幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

迷走の先 ②

2016-03-25 22:00:00 |  ├自分らしさ

迷走の先 ①』のつづき。



グルグル思考に陥るのにはパターンがある。
迷宮から抜け出すための、ひとつのアドバイスをもらった。


 なるほど。

 とりあえずやってみよう。


そう決めて、今後の動きを見直し考えてみた。
するとどうだろう。

数日後、寝込んでしまうほどのとんでもない口内炎を発症。


 またか!


何かにストップをかけられているのか。
それとも逃げたいだけなのか。

ふいに以前言われたことを思い出した。


 「体調不良は間違った方向に進んでいるときのサイン」





回復してくる中で、大きく体調を崩すときは決まってそうだった。

社会復帰する前、そろそろ仕事を…と思うときにもそれは起こった。
3回くらい。
それでも当時は「まだってことか」と簡単に受け入れられた。

だが自由に動けるようになり、私の病気も何も知らない人と出会う中でそれは次第に薄れていった。

基本的に元気に動けるときにしか人には会わない。
それはイコール、「いつも元気な人」という印象を相手に抱かせるのだ。

どんなに辛さを訴えたところで、体調の浮き沈みは受け入れてもらえない。


 「そんな風には見えないわ~」


そうでしょうね。

みんな自分の経験の窓から世界を見る。
自分に置きかえて考える。ものを言う。

似た経験をしたことのある人にしか通じない。


生活が “普通” になればなるほど、体からのサインがメッセージではなく、言い訳に思えるようになってしまった。




だがしかし

ここまで強烈なメッセージ。
拾わないと、きっとまた同じことが繰り返される。

そんなわけで、口内炎になる前後を振り返ってみた。


見えてきたのは

「とりあえずやってみよう」の底にあった「やらなきゃ」。


  “とりあえずやる” のはいい。
 でもコレをするなら、結局苦手なアレをしなければならない。

 期間限定ならがんばれるかな?

 やらないと、結局うまくいかないんだろうな…


そんな「ねばならない」たち。


 「~べきだ」「~ねばならない」


これらの思考が機能しないことはもう知っている。
そして


 努力・忍耐・根性


大嫌いな3大ワード。

それを繰り返しても幸せな結果は手に入らない。
もう知っている。


それでも社会にはまだまだそれを美徳とする人は溢れている。
ときに潜在意識は、わざわざそれを言う人のところへ自らを導き、

 「ほ~らね、やっぱりやらなきゃね」

と確認行動に走らせるのだ。

 

苦しみと同時に、アホらしさを感じた。



人は「光」の面を見ることに恐怖や戸惑いを覚えるのだと言う。
「できる自分」より「できない自分」を語れる人の方が多いのが、それを裏付けている。


 好きなことだけする

 楽しいことだけする


そうやって生きていい。
それは怠慢でも何でもない。

でも人は言う。


 「好きなことだけやって暮らしていければそりゃいいだろうけどね。
  そんなことはありえない」


そうやって生きたことがなければ、そりゃそうだ。


 「料理も掃除も洗濯もしなかったら、生活がまわらないじゃない!」


料理も掃除も洗濯もしなくたって、死なないよ?

やってみればいいじゃない。
あなたが怖がっているのは本当はそこじゃない。

自分の存在意義を失うようで怖いのだ。
「やることがない」のは恐ろしい。

だから必死に取り繕う。


 「好きなことだけして暮らすなんてありえない」


そうやって生きると決めた自分を止めるのは、こういう人たちを無意識に利用する自分の潜在意識だ。


誤解されると困るのでお伝えしておくと、私は「ありえない」と言っている人が悪いとか間違っていると言っているわけではない。

「好きに生きると決めた自分」を止めるのが、彼らに会いに行く自分の潜在意識だということ。


 「ほ~らやっぱりね。
  結局、無理なんだよ」


確認する。
そしてもとの枠の中に収まる。
変わる必要がないから、少し安心しつつ。
違和感と苦しみを感じながら、また思考の迷宮を歩き出す。


自分の人生は自分のものだ。
どう生きようと、どう使おうと自由。

自由には果てがない。
だから自由と光を受け取る覚悟がないときは、枠の中に収まっていた方が楽なのだ。

だって考えなくていいんだもの。


でも少なくとも私は、そんなのは嫌だから。
「やらなきゃ」と思ったことはやめておこう。


カチャカチャと硬い装備が外れてきた。

体の動きが、軽くなった。


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