幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

価値観の外 常識の外

2013-08-29 10:25:13 |  ├価値観の違い
おはようございます。

毎日お天気が安定しなくて
外干し派の私としては気が気じゃない最近の札幌です。

外干しできる期間が短い北国なので
今の時期くらい、心置きなく洗濯物を外ではためかせたいな。


未だ8月ですが、北海道ではすでに
雪かき道具のCMが流れ始めました。
ストーブの登場もすぐでしょう…。

『ママさんダンプ』なんて、
私はこっちに来るまで知らなかったわ~^^;


  


自分が生まれ育った地から遠く離れると
それまで気づかなかったいろいろなものが見えてきます。
当たり前も、当たり前ではなくなって。

海外に行くと日本が見えるものですが
国内においても、距離・気候・文化が異なる地がたくさん。

私にとっては、海外よりも国内での違いの方が
カルチャーショックが大きいです。


それは

 『最初から違うことをわかって赴く地』と

 『同じつもりで行ってみたら全然違った地』

との違いだと思います。


北海道…特に札幌で暮らすようになって(最初は稚内だったので)
こっちの人の口からよく聞くなぁと思うのが
『ジャスコ』と『コーチャンフォー』。


同世代の主婦層がみんな口を揃えて言うので
いかに生活に浸透しているものなのかを感じます。
(ちなみに稚内にはどちらもなかったので、耳にしませんでした)


昨日も釧路出身の友人との間の話題にコーチャンフォーが登場。
「私、こっちに来るまでコーチャンフォーって知らなかった」
と伝えたら「ええ~っ?!」と驚いた彼女。

その後彼女の調べで、コーチャンフォーは
釧路発祥のものだということが発覚しました。

なんと!!


 そりゃあ私が知らないわけだわ。

 そりゃあ彼女の生活に浸透しているわけだわ。


 『自分の常識は他人の非常識』


まったくその通りなのですが
それが

 自分の家庭や近辺のみのものなのか

 少し大きくなってその地域のみのものなのか

 それとも日本人なら知っていて当然のものなのか

の違いは、なかなか自分ではわからないものです。


それは、生まれ育った地を離れてみて初めて気づくものなのだと
体験して私もはじめて知りました。

特に生活に当たり前に浸透しているものは
それが“ない状況”という発想がそもそもないですものね。



東京は《首都》だけあって、良くも悪くもいろいろな物事の中心地。

テレビひとつとっても、東京ローカルがあることに
気づかない東京人はたくさんいます。

その原因のひとつは、

 全国版と地域版が同じクオリティで作られている上に
 ニュースを見ていても担当アナウンサーが変わらない

ということにあるかもしれません。


中高生の頃は、

 「『テレビ埼玉』や『テレビ神奈川』が入る」

なんて言うと

 「え~っ!!田舎~(笑)!」

なんて笑いの種になっていたくらい。


『違うもの』が
『田舎の象徴』みたいに思っていたのでしょうね、あの頃は。


もちろん、まだまだ自分の見ている世界が
今よりずっとずっと狭かったからこそ思っていた、
狭い価値観でのモノの見方だったわけですが。


 でもそれって、外に出ないと気づかない。


もしあのまま、東京から一歩も出ないで今に至っていたとしたら
私の感覚は今とは全然違うものだったろうと思います。

そしてそれは、ちょっと恐ろしい気がします…


頭では理解していたかもしれません。

…理解、
 したつもりになっていたかもしれません。


でも体験しないまま、本当に感覚で理解することはできないものね。


 自分の感覚の一歩外に出る。

 自分の価値観の枠組みの一歩外に出る。

 自分の常識を一歩外から見る。

 自分の立ち位置を一歩外から眺める。


その時見えたこと、感じたことの中に
たくさんの大切な真実が散りばめられているな~と
本当につくづく思います♡

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