ひょうごの在来種保存会

会員さんも800名を越えました。活動報告を発信します。

保存会通信17号(25年春)【追悼】美方わさび 井口利次さんとのお別れ

2013年06月07日 | 保存会通信17号
井口利次さんとのお別れー設立時よりの強力な世話人
 保存会世話人代表 山根成人

 12月3日。
 昨日赤花ソバの本田さんのお世話になり、この日は小代区新屋の田野良幸さんを訪ね、お願いしていたイゴ芋を譲ってもらう予定だった。
 それでも途中井口さんに挨拶だけでも思い、立ち寄ったところ、田野さん夫妻がいて、井口さんはさっき豊岡病院に入院したと言う。
 家の中をごそごそしているので尋ねてみると田野さんの奥さんが井口さんの妹さんだということで、
 「何や、そんなこと教えてくれなんだからなあ、そんなご兄弟や」
 急なことだったので戸締りとか水周りとか点検していたところへ私が来たのだ。
 「骨か何かが喉に引っかかり、咽喉科にいっていたがうまくいかなかったようで、豊岡病院にまわされたようです」
 「そんならお顔だけでも見に行ってきますわ」
 「いやいや、それがかなり容態が深刻で行ってもダメです。会えませんから」
 へえー喉くらいと思ったが
 「手当てしているときに血が肺のほうにいったらしいのです。よう分からんのですがねえ。それに兄貴は血小板がもともと少なく血が止まりにくいのです。それでことが大きくなってるんです」
 「そうですか、心配やけどどうしようもありませんねえ。今日は埋めてもらってたイゴ芋をいただくつもりで来たのですがこんなことになるとはねえ」

 落ち着かない様子なので家に行って勝手に掘り起こしてきましょうかと言うたが、一緒にきてくれることになった。
 畑の隅に一株だけ置いてくれていたようで「まだ大丈夫と思うけどこっちは寒いからねえ」「大丈夫みたいですねとにかくもう一度味を確かめたいのでムリをいいました。有難うございます」ということで、またすぐに井口家に戻った。
 私は大谷の稲尾さん宅によって平井さんから頼まれていた唐辛子( 韓国在来種デファ草の生産と価格についての話をしてから帰路についた。


 それから数日して訃報は入った。
 どうも悪い予感が当たってしまった。
 葬式にも出席できずウチの仏さんの前で冥福を祈った。

 思い起こせば10年前に保存会を設立してからこんなに時間と熱意を持って応援してくれた人は他にない。
 ワサビの生き字引であるだけでなく、町長も経験し、村全体を知り尽くした人で、誰もがこの地域の第一人者と認めていた。
 自費でつくった百円道路、林道のによるワサビ田の壊滅、スキー場による河川の汚染など疲弊した集落にいつも頭を悩ませて、自ら畑ワサビに取り組みその経済性を呼びかけてもいたが、晩年は思うように行かないことも多かったようだし昨年は大雪と鹿の害で自分の畑も壊滅状態にまでやられていた。

 井口さんが我々にしてくださったことをせめて箇条書きにでもして記憶に留めて置こう。
・ 学生や仲間と訪問した際、昼夜を問わずワサビや地域の歴史と現状などの話をしてくれた。
・ 美方ワサビの熱血漢稲尾実さん紹介いただく。
・ 美方大納言復活させた奥谷光正さんを家に招き紹介いただいた。
・ 美方イゴ芋も紹介。田野弘子さん、田野良幸さん夫妻紹介いただく。
・ ケビ岡ワサビの調査に同行してくれ、宅見義久さんと交流。

 最後まで私のしつこい頼みに耳を傾けてくださった。
 何か劇的なお別れになったが保存会の象徴的な協力者であった。

 本当に有難うございました。 合掌

                     山根成人

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