幸せのカケラ

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自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

お調子者の弱音吐き

2015-11-10 01:43:13 |  ├弱っているとき

久しぶりに深夜の弱音吐き。


この週末あたりから、体調がガタ落ちです。

去年の前半までとはだいぶ変わって動くようになってきた私の体。
この春にはZUMBAにも出会って、
体が自由に動くことの素晴らしさを感じていました。


ブログを長く読んでくださっている方はご存知のことと思いますが、
2010年の夏に倒れて以来、長い時間をかけて闘病生活を送っていました。

全身麻痺や全身痙攣、言語障害に呼吸困難と、
様々な症状が体に現れ、一時期は車椅子生活。
10m歩けた日には拍手喝采。
指1本も自分の意志では動かせない…

「健康」じゃないと本当に何もできないんだということを痛感した日々は、
遠い過去なのか、近い過去なのか、それとも現在進行形なのか…。


体の痛みや苦しみがだんだんなくなって
少しずつ動けるようになって

ずっとしてみたかったダンスができる環境になって
体が動くのが嬉しくて
健康って素晴らしいと嬉しくなっちゃって

そんなつもりはなかったけれど
嬉しすぎてちょっと調子に乗ってるよという体からのメッセージかな?

ここ数日の体の苦しさーー特に呼吸のできなさーーは、
倒れて辛かった頃の呼吸状況と似ているように思います。


だんだん元気になって
激やせした重病人だった私を知らない人たちの中で過ごすようになって
(または知っていてもそれはもう過去のこととして扱われるようになって)
自分もいつまでも「病人」という立場にはいられなくて…

そうなると、もしかしたら人は無意識に
「元気な自分」を演出するようになるのかもしれません。


 調子を崩すと何か言われるんじゃないか…

 「またなの?」「まだなの?」って言われるんじゃないか…

 「踊ってるくせに体調悪いなんて、ないでしょ」と言われるんじゃないか…


意識して思っていたわけではないけれど、
心のどこかにはそういった恐怖があるように思います。


踊るのが楽しくて
体が動くのが嬉しくて
やりたかったことをするようになって

でもこれだけするのなら、

 “あれもしなきゃいけないかな…”

が出てきてしまったりして。


体が泣きたがってるのがわかる。
なのに泣けない。


他人なんて関係ないって頭ではわかってる。
でも人の目や評価を気にする私が出てくると、
途端にわからなくなってしまう。

 「調子の悪い人が踊れるわけないでしょ!」って言われるかもしれない。

だから

 踊ってる
  =健康
  =完璧
   ⇒調子が悪いなんてあってはならない

 楽しんでる人
  =心身・時間・経済的にゆとりがある
   ⇒調子が悪いなんてあってはならない

 好きなことをやってる人
  =贅沢
   ⇒調子が悪いなんてあってはならない

こんな、意味のない方程式ができてしまう。

こんな方程式を唱えている人が目の前にいたら、
たぶん私は根底から覆すのだけれど。
だって本当に意味がない。

なのに自分のことになった途端怖くなるのは、
そういった嫌味を過去に言われたことがあるからかもしれません。


こういう自分のダメな部分を晒すのにも勇気がいる。

でもダメだ。
かっこつけても、体は正直。
ゆっくり呼吸したいもん。


先週、調子にのって踊りまくった、お調子者の深夜の弱音吐き。

だって体が動くって、本当に本当に嬉しいのよ…
『踊る』なんて、30年来やりたかったことだったのよ…

もしかしたら今やっと、病人から抜け出して
健康な人間としてのレベル1から積み上げていけるようになってきた時期なのかもしれないなぁ…とかね。


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