ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信17号(25年春)九州旅。岩崎、古野 保存会世話人代表 山根 成人

2013年06月11日 | 保存会通信17号
2013年1月21日~九州旅。岩崎、古野
保存会世話人代表 山根 成人

久しぶりに長崎旅行だったが、とにかく岩崎さんとこに最初に寄せてもらうことにした。
武雄温泉からレンタカーを借り、昼前には待ち合わせの展望台に着いた。
早速畑に向かう。

途中びっくりしたのは畑の土。
真っ赤といえるほどの赤土でテニスコートで時々見られるようなどぎつい色だった。
後で聞いたらこれは客土して入れたのだと言う。
「その土で作ったものは高く売れるとか言うてますよ」てなこと。

畑は3箇所見せてもらったが、1月末というのにどの畑もまだまだぎっしり元気な野菜が生きていた。
これをどうやって売り切るのだろうかと人事ながら気になった。
それにしても彼の説明を聞いているとこちらまで楽しくなるほど全く曇りがない。

「野菜の種はかわいい」と彼は言うが、それから育ち、また次の種を育む野菜たちにも同じようなまなざしで付き合っている。
一つ一つ入手の経路とそのルーツを語る姿は楽しくて仕様がないくらい生き生きとしている。
ダイコン、カブ、ブロッコリー。
2つ目には人参、水菜、ネギ、キャベツなんかがいづれも200メートルくらいありそうな長い畝に作られている。
前に来たときはこの2番目の畑であることはおぼろげながら記憶に残っていた。

100軒余りの消費者に配送していくだけでも大変な作業。
勿論作付け面積から言えば他にも販売先があるだろう。
「何人かに手伝ってはもらいますがね」

家族は奥さんとお母さんくらいだから収穫はほとんど出来ないだろう。
それに講演、集会、採種と保存、「ようやるなあ」としかいえないが、楽しそうな姿を見ているとそんな心配は無用だ。

耕作面積は3町歩、最後の畑は親戚に頼まれたと言うていたが、その奥には小さな休憩小屋も作り、中にはプロジェクターまで用意されていたから、ここにも見学者が来るのだろう。

作物の性質と味も一つ一つ克明に説明する姿からは実際に栽培し、食べているということが伝わってくるから聞くものを納得させ
る力がみなぎっている。
おろしダイコンにはコレだとか、カブの美味さではコレが一番とかすべてに実際に体験したものが言葉になっているところがすごいと思った。


昼を近くの食堂で済ませ、茶を飲みながら1時間余り喋っていたが飽きることがない。
めったに会うこともないが何のわだかまりもない会話が弾む「同胞なんだなあ」と感じあえる仲間であることを実感。
幸せなひと時を作ってもらった。


2日目は平戸へ、
長崎よりは勿論鄙びているがそれなりの歴史がある町で、古い商店街は味があった。

店は閉められていたがまだ現役だろうと思わせる種屋さんの立派な看板を見て思わずシャッターを押してしまった。
三浦按針の住んだ家が品のある喫茶処としていかされていたのも印象的。

観光は一応終わったのだが、
「母さん、ワシ古野さんに会いたいんやけどなあ、電話して、もし具合が悪いか、歓迎してくれ
ないようやったらこのまま帰る。もし歓迎してくれたら博多でもう一泊してもええか? ええやろ?」
「ええでえ電話してみたら」
長い間顔は合わせてないし、声も10年くらいは聞いてない。
どういうかちょっと分からなかったがとにかく電話。

運良く奥さん(久美子さん)が電話に出た
「ああ古野さん。姫路の山根やけど、久しぶりです」
「やあーー山根さん、お久しぶりです」
もうこの声のトーンでよかったと確信できた。
「長崎へ女房と旅してたんやけど、どうもあんたらに会いたくなってなあ、急に電話したんやけど」
「まあ懐かしい、寄ってください、今どこですか」
「着くのが遅くなると思うのですがね、今武雄温泉4時ごろになるかも。それにそっちの都合もあるやろし」
「いいですよとにかく来て下さい」

亭主の返事も聞かずにええんかいなと思うたが
「今日韓国から二組来ていて若い研修生ともう一組は今田んぼで電気柵の説明してるから夜一緒に食べましょうよ」
と言う。
「そんならお言葉に甘えまっせ、着いたら電話しますわ」

こんな調子で気分よく訪問できることになり、桂川駅まで久美子さんが迎えにきてくれた。
「隆男さんは現場で研修中だからもう少し遅くなりますけど、私が畑の案内させてもらいますよ」
この親密感はなんだろう。

小雨まじりの夕闇の中の畑の見学、
ここは岩崎さんと違って野菜類が殆ど収穫を終え、もう春の準備が感じられる様子だった。
広い畑の中、500メートルくらい先に3人の人影がある
「あれダンナか?」
「そう、現場で指導してるのよ」
まさにくれかけようとしている圃場の一角で話し合ってる農民3人の姿は何ともいえぬ情感は美しい絵でもあった。

それにしてもこの一箇所で6~7ヘクタールがかたまってある。
ここもここもと殆どが古野の圃場。
頼まれるというより貸してくれと頼み込んだというからすごい。

「ここは電気柵してるでしょう。米をやる田んぼは全部電気柵してるからよく分かるでしょ」
一番広い圃場から少しはなれたところではレンコンまで植えている。
まだ真っ暗になってないので少し離れた畑も案内するといって里山の裏側に回った。
「ここは私の郷のほうでね。ここは田圃だけ、後何もやらない」
という小川沿いからさっきの里山に向かう。

途中、古野さんが始めて就農したときの1年間堆肥つくりだけに費やしたという畑―――やはり思い出の詰まった地なのだろう。
地にはいつくばって草と土に命をかけてきた男のスタート地点だなあと我がことのような感慨をおぼえた。

終わったときもう闇になっていた。
しばらくしてダンナが帰ってきた。

「ヨー済まんな。前触れもなしに」
「よう来てくれてホント嬉しいね、今日はにぎやかだから一緒に飲もうと思ってね、ちょうどいい」
この挨拶で長い間会ってない空白は完全になくなった。

若い研修生が4人、畑にいたのが3人、7人の韓国人とにぎやかに楽しい晩餐会になった。
久美子さんのキムチつくりの先生という女性のキムチはあっさりとしていて今まで初めて味わったことのないものだった。
特に水キムチはうまかった。

「この酒飲んでくれ、ウチの米で作ったものや」
「へーーそれはよばれんとあかんなあ」
無農薬ヒノヒカリ、いわゆる飯米で作った酒「一鳥万宝」
カモの働きで出来た無農薬の純米種,有機米というのはザラにはない。
まさに宝物、少しある酸味が甘く感じられる女性好みの酒かなと思いつつ、こんな酒がここで飲める幸せを感じながら盃を重ねた。
国宝級とかいう「韓国の秘蔵の焼酎も取り出して宴は盛り上がった。

「山根さん有機農業やっててよかったですねえ」同感。
当時はよかった。

最高の旅ができた三日間、生きていることに感謝できた。ありがとう。

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