おはようございます。
毎日お天気が安定しなくて
外干し派の私としては気が気じゃない最近の札幌です。
外干しできる期間が短い北国なので
今の時期くらい、心置きなく洗濯物を外ではためかせたいな。
未だ8月ですが、北海道ではすでに
雪かき道具のCMが流れ始めました。
ストーブの登場もすぐでしょう…。
『ママさんダンプ』なんて、
私はこっちに来るまで知らなかったわ~^^;
自分が生まれ育った地から遠く離れると
それまで気づかなかったいろいろなものが見えてきます。
当たり前も、当たり前ではなくなって。
海外に行くと日本が見えるものですが
国内においても、距離・気候・文化が異なる地がたくさん。
私にとっては、海外よりも国内での違いの方が
カルチャーショックが大きいです。
それは
『最初から違うことをわかって赴く地』と
『同じつもりで行ってみたら全然違った地』
との違いだと思います。
北海道…特に札幌で暮らすようになって(最初は稚内だったので)
こっちの人の口からよく聞くなぁと思うのが
『ジャスコ』と『コーチャンフォー』。
同世代の主婦層がみんな口を揃えて言うので
いかに生活に浸透しているものなのかを感じます。
(ちなみに稚内にはどちらもなかったので、耳にしませんでした)
昨日も釧路出身の友人との間の話題にコーチャンフォーが登場。
「私、こっちに来るまでコーチャンフォーって知らなかった」
と伝えたら「ええ~っ?!」と驚いた彼女。
その後彼女の調べで、コーチャンフォーは
釧路発祥のものだということが発覚しました。
なんと!!
そりゃあ私が知らないわけだわ。
そりゃあ彼女の生活に浸透しているわけだわ。
『自分の常識は他人の非常識』
まったくその通りなのですが
それが
自分の家庭や近辺のみのものなのか
少し大きくなってその地域のみのものなのか
それとも日本人なら知っていて当然のものなのか
の違いは、なかなか自分ではわからないものです。
それは、生まれ育った地を離れてみて初めて気づくものなのだと
体験して私もはじめて知りました。
特に生活に当たり前に浸透しているものは
それが“ない状況”という発想がそもそもないですものね。
東京は《首都》だけあって、良くも悪くもいろいろな物事の中心地。
テレビひとつとっても、東京ローカルがあることに
気づかない東京人はたくさんいます。
その原因のひとつは、
全国版と地域版が同じクオリティで作られている上に
ニュースを見ていても担当アナウンサーが変わらない
ということにあるかもしれません。
中高生の頃は、
「『テレビ埼玉』や『テレビ神奈川』が入る」
なんて言うと
「え~っ!!田舎~(笑)!」
なんて笑いの種になっていたくらい。
『違うもの』が
『田舎の象徴』みたいに思っていたのでしょうね、あの頃は。
もちろん、まだまだ自分の見ている世界が
今よりずっとずっと狭かったからこそ思っていた、
狭い価値観でのモノの見方だったわけですが。
でもそれって、外に出ないと気づかない。
もしあのまま、東京から一歩も出ないで今に至っていたとしたら
私の感覚は今とは全然違うものだったろうと思います。
そしてそれは、ちょっと恐ろしい気がします…
頭では理解していたかもしれません。
…理解、
したつもりになっていたかもしれません。
でも体験しないまま、本当に感覚で理解することはできないものね。
自分の感覚の一歩外に出る。
自分の価値観の枠組みの一歩外に出る。
自分の常識を一歩外から見る。
自分の立ち位置を一歩外から眺める。
その時見えたこと、感じたことの中に
たくさんの大切な真実が散りばめられているな~と
本当につくづく思います♡
毎日お天気が安定しなくて
外干し派の私としては気が気じゃない最近の札幌です。
外干しできる期間が短い北国なので
今の時期くらい、心置きなく洗濯物を外ではためかせたいな。
未だ8月ですが、北海道ではすでに
雪かき道具のCMが流れ始めました。
ストーブの登場もすぐでしょう…。
『ママさんダンプ』なんて、
私はこっちに来るまで知らなかったわ~^^;
自分が生まれ育った地から遠く離れると
それまで気づかなかったいろいろなものが見えてきます。
当たり前も、当たり前ではなくなって。
海外に行くと日本が見えるものですが
国内においても、距離・気候・文化が異なる地がたくさん。
私にとっては、海外よりも国内での違いの方が
カルチャーショックが大きいです。
それは
『最初から違うことをわかって赴く地』と
『同じつもりで行ってみたら全然違った地』
との違いだと思います。
北海道…特に札幌で暮らすようになって(最初は稚内だったので)
こっちの人の口からよく聞くなぁと思うのが
『ジャスコ』と『コーチャンフォー』。
同世代の主婦層がみんな口を揃えて言うので
いかに生活に浸透しているものなのかを感じます。
(ちなみに稚内にはどちらもなかったので、耳にしませんでした)
昨日も釧路出身の友人との間の話題にコーチャンフォーが登場。
「私、こっちに来るまでコーチャンフォーって知らなかった」
と伝えたら「ええ~っ?!」と驚いた彼女。
その後彼女の調べで、コーチャンフォーは
釧路発祥のものだということが発覚しました。
なんと!!
そりゃあ私が知らないわけだわ。
そりゃあ彼女の生活に浸透しているわけだわ。
『自分の常識は他人の非常識』
まったくその通りなのですが
それが
自分の家庭や近辺のみのものなのか
少し大きくなってその地域のみのものなのか
それとも日本人なら知っていて当然のものなのか
の違いは、なかなか自分ではわからないものです。
それは、生まれ育った地を離れてみて初めて気づくものなのだと
体験して私もはじめて知りました。
特に生活に当たり前に浸透しているものは
それが“ない状況”という発想がそもそもないですものね。
東京は《首都》だけあって、良くも悪くもいろいろな物事の中心地。
テレビひとつとっても、東京ローカルがあることに
気づかない東京人はたくさんいます。
その原因のひとつは、
全国版と地域版が同じクオリティで作られている上に
ニュースを見ていても担当アナウンサーが変わらない
ということにあるかもしれません。
中高生の頃は、
「『テレビ埼玉』や『テレビ神奈川』が入る」
なんて言うと
「え~っ!!田舎~(笑)!」
なんて笑いの種になっていたくらい。
『違うもの』が
『田舎の象徴』みたいに思っていたのでしょうね、あの頃は。
もちろん、まだまだ自分の見ている世界が
今よりずっとずっと狭かったからこそ思っていた、
狭い価値観でのモノの見方だったわけですが。
でもそれって、外に出ないと気づかない。
もしあのまま、東京から一歩も出ないで今に至っていたとしたら
私の感覚は今とは全然違うものだったろうと思います。
そしてそれは、ちょっと恐ろしい気がします…
頭では理解していたかもしれません。
…理解、
したつもりになっていたかもしれません。
でも体験しないまま、本当に感覚で理解することはできないものね。
自分の感覚の一歩外に出る。
自分の価値観の枠組みの一歩外に出る。
自分の常識を一歩外から見る。
自分の立ち位置を一歩外から眺める。
その時見えたこと、感じたことの中に
たくさんの大切な真実が散りばめられているな~と
本当につくづく思います♡
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