幸せのカケラ

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自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

眠れない、弱音を吐きたい夜

2014-05-16 23:59:58 |  ├弱っているとき
眠れない夜。
調子が悪くて横になってもいられないからパソコンに向かってみた。

2010年の夏に倒れてからの3年半。
カラダは苦しかったり痛かったりがずっと続いていたけれど
病気と向き合う時間は結構いいものだと思っていた。

自分にとって必要な時間だな~…と本気で思っていたし
(それは今も思ってるけど)
ひたすら自分の体と向き合えたし
心の中に抑え込んでいるものとも向き合った。

家族(特に母)が向き合ってくれたことで
30数年分ガマンして押し込めて溜めこんでいたものを
外に出すことができたし
夫とも徹底的に向き合った。

だからもう、自分はかなりクリアになったと思っていた。

闘病ブログは私がもともと仕事に関するものとして書いていたものではなく
私のこの闘病体験が少しでも、今どこかで私のように苦しんでいる人や
その人にとって大切な人に役に立てばいいなと思って書きはじめた。

そんなにバンバンアップはしてこなかったけど
それなりに伝えたいことを書いていたつもりだった。

更新履歴を見ると、去年の9月でいったんストップしている。
10月に何があったのか。

実は昨年10月に私は、3年ぶりに仕事復帰したのだ。
そうしたら書けなくなってしまった。

生活の中の時間配分が難しいと感じたのかな?とか
書き尽くしたんだったかな?とか
ごちゃごちゃ考えてみたけれど、たぶんそんなんじゃない。

私の中の潜在意識にインプットされている「ねばならない」とか
「いい子な部分」が働いてしまったと考えた方がしっくりくる。

お仕事スイッチが入った途端、そこが強く働きはじめてしまったみたい。

べつにいい子でいなくていいのに。

思えばこのブログは、役に立てるといいなと思うのと同時に
「こんなんでも何とかなってるよ!」とか
「何十年も病院で散々な目にあって、やっと今だよ!」とか
そういうことだって伝えていいと思って書き始めたのだ。

なのにいざとなったら怖くなってしまった。
職業柄…もあるかもしれない。


自分の体調が悪いときに書くということは
明るい話題は書けない可能性が高い。
乗り越える前、まさに真っ最中のことだから。
「いい子な優等生」でいることに慣れてしまった私は
どうしたらいいのかわからなかった。

でもべつに、いいんじゃないの?

だってそっちの方が人間ぽい。
常に元気、常に前向き、常に明るい話題を提供し続けられる なんてありえない。
人間だもん。

だからこそ私はそうじゃないとき、パソコンに向かえなくなってしまっていたわけだけれど。


というわけで、ちょっと弱音を吐いてみることにした。
怖いんだけどね。
「ネガティブなことなんて読みたくねぇ!」って言われたらどうしよう…とか、妄想に囚われる。

なのでたぶん、全部はまだ出せない。
でも出せる範囲で。
それこそ妄想なんて、ウキウキわくわくしたことだけしていたい。


 ↑
これは昨日の…というか今朝方3時過ぎのこと。

気づいた?
弱音を吐くことに言い訳してるの、私。
それくらい、弱音を吐くのに慣れてないということだ。

この10数時間後の今。
私は「出してみてもいいかな…」とこれを書いたときよりも思えるようになっている。

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