて5区で区間賞をとったチームですし、総合優勝にも大きく前進しています。
そういう意味では、今年もそのセオリー通りの展開になりましたが、意外(と言っては失礼ですが)だったのは、優勝したのが何と日体大だったことです。今年も下馬評では、駒沢・東洋・早稲田が三強と言われ、対する日体大は昨年総合19位で襷もつなげず繰り上げスタートとなり、今年は予選会からスタートしたチームです。かつての名門も最近は、駅伝での強豪という印象もまったくなく、何と30年ぶりの総合優勝だそうです。
昨日は仕事で見られませんでしたが、4区までは王者東洋大が順調にレースを進めましたが、山登りの5区で日体大の3年生主将服部が東洋大、早稲田大を振り切って、2分以上の差をつけました。5区では猛烈な風が吹いて選手の体力を奪い、ゴールまであと僅かな距離を残して、中央大と城西大を棄権に追い込むいつも以上に過酷な状況でしたが、そこで区間賞を獲得した服部の活躍が光りました。
そして、復路でも一度もトップの座を明け渡すことなく、かえって差を広げて、総合優勝を果たしました。3年生キャプテンで、柏原ですっかり有名になった山登りで区間賞を獲った服部が注目されるのは当然ですが、日体大の総合優勝は、むしろ全員の「総合力」にあります。昨年の東洋大は、10区間中6区間で区間賞をとり、2区間で2位でした。完全優勝と言ってもいいでしょう。対する日体大は、以下の通り、往路でも復路でも区間賞を獲ったのは服部だけでした。
1区 勝亦 7位
2区 本田 4位
3区 山中 6位
4区 木村 5位
5区 服部 1位
6区 鈴木 7位
7区 高田 2位
8区 高柳 2位
9区 矢野 2位
10区 谷永 2位
しかし、全員が10位以内に入り、誰一人ブレーキになった選手がいませんでした。昨年は1区の服部が2位、2区本田が8位だったほかは、全員10位以下、中でも5人が17位以下と惨憺たる成績だったことを思えば、見違える変化です。特に復路では、7区から4人連続で区間2位の安定した走りで、まったく他を寄せ付けませんでした。そして、その中の3人は、主将の座を服部に奪われた4年生でした。当初は、服部と4年生の間はギクシャクしたそうです。そりゃあそうでしょう。社会に出れば、年下の上司を持つことなどもありますが、上下関係が厳しい体育会の中でも異例のことですからね。
しかし、昨年襷もつなげず19位に沈んだ時に、監督は涙ながらに選手に告げたそうです。「これからの一年は死ぬ気でやる。監督の方針に従えない選手はチームを去ってほしい」と。監督自身が不退転の決意がないと、なかなか言えないことです。ここまで言われたら、すぐには無理でも、本当に目指すものがあれば、いずれは「小さなプライド」なんで消え去るでしょうね。
4年生で初めて箱根を経験する選手もいたようですが、それで区間2位は立派な限りです。しかし、それも年功序列でキャプテンの地位を与えられていたら出来なかったことのように思います。一年間、死ぬ気でやれば、ここまでのことが出来るんですね!立派でした。