ひょうごの在来種保存会

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保存会通信17号(25年春)生姜の歴史深い「瑞穂生姜」の里〈鳥取県気高町〉   保存会世話人 池島 耕

2013年06月09日 | 保存会通信17号
生姜の歴史深い「瑞穂生姜」の里〈鳥取県気高町〉
  保存会世話人 池島 耕

NHK番組の特集で知った、鳥取の「瑞穂しょうが」。
同じく産地として目指している姫路から、鳥取県気高町に中原孝志さん(80)を訪ねました。



「まずは畑を」と、お話しを聞く前に収穫まっただ中の生姜畑を見学したのですが、やはりこちらも播磨と同じく夏の日照りと乾きの影響からか、見た目にも株が小さい様子。
中原さんの第一声も「今年は…」と寂しそうな感じでした。




そんなことも忘れるかのような事実が!
60年前、中原さんが気高町を生姜の産地に、と決め、種しょうがを買いに行ったのが何と「姫路の妻鹿」。
やはり当時播磨でも浜手を中心に生姜の栽培が盛んだったことがうかがえます。
残念ながら、当時持ち帰った「姫路」種は現在残っていなかったのですが、思いも知れぬ縁に一同歓喜。

今回は主に産地としての歴史や保存方法についてお聞きしました。
気高町では60年間も系統選抜してきた経緯もあり、町内には17もの横穴(!)が掘られ、各家々で生姜を保管されていました。
中でも中原さんの種保存は、穴の奥に生姜を並べ、白まさ土を上からかけて埋めておくという独自の方法でした。
その影響からか、生姜も保管中に白く美しくなるのだとか。



「保管中も息をしとるでな」
と、種生姜をやさしく扱う眼差しには感動を覚えました。
保存用のまさ土も、病気さえでなければそのまま穴の中で8年はもつそうです。



鳥取はもともと生姜の歴史が深く、江戸時代の文献に記録があったり、戦国時代に地元の大名亀井茲矩が南蛮貿易で小生姜を手に入れた言い伝えが残っていたりと、地元の方々の生姜への思いも強い。
生姜以外にも「はま茶」という豆科植物のお茶も生産され、“農業立国” 気高町の農への貴高さがうかがえました。

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