時戻素

昔の跡,やがてなくなる予定のもの,変化していくもの,自身の旅の跡など・・・

(271)  神戸日帰旅・参 (H22.2.11)

2010年02月18日 23時56分38秒 | 旅・散策の足跡
雨天の中,神戸市を日帰り観光した時の記録。
 正午。

 湊川神社入口にて集合。それ以前にした軽い散策についてはこちら
 ここが旅程に含まれたのは,本来この前に行く予定の場所があったことによる。
 案内人へ差し入れたこの土産がヒントになるかもしれない。

 但し買った場所は札幌ではなく,心斎橋。


 湊川神社境内へ。

 稲荷神社。

 水戸光圀公の像もあった。


 参拝を終えた後は,電車で三宮へ。
 駅東の西国街道に沿って移動。

 この店で昼食をとることに。

 社会人1年生の案内人様に上コースをご馳走して戴いた。
 牛タンに始まり・・・

 シメはアイスだった。

 最初メニューを見たときにランチを注文しそうになったが,一番下ではないコースが選択肢に入るような社会人になれるように頑張らなければと感じさせられた。

 店を出て,三宮駅へ向かう途中,関西ではよく見かける店から焼けた餅のいいにおいがしていたので近寄ると,店員様のトークによりお買い上げをすることになった。余計に物を買わせる話術が関西ならではだという話になった。
 駅前から市営バスで摩耶ケーブルの駅へ。
 バスの座席。

 神戸の名所が描かれていた。
 ケーブルカー。

 関西圏には結構ケーブルカーも多い。
 虹の駅でロープウェイに乗り換え。

 星の駅へ向かう。
 標高約700mの掬星台。

 摩耶山の登頂過程と景色については別の記事で詳しく書きたい。

 案内に従って摩耶山天上寺を目指す。

 新しい門を作っている途中だった。

 階段を上り境内へ。



 本堂に入り,仏様を間近で拝んだ。
 天上寺という名前と周囲の環境がぴったり合っていて趣があった。

 掬星台に戻り,神戸市街地を眺めようとしたが・・・

 雲か霧かで視界がはっきりせず,景色を眺めることはできなかった。
 10分後ぐらいにロープウェイの時間を待っている間にもう一度行ってみると・・・

 さっきよりもはっきりと街並みを確認できた。そんなに時間は経っていないのに,こんなにも景色が変わるものなのだと驚かされた。
 景色は良くなった反面,風が強く,今から乗ろうとしている便の往復をもってロープウェイの運行は中止されることになった。

 それでも,帰りのロープウェイはかなり揺れた。
 下を見ると・・・

 スリル?が倍増した。
 無事虹の駅に着いた時に,京都府精華町から来ている方と待合所で一緒になった。今から山上へ行かれるとのことだった。
 ケーブルカーに乗り換え,駅に着いた後は,高級住宅街を通って,阪急六甲駅を目指した。途中の川では・・・

 水が急に増えているのが見えた。山がすぐ近くにある川だということを感じさせられた。
 強風でだめになった傘を買い換えるためにコンビニを経由して,駅に着いた。
 三宮駅に着いてからも,夕食の店の予約時間に余裕があったため,寄り道場所を探しながら店を目指したが,結局予定よりも早く店へ着いてしまった。
 夕食はジャズが聞ける洋食店だった。

 ここでジャズのライブが行われる。

 この日はピアノとボーカルによるライブだった。
 普段はあまり音楽を聞くことをしないし,鑑賞会などで演奏に飽きてしまうこともあったぐらいだったが,迫力や合間のトークなども含めて楽しむことができた。
 音楽を聞きながら食べたコース料理。
 
 

 以上が共通メニューで,メインは3人別々の魚料理を選んだ。
  

 左から順にタイ,アンコウ,イサキ。
 最後にはデザートと食後の飲み物。

 店のホームページにあるように敷居の高い店ではなく,気楽にジャズと料理を楽しめる。
 3回あるライブのうち時間の関係で2回しか聞くことができなかったが,帰る前にはヴォーカルの方とお話をすることができた。(バレンタインを前に男三人で来店ということもあってライブ中に少しいじられもした。)
 その後三宮駅へ行き,改札口で22時前にお開きとなった。

 前回,今回と神戸のお洒落な店で食事をしている。先日,喫茶店でケーキを食べているのが意外だと言われたので,こんなお洒落な店が似合うようになりたいと思った。
 
 こんなことを書いておきながら,次回の大阪ではこれとは対照的な淀川周辺プランを計画中。

(270) 地域に溶け込んでいるだんじり

2010年02月17日 01時40分03秒 | 旅・散策の足跡
場所によって差はあるが,夏と秋にだんじりが町内を曳行しているのを見かける。だんじりは地区にあるだんじり庫に保管されているが,これが住宅地の中に溶け込んだ形で存在している。

(2009年7月14日撮影)

 そこそこの幅のある道路に面したものもあれば・・・

(2009年8月30日撮影)

 公園の一角に入っている場合も・・・(ここはだんじりではなくふとん太鼓だったはず)


(2009年7月14日撮影)

 かなり狭い路地の中にある場合もある。

 住宅地内にあることが多い気がするが,布施の足代のだんじりは・・・

(2010年2月16日撮影)

 商店街のアーケードの脇にあった。
 しかも・・・

(2010年2月16日撮影)

 ガラス張りのようになっていて,祭りが行われないときでも姿を見ることができる。

 これだけ身近にだんじりがあると,地域のつながりがしっかり残っていることを感じさせられる。

(269) 食の自動化

2010年02月16日 09時16分03秒 | 現在の中の過去


 布施駅のホームから見える回転寿司店。

 この店の前には初めて回転寿司のシステムを導入した店であることを表す碑が建っている。時間がある人は注文し,時間がない人はレーンを流れている寿司を取る。
 今日では珍しくないぐらい,回転寿司というシステムは普及することになった。
 
 そして,今では,画期的なシステムを導入している回転寿司店もあり,そのシステムは会社のホームページやテレビの取材などでそのシステムを紹介している。某探偵アニメにそのシステムを殺人トリックに使用されたこともある。その際,店名は実名ではなかったがあの子どもがタッチパネルでの注文や自動廃棄システムを丁寧に紹介していた。

 その回転寿司店へ行った時,レーンの最後の方が見える席へ案内された。
 すしを食べているとたまに何かが落ちる音が聞こえた。
 最初は何の音か分からなかったが,やがてその正体を知ることになった。

 皿が消えた。
 廃棄の対象と寿司が通過するとバーが開き,皿ごと穴の中に落ちるようになっている。

 このシステムにより,作ってから時間の経った寿司は提供しないという客への安心感を提供できている。
 しかし,このシステムも完全とはいえないようだ。

  廃棄用の穴が詰まっていたために,落ちることはなかった。
定期的に人がつまっていないかに見ておく必要がありそうだ。

 このシステムの評価について書かれたブログをいくつか見てみると,皿が落ちるのを楽しんでいる感想が多く見られた。しかし,個人の感想としては,皿ごと自動的に落ちていく廃棄方法にはやや抵抗があった。タッチパネルでレーンとは別の寿司を追加させたために,あの皿が廃棄になってしまったとも感じた。
 この店のシステムは客層を把握して,レーンに提供する寿司の種類や量を決めるなども可能にしている。そのため,他の回転寿司よりも廃棄率は低いらしい。調理場も従業員の動きが効率的になるようにカメラで遠隔指令が出ているらしい。
 機械化できる部分は機械にさせれば,それだけ人件費を減らせ,それが低価格につながっている。
 人の手で廃棄したとしても,結局は銀行員の金と一緒で何の抵抗もなく廃棄できるようになるのだろうが,自動化で廃棄への罪悪感が軽減されているように感じられた。せめて,落とし穴は客に見えないところにおいて欲しいと思った。公開しておくことで鮮度の証明にもなるのだけれど,あの音と皿ごと落ちる姿は痛々しい。近くに,日本最大の飢餓地帯と言われている場所があるだけになおさら食べ物が余っているところにはたくさん余っているのだなと感じてしまう。

(268) 【H21春・18切符1枚目 1日目-1】 姫路~下関

2010年02月15日 07時55分00秒 | 旅・散策の足跡
【H21春・18切符1枚目】の記事一覧


0日目-1 難波~新世界~布施~玉造~梅田~三宮
0日目-2 三宮~元町~神戸~兵庫~余部~姫路
1日目‐1 姫路~岡山~広島~西広島~下関
1日目-2 下関~小倉~折尾~門司港~鳥栖~博多
2日目 博多~鳥栖~長崎~早岐~鳥栖~人吉~鹿児島
3日目  大阪~岡山~高松
4日目 高松~松山~八幡浜~別府
5日目‐1 別府~久留米
5日目‐2 久留米~人吉~鹿児島

【行程】
姫路 6:32
岡山 8:03
岡山 8:21
広島 10:55
西広島 12:06
徳山 (13:47)
徳山 (13:56)
新山口 14:37
新山口 14:38
下関 15:44
下関 15:55


※ 写真は全て2009年3月11日撮影。
 朝5時30分ごろ。あまりに早かったためホテルを従業員用の出口から外へ出させてもらった。
 列車の時刻まで少し余裕があったので・・・

 姫路城を遠目に見た。堀の外からだと小さく見える。

 6時33分に姫路を出て,8時ごろ岡山駅に着いた。
 20分程度駅周辺を歩いたり,土産を買ったりした。

 3週間後に政令指定都市化を控えた岡山市。

 駅周辺もこれから変化していきそうだ。

 1時間程度で広島県には入ったが広島駅へ着いたのは2時間半後だった。

 駅前から路面電車に乗り換える。

 原爆ドーム前で下車し,原爆ドームを見る。

 時間が限られていたので,同じ電停から西広島駅方面の電車に乗車。

 安全地帯のしっかりした電停もあれば・・・

 場所の関係でかなり狭いところもある。京都の嵐電も大阪の阪堺にもこのようなのりばは見られるので,鹿児島市電のように全ての電停に柵のついたのりばが設けられているのは珍しいのかもしれないと感じた。
 西広島駅前に到着。


 路面電車の駅にしてはかなり広い気がした。ここから宮島口へ行く軌道は専用軌道になっている。
 JRの駅。

 改札口は・・・

 自動改札機は導入されていたが,上にある発車時刻案内は独特だった。
 中も・・・

 橋や屋根がだいぶ古い気がした。
 移動中車窓には瀬戸内海の景色が見えた。




 徳山駅。7分ぐらい列車が出るのを待っている間,駅内で土産を物色。

 所在地は合併の関係か周南市のようだ。
 発車後,山口市と合併したこともあってそれらしい名前になった旧小郡駅。

 ここではあまり待ち時間はなかった。
 さらに1時間ほどで下関駅へ。

 放火やホームでの通り魔など暗いニュースも多い。

 駅までに風格のある建物があった。
 改札や通路などにはふぐが見られる。


 山口で発導入された自動改札機もある。九州の影響もあったらしい。
 そのわりに発車時刻の案内は古そうだ。
 九州行きの電車。
 
 この白と青の配色を見ると九州に入った気になる。
 中も・・・

 九州らしい原色が使用されている。
 この辺は以前と同内容になっているが,それほど安心させられる瞬間だ。


(267) こんなところにも有料駐輪場。

2010年02月14日 05時33分36秒 | 現在の中の過去
 放置自転車対策として設置される駐輪場が有料化される理由は,建設費,維持費や人件費を回収するほかに,本当に自転車やバイクで来なければならない人が使用するのを抑制する目的もあるという。
 その事情を考えると,多くの人が利用する駅で有料駐輪場が設置されるのはごく自然なことのように思える。利用者が多くても,秩序が維持できる場合や周りの商業に影響を与えそうな場合などは無料の駐輪場が設置されている場合もある。大阪市に至っては梅田や難波の近くにも市が設置した無料駐輪場がある。
 しかし,大阪府の柏原市の郊外の駅にはここも有料と思うような駐輪場がある。

 近鉄大阪線の大阪教育大前駅。
 府県境が近く周辺はこんな感じ。


 駅前の駐輪場は・・・


 近鉄の子会社が経営をしていた。料金も自転車200円,バイク300円とやや高めの設定になっている。大学の駐輪場がやや高いところに設置してあるので,駅の駐輪場に止めるのを防ぐために有料化しているのかもしれない。柏原市の駅前で唯一柏原市が管理をしていない駐輪場だ。民間だから利益を求めるのは当然かもしれない。管理人を設置してはいるが,がらがらに近く,周囲もそんなに自転車が放置されているわけではない。撤去作業が優秀なのか,人が自転車で来るような場所ではないからなのかは分からない。

 似たような環境の駅がJR大和路線にもある。

 大きな道からもいけないことはないが,小道に入って駅を目指す。

 こんな道が続く。

 切りとおしを抜け,さらにしばらく進むと・・・

 民家や商店が集まっている場所と駅が見えた。

 自動改札はあるものの山間部の小さな駅といった印象がある。
 駅の裏は・・・

 大和川が流れている。
 駅を奈良方面から見ると・・・

 自然豊かな場所だ。
 駅前の周辺の案内板。

 
 そして駅の駐輪場はもちろん・・・

 柏原市による運営の有料だった。

 ちなみに大阪府統計年鑑の2007年度の1日平均の乗車人員は490人だそうだ。

 周囲の状況から駅まで自転車かバイクで来る人は多くなりそうだ。周辺が狭いので,駐輪台数が制限する必要はあり,それに有料化が貢献しているかもしれない。

 柏原市のホームページを見ると全ての駅に駐輪場が設置されていると書かれている。駅の駐輪場は有料が当たり前になっている自治体のようだ。

 自然豊かな場所で見る有料駐輪場は意外な光景であり,なぜ有料化しなければならなかったのか背景が気になった。

(266) 難波に向かう道の地域表現

2010年02月13日 23時16分52秒 | 旅・散策の足跡
2009年3月に西九条から難波まで阪神が延伸され,近鉄線と相互直通運行も行われるようになった。新しく開業となった3駅は全て地下駅だが,なかなか派手なデザインになっている。なんば線のサイトを見ると,所在地に応じたテーマを設定しているようだ。駅を中心に比較的最近の地域の表現方法を見てみたい。


 旧近鉄難波駅は大阪難波駅と改称になった。難波自体大阪のイメージがあるので,その前に大阪が着くと重複地名のように聞こえる。阪神沿線の尼崎市に難波(なにわ)という地名があるがそれとの区別だろうか。単純に他の難波駅と名前が重なるのを防ぐためかもしれないが…案内にも両者の社名が入っている。

 以前はよく知らないが,ホームはあまり変わっていないのではないかと思う。

 隣の桜川駅。
 難波の都心や湊町の再開発地区,にぎわいのある南堀江に近いことから「新たなゲート」をデザインのテーマにしていると阪神のサイトには書かれていた。
 出入り口。

 入口も曲線状にすることで未来的な印象にしたと書かれている。奥に見える南海の汐見橋駅との対照がまた素晴らしい。
 ホーム。

 壁のデザインがホームごとに異なっているのは,「二面性」をキーワードにしたとサイトには書かれていた。

 改札外からも難波方面へのホームの壁は見える。ホームにあるベンチが木製だったり,木を感じさせる素材を使用しているのは道頓堀川沿いに材木問屋が立ち並んでいるのが理由らしい。(阪神なんば線のサイトより)

 ドーム前駅。
 デザインテーマは「懐かしさと新しさの融合」とあった。
 入口。

 ガラスと金属パネルを用いた幾何学形(三角形)状にすることで未来的なデザインとしてドームとの調和を図っているそうだ。
 そんな未来的な地上部に対して,地下の改札付近では・・・

 レンガを使用し,懐かしさとあたたかさを感じられるようにしているのだそうだ。
 ホーム。

 撮影時にドームでジャニーズのライブが行われた後だったため,迅速な移動を求められたため,上からの写真になっている。天井が高く,壁面はレンガで構成されている。約16万個使用しているそうだ。レンガはかつてこの地に建てられたガス工場がレンガ造だったことによるという。ホームは地下鉄の下をくぐることから地上から28mの深さにあるらしい。その地下鉄の駅とあわせて,地上からは創造できないぐらいの地下空間が形成されているので,また別の記事で取り上げたい。

 九条駅。
 デザインテーマは安治川の恩恵を受け,金属化工業を中心とした手のぬくもりが感じられる技術や大阪の下町情緒を代表する人情の街として発展を遂げてきた九条の歴史を活かした街づくりのシンボルとなるように「記憶の継承」に設定されている。
 西側の出入り口。

 鉄とガラスの使用により,親しみを覚える地域技術のイメージをシンボリックに表現していると説明されていた。
 改札のあるフロア。

 照明も含めて,季節,時間帯により変化する安治川を表現した空間らしい。
 ホーム。

 壁にクレータのような穴が空いたデザインになっている。白を基調にした明るい空間で賑わいのある街を表現しているらしい。

 九条駅の東口のあるビル。

 ここの入口から入ると最初の踊り場にこんな案内がある。

 40年前からこの路線の計画があったことが分かる。40年もかかった理由については色々説があるようだ。

 九条駅から次の西九条駅の間で地下から高架上へ線路が移動する。そののぼり口。


 騒音対策で周りは完全に防音壁で囲まれている。建設時には「阪神もぐれ」の貼り紙が貼られていたらしい。
 九条と西九条を分ける安治川を越える部分だけは・・・

 壁はなかった。西九条側では再び壁に囲まれている。

 西九条駅。

 この駅自体はなんば線の前の西大阪線の時代からある駅だが,難波よりの入口だけは改修か新設されている印象があった。
 ホーム。

 元からあった駅だけに,デザインテーマが設定されているかは分からなかった。
 終点時代の名残も残っている。

 その部分を下から眺めると・・・

 ホームがビルの5~6階ぐらいの高さにあることが分かる。
 高架上のJRの線路の上を越えないといけないためだろう。

 JRのホームから見ても・・・

 高いところに見える。阪神の改札からホームへのエスカレータも長く,JRから乗り継ぐ場合,駅舎同士は連絡しているものの上下移動が多い。
 この高さから2駅先には地下30mまで潜っていると考えるとこの間の勾配はかなり急なのだろう。

 斬新な印象を受けるデザインが多く,地域性も表現されているが,その地域性を読み解くには相当歴史に詳しい状態になるか,説明を見るかしなければ,すぐに理解するのは難しいと感じた。建設費もかかっており,この区間を乗る場合は90円(60円)の追加運賃が加算され,初乗り200円となっている。難波をまたぐ場合は2社分の初乗り運賃も必要で,運賃も高額になりがちだ。

(265) 大阪府尼崎市

2010年02月12日 23時50分15秒 | 現在の中の過去
 タイトルの住所表記で検索をかけると,結構多くのサイトがひっかかる。間違いと分かって書いているサイトがほとんどだが,中には本当に勘違いして書いているのではないかというサイトもあった。さらに,「大阪市尼崎区」でも,数は減るが,意外と多くのサイトがある。ただ大阪市の区としては人口約46万人(24区で人口1位の平野区約20万人)は多く,面積約50k㎡(24区で面積1位の住之江区約20k㎡)は広いので,2~3区に分区されているだろう。逆に「兵庫県大阪市」で検索すると,最初の数ページを見たところ1サイトも意図した内容のサイトはひっかからなかった。
 そのように言われる理由をいくつか見てみたい。

(2009年11月7日撮影)

 JRの尼崎駅。大阪駅へは普通で行っても10分以内に着く。新快速には6分で着く電車もあるようだ。運賃も170円と梅田から距離のある大阪市内よりも安く,早く大阪駅に着ける。 
 この駅で東海道本線と東西線が分岐している。

(2009年11月7日撮影)

 別のものを写すつもりで撮った物を拡大しているので,見にくいかもしれないが,奥のピンクの看板に書かれている矢印のついている左側の2つの駅(加島・塚本)は共に大阪市で,この2駅間をJRで移動するとなると尼崎で乗り換えるのが最短になる。
 さらに,尼崎駅も神戸支社でなく大阪支社の管轄のようだ。

 JRの駅から南の方へ2kmぐらい行ったところにある阪神の尼崎駅。

(2009年8月8日撮影)

 こちらも梅田に行く本線と,難波に向かうなんば線の分岐になっている。梅田まで8~20分(230円),難波まで15~25分程度(320円)で行ける。特急や急行等なら途中にある大阪市内の駅からよりも早く大阪市内の繁華街(特に梅田)に行けるかもしれない。大阪市内の阪神線が1日フリーになる大阪観光のための切符においても,分岐点である尼崎駅まで有効区間に設定されていた。
 また,駅前も・・・

(2009年8月8日撮影)

 放置自転車が結構あり,大阪の駅前と似ている。
 放置自転車といえば大阪というイメージもあるようだが,

(2010年2月11日撮影)

 神戸の三宮駅周辺もこんな感じ(向かって右側と左側の駐輪場の看板より前は駐輪場ではない。)のところもあるので,大阪ばかりとは言えそうにはない。
 この駅近くにあるこの商店街も・・・

(2009年11月25日撮影)

 大阪というイメージに貢献していそうだ。甲子園が大阪にあると勘違いする人も多いぐらいだし・・・

 アクセスの面以外にも理由はある。

(2009年11月7日撮影)

 尼崎市の行政が作成しているこの看板,電話番号を見ると4桁-4桁になっている。
 他の看板を見てみると・・・

(2009年11月25日撮影)

 警察の番号だが,市外局番が06になっている。06と言えば「大阪ゼロろく」と言われることもあるように大阪の市外局番である。しかも06が使われているのは大阪市とその周辺の一部の市のみだ。他の大阪府は072の局番になっている。まして大阪市内にも大和川の南に突き出している部分など072の地区もある。そんな中,兵庫県の尼崎市全域に06の局番が使われている。大阪まで電話線が引かれた際に尼崎の会社が自費で通してもらったというのがこの現象の理由らしい。もちろん大阪市への通話料金は市内扱いになる。

 大阪市と尼崎市の境界を見てみたい。
 国道2号の左門橋。

(2009年8月13日撮影)

 大阪市側から尼崎市側を見る。対岸の建物の壁に「ようこそ尼崎へ」と書かれている。
 橋の上から川を見てみる。

(2009年8月13日撮影)

 この川が市界であると同時に府県境でもある。
 道路にある看板も府県名と市名が両方セットになっている。
 
(2009年8月13日撮影)

 尼崎市と大阪市のマークどこか似ている気がするのは気のせいだろうか。

 上流のほうへ行き,神崎橋へ。

(2009年11月7日撮影)

 神崎川はここより左門橋方で神崎川と左門殿川に分かれており,県境となっている左門殿川の方がやや川幅が狭くなっていたので先程よりは川幅がある。
下流側

(2009年11月7日撮影)

 さっきよりは川幅があるとはいえ,淀川3区以外の大阪市から来るとこの前に淀川を渡っているので,そこまで広く感じない。
 上流側。

(2009年11月7日撮影)

 奥を新幹線の橋が横に走っているが,中央部奥に中州のようになっているところも兵庫県だ。府県境はその右側を通っている。

 さらに上流側へ豊中市へ。この間で府県境は神崎川から旧猪名川に変わっている。
 県境の橋。

(2009年11月25日撮影)

 何か短い気が・・・
 橋の上から川を見ると・・・

(2009年11月25日撮影)

 河川名に旧とついているので改修前は大きな川だったのかもしれないが,本当に県境と思ってしまう。

 ちなみに尼崎市と西宮市の境界の武庫川。

(2009年11月25日撮影)

 こちらの方が県境にはふさわしそうだ。
 この少し下流でも・・・

(2009年11月25日撮影)

 武庫川駅のホームがほぼ川の上におさまっている。(参考記事)

 廃藩置県が実施された当時は尼崎県で翌年に兵庫県に編入されている。
 経済的にも大阪市と強いつながりが強かったらしく,140年ぐらい経った今ではなぜ兵庫県?と思ってしまうような要素がいくつかある。

(264) 甲冑魚上空からの眺め

2010年02月11日 03時18分28秒 | 風景


(2006年10月7日撮影)

 駅の上にこんなもの要らないだろうとも言われていた鹿児島中央駅に隣接するAMUプラザの観覧車アミュラン。
 できてからしばらくは乗っていなかったが,帰省中の同級生に誘われたのと地元を離れる前の2回乗った。

 のりば。

(2008年12月1日撮影)

 2つだけ透明のゴンドラがある。混雑時にはかなりの待ち時間が発生するが,平日の昼間ではゴンドラが下に来るのを待つだけで乗れた。
 透明ゴンドラの床。

(2008年12月1日撮影)

 傷のおかげ(?)で怖さは若干やわらいだのだろう。

 新幹線ホーム。

(2008年12月1日撮影)

 大隅半島まで誘致するという要望を出している自治体もあるらしいが,ここから伸びることはまずないだろう。
 東口。

(2008年12月1日撮影)

 目線をあげると・・・

(2008年12月1日撮影)

 街並みの向こうに錦江湾と桜島を見ることができる。
 
 城山の方向を見てみる。

(2008年12月1日撮影)


 駅の西口側。

(2008年12月1日撮影)

 約3年前と比べてみる。

(2005年12月26日撮影)

 変わったのはホテルが建っただけだろうか。

 駅は高架化されていないため,市街地の分断が言われてもいるが,西口の風景も発展しているように感じる。今後,駅舎に隣接する部分の増床が行われるとまた風景が変わるだろう。

 城西地区方面をみる。

(2008年12月1日撮影)

 3年前の写真しかないが,天文館方面を見てみる。

(2005年12月26日撮影)


 乗ってみると見える景色はすばらしかった。
 曜日・時間帯による差もあるのだろうが,乗客があまりいないこと,観覧車を回したり,イルミネーションをつけたりするコストを考えると存在意義を考えさせられる施設でもある。

(263) 【24区展4】 区役所

2010年02月10日 05時15分00秒 | 旅・散策の足跡
※2010年6月13日:城東区,中央区の写真に誤りがあったので,修正しました。

【24区展】の記事一覧

1 (130) ~住所表示板~
2 (196) ゆる~くいこか!
3 (255) 形
4 (263) 区役所
5 (342) 図書館


大阪市北区にある大阪市役所。

 政令指定都市であるので,諸届けなどは区役所に提出するのがほとんどなのであまり行くことはない。各区の区役所の外観を見ていきたい。

西淀川

 2005年に竣工した新しい建物。図書館も同居している。地下には御幣島駅がある。


淀川

 2009年に新庁舎になったばかりの新しい庁舎。隣接して屋内プールなどもある。淀川通りを十三駅の方へ行くと,阪急の線路をくぐるガードの手前に・・・

 旧庁舎が残っている。


東淀川

 結構長く使っていそうな庁舎だ。


此花

 北港通りから少し中へ入り込んだところにある。
 こちらも長く使っている庁舎という印象だった。


福島

 2007年に新庁舎が竣工している。




 天神橋筋とJR環状線の交わる場所付近にある。梅田などが含まれる区の区役所というイメージからすると高さが意外と低かった。


都島

 古くからある建物という印象。




 ここも結構古そうな庁舎。




 年代は特定できなかったが比較的最近建てられた庁舎だろう。移転の際,弁天町オーク内に区役所が仮に入居していたこともあったようだ。


西

 比較的新しそうな印象。なぜかこじんまりとした印象を受けた。


中央

 高架上を高速の走る中央大通りに面しているため,反対側の道を通っているとうっかり見落としてしまった。それ抜きにしても建物の全体像を捉えにくい。区民センターも併設されている。


城東


 古そうな印象の建物。目の前に地下鉄今里筋線のオレンジのゲートができ,両者のギャップが目立つ。


鶴見

 それなりの長さの間使われていそうな庁舎。


大正

 長い間使われていそうな印象。隣の公園と同化しているように感じる。


浪速

 中規模の通りに沿って立地している。竣工からそんなに時間が経っていないように感じた。 


天王寺

 一見古くからありそうな建物に見えたが,確か1996年に竣工と書いてあった気がする。中に入るとまだ新しい建物だと分かった。


東成

 長堀通りに面している。比較的長く使われていそうな建物。


西成

 2000年に竣工したまだ新しい建物。区内北部の公共施設と比べると立派過ぎるぐらいの作りになっている。


阿倍野



 再開発地区の区民センターや図書館などのイメージと比べると考えられないほどの古そうな建物。


生野

 2005年竣工の庁舎。警察,郵便局などの施設が集中している。


住之江

 住吉区との境付近の区の端の方に位置している。古そうな印象だ。


住吉

 2008年に移転した庁舎。阿倍野筋に面していた以前と比べると場所は分かりにくい。土地が広いためか幅がある印象。
 旧庁舎は・・・

 しばらく残されていたが,11月中旬には・・・

 解体が始まっていた。


 東住吉

 比較的長く使われていそうな印象だ。玄関は大通り側には面していない。


 平野

 2001年に竣工された庁舎。東住吉区との境付近に位置している。


 最初に最近新庁舎に移った区役所ばかりを見ていたため,長く改築されていない庁舎がそれなりに残っていることが以外だった。全ての庁舎の竣工年はまだ調べ切れていないが,2000年以降の改築が多いのが意外だった。

(262) 道路下の空間

2010年02月09日 05時46分32秒 | 風景
大阪市旭区の今市交差点。

(2010年1月15日撮影)

 守口市との境付近にある城北通りと国道1号が合流する比較的大きな交差点だ。
 この国道1号の下を地下鉄が通っている。そしてこの向こうに太子橋今市駅が存在している。
 近くの6号出入口から地下に降りてみる。5号出入り口と6号出入り口は国道を挟んで少しずれた位置にある。建物に囲まれて入口がある。

(2009年12月25日撮影)

 改札口までは結構遠い。
 5号出口の方へ行ってみる。改札階から階段を昇った先には・・・

(2009年12月28日撮影)

 出口までの長い通路がある。地上に出口を作る際,土地の確保がうまくいかなかったのだろう。
 梅田・難波の繁華街とは違った住宅地の道路だが,その地下には割合広い空間が存在している。
 そんな地下空間には・・・

(2009年9月11日撮影)

 犯罪への注意を促す看板がある。階段や曲がり角など視界もよくない部分もあるので,警戒すべき道だろう。時折,ホームレスの姿も見かける。

 先ほどの通路を奥へ行くと谷町線寄りの改札口がある。
 さらにそこをまっすぐ行って振り返ると・・・

(2009年12月25日撮影)

 壁のタイルの色が変わっている。
 2006年に今里筋線が開業した際に拡張したのだろうか?
 それにしてもこの通路長い・・・
 階層で数えると地下1階なのだろうが,地上からの階段がやや長いので深さは地下2階ぐらいになるだろう。そこから1階分下ると谷町線のホームと同一平面でつながってはいないが,今里筋線寄りの改札口がある。そこからさらに2階分ぐらい降りたところに・・・

(2010年1月29日撮影)

 今里筋線のホームがある。
 この地下空間,長いだけでなく深い。5~6階建てのビルが地下に埋まっているような感じだ。駅の構内図も・・・

(2010年1月29日撮影)

 かなり複雑な上に。これでも上の写真の谷町線部分は省かれている。
 今里筋線の駅名も太子橋今市ではあるが,ホームは太子橋にも今市にもなく,完全に守口市に位置している。改札を出た辺りが何とか太子橋に位置しているぐらいだ。今市とはそこそこ離れているが,5番出口の周りは今市になっている。(注:あくまで行政が決めている住所表記での地名。)

(2009年9月22日撮影)

 この出口付近の放置自転車に関する看板を立てているのは・・・

(2009年9月22日撮影)

 守口市だ。この辺りの大阪市と守口市の境界は本当に入り組んでいて分かりにくい。地上でも分かりにくい境界は,地下に行くとさらに分からなくなる。
 駅を利用しなければこの広大な地下空間の存在は気付かないだろう。