goo blog サービス終了のお知らせ 

幸せのカケラ

人と違っていい。
自分らしく生きる自分を好きでいていい。
笑顔で毎日を過ごす人が増えることが、世界平和への秘訣。

受け取るのをやめた時、愛は途絶える

2014-04-16 15:51:36 |  ├自分らしさ

「受け取る愛」と「与える愛」。
その愛は、わかりやすく人と人の間で行き来するだけではなく
自分と自分のカラダとの間、
自分と地球との間、
自分と世界との間にも飛び交っています。

それは意識しないと気づかないかもしれない。

でもちょっと意識して気づくと
その深さや大きさに感銘を受けます。

以前、ドイツの精神分析家、エーリッヒ・フロムの言葉
『愛とは与えること』と
ピンクの持つキーワード『与える愛』のお話をしました。
『愛とは与えること』の意味~ピンクのキーワード 参照)

『愛』と言われると、私たちは恋愛にちなんだことや
親子間での愛を思い浮かべやすいです。
きっとそれは、自分のまわりや社会において、またはメディアを通して
「愛=アレ」と刷り込まれているからでしょう。

でも愛って、それだけじゃないよね。
もっと深いし、もっと広い。

たとえば私は、自分が自分を生きているという感覚を
カラダの中心で感じることができるとき、世界とつながっている感じがします。

 世界に愛されているシアワセ。
 世界を愛している自分がいる幸せ。
 世界を愛しているしあわせ。


私たちが生まれる前。
お母さんの胎内で3~4週ほど過ごした頃、
私たちはお母さんから血液をもらうそうです。

私たちのカラダに流れる血液は、最初から自力で創りだしたわけではなく
お母さんから受け取ったものが始まりだということ。
つまり愛は、血液という無条件の愛を受け取るところからはじまっている。

この話を聞いたとき、私はものすごく納得しました。

このボトル、ブルーが上にあるでしょう?

カラーボトルの読み方のひとつに、「上が優位」という見方があります。
ブルーは受け取る愛、ピンクは与える愛の色。

つまり、受け取ってから与える。

受け取らず、自分の持っているものをあげてばかりいると
いつか枯渇してしまいます。
だって循環しなくなるわけだから。

例えばネグレクトや子どもの虐待は
親が子どもからの愛を受け取らなくなった時がはじまりではないでしょうか。

子どもの側は必死に訴えて伝えています。
どんなに傷ついても傷つけられても、責める先にいるのは自分。
お母さん、お父さんのことは大好き。
子どもからの愛の発信はされているのです。

愛の循環を途絶えさせてしまうのは、受け取らなくなった側。

受け取らなくなってしまった時
与えるものもなくなってしまいます。

夫婦間で、親子間で、友人間で
職場で、学校で、仲間の間で
そして世界や地球、自分自身のココロやカラダとの間で
「私はちゃんと、愛を受け取っているのか」
「受け取って、ありがとうを伝えられているのか」
「そして愛しているのか」

謙遜は美学?
そのために、受け取るのが特に下手になってしまった日本人。

愛してるを、受け取ってもいいんだよ。





ポチっとしていただけたら嬉しい♪

どうもありがとうございます!

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

おまえと社長の一番の違いは何だ?

2014-04-16 11:25:08 |  ├自分らしさ

社会に出て最初に勤めた会社で私が就いていたのはインテリア関係の設計職。
いろいろ悩んでいたとき、上司に言われました。

 「おまえと社長の一番の違いって何だと思う?」

 経験?

社長と、社会に出てたかだか3年くらいの私。
そりゃあ違いはいろいろあるけれど、「一番」と言われて浮かんだのはこれでした。

でもその上司は言いました。

 「どれだけ本物に触れているかだよ」

あの頃は、よくわかりませんでした。
いえ、頭では…言葉としては理解できています。

でも
「どうすればいいの?!」
「自力でしょっちゅうイタリアやドイツになんて行けないよ」
(その会社はイタリアやドイツからの輸入家具を扱っていました)
「圧倒的に時間もお金も経験も足りない…!」
「本物って、どうやって触れるのさー?!」

こんなことが、頭の中をグルグル回りました。


時を経て今。
あの時の上司の言葉は、私の中で消化吸収され、私のモノになった感覚があります。

言葉での表現方法はいろいろありますが、その中のひとつが

 「目を肥やす」

人はいいものを見続けると、目が肥えます。
目が肥えると、いいものを見抜く力がつくだけではなく
悪いものを見抜く力も同時に得られます。

うーん…
本当は「いい」「悪い」という表現だとちょっと違うのですが…

例えば「自分に合うもの」を身につけているときの鏡の中の自分。
肌艶は良く見えるし、明るくて楽しそうだし、何よりかわいい!

いい状態の自分がわかるから、もっともっとそれを堪能したくなる。

 これはどうかな?あれはどうかな?

洋服もメイクも、自分に似合っているものと上手に付き合うと
「私ってこんなにかわいい~!!」
なんて自分で思えてシアワセな気持ちになるわけです。

かわいい自分(「かっこいい」でも「美人な」でもいいけれど)を
味わえれば味わえるほど、どんどん目が肥えていきます。

そしてある日、自分に合わないものを身につけて鏡をのぞいたとき
一目で見抜けるようになっているのです。

 「これ似合わないーーー!!」

ある時の私なんて、昔着ていたニットを引っ張り出して、着てみて
鏡の前に立った瞬間に脱ぎ捨てたくらい。

 「げーーーっ!!私、この顔で会社に行ってたんだーーー!!」

しかもあの頃は毎日終電生活で、朝もギリギリだったから
ノーメイクで会社に駆け込んでいたのです。

 ああ…今思えばきっと、ひどい顔色で、元気なく見えて
 老け込んで見えたり不機嫌に見えたりしてたんだろうなぁ…
 いやはや…今もおつきあいを続けてくださっている
 同期や先輩、上司の方々に感謝^^;

なんて思ったり。


さてこの「目が肥える」ですが、
自分のいいところを引き出した『自分らしい状態の自分』でいると
自分だけではなく、それをしょっちゅう目にする周りの人たちの目も
勝手に肥えていってくれます。

家族や、毎日職場で会う人などは、特に顕著。

私の母はたまに「かわいいの見つけた!」と言って洋服を送ってきてくれるのですが
これまたチョイスが抜群!

色も柄もサイズも雰囲気も、私にぴったり!

おかげで自分では全然洋服を買わなくても
自然に似合う服が増えていっているという嬉しい現象が(笑)

でも思えば昔…
まだ私自身が「自分らしい」とか「自分に合う」というものがわからず
好みと理想だけで自分を作っていた頃は、
母もまた、自分の好みや母に合うものを基準にチョイスしてくれていました。

なので「気持ちは嬉しいけれど、なんとなく違和感がある」
そしてそのうち着なくなって申し訳なく思う…
なんていうことがよくあったのです。

それが今は、ない!

これはもう、本当に嬉しい☆


 「おまえと社長の一番の違いって何だと思う?」
 「どれだけ本物に触れているかだよ」


どんなことに対してでもいい。
モノでも、自分の外見でも、カラダでも、ココロでも
ひとつの感覚を高く大きく繊細に育てることができて
さらにその感覚をその世界だけに閉じ込めず、
あらゆる世界で育てられるのだという視点を持っていれば
いろいろな世界・分野において、この言葉は生き続けると思うの。


 私はかわいい私を知っている。
 でもきっと、もっとかわいい私が、まだまだいるのだ^^





ポチっとしていただけたら嬉しい♪

どうもありがとうございます!

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

『理解』の落とし穴

2014-04-10 18:18:13 |  ├自分らしさ

頭で理解することと、感覚に落とし込むこと。
この2つは全然違う。

頭での理解は「そうなんだ~」と思ってそこで終わり。
残念ながらしょせん他人事です。
自分のものになっていないから、そういう風には生きていない状態です。

でも自分の内側にストンと落ち、感覚で掴んたものは
自分のものになっている。
そういう風に生きる自分になる…と言えばいいかな?

 でもこれは、ここで終わりじゃない。
 まだまだ先がある!

ということを最近すごく感じています。


「おおっ!」と感じて自分の中に落とし込めたことに関して
断続的に自分が「そうある」「そう見る」「そう区別する」のは比較的可能。
そういう自分でいられます。

でもそれが途切れることなく、自分が「そうあり続けているか」となると
これまた別の話なのです。

 そうだった、そう思ったんだった。
 そうそう、この感覚が大事だった。

これは一例ですが、こう気づく(感じる)ということは
「そうではない自分の時間」があるということですよね。

 その場からいなくなる自分。
 現実の世界からいなくなる自分。
 現在という時間からいなくなる自分。

一度「おおっ!」という感覚を味わったことがあるからこそ
自分はもう掴んだと思ってしまう。
その先を探究しなくなってしまう。

その先の広さや深さがあること。
ゴールだと思った先にはまだ道が続いているということ。

 『その場にい続ける』
 『そうあり続ける』

今の私の探究テーマです^^





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

自分らしさを創造する

2014-04-02 10:52:56 |  ├自分らしさ

おはようございます。

桜満開の新年度…ではないけれど札幌は(笑)
みなさま、春の味わいはいかがですか?

私は昔から、4月1日より2日の方が新年度になったと感じます。
4月2日は小学校の同級生H田君のお誕生日。
「この学年で一番早く○歳になっちゃうんだ~!!」
と思ったからかなぁ??^^

ちなみに私は本日、生まれてから13924日が経過しました。



さて最近の私は、前以上に
自分自身の中にあること、起こっているもの、
カラダが訴えてきているものの声に耳を傾けてお話しています。

今月17日より新たに開講する講座【カラダ デトックス コーチング】を
創るためにも今必要な作業だな~と思っているのですが
それ以上に、ココロやカラダ…そして自分自身とコミュニケーションすることの
終わりない深さを感じています。

ココロとカラダのつながりはとても感じていたけれど
それだけではなくて、カラダが世界と繋がっていることを感じたり
自分が自然の一部であることを実感したり。

世界って、シンプルだけど深い。
広いけど、コアは確かにある感じ。

そして、私が伝えたいこと、お届けしたいことを
私はきちんと表現できているのだろうか…
伝えることができているのだろうか…
と思い、自分の言葉を見直してみました。

あなたに届きますように。。。


*☆+:。・。..*☆*☆+:。・。..*☆*☆+:。・。..*☆*☆+:。・。..*☆


就職・結婚・出産・子育て・社会復帰・介護…
女性の生活はその都度変わっていきます。
めまぐるしく変わる環境・人間関係。
恋人のこと、旦那さんのこと、子どものこと、実家のこと、仕事のこと…

戸惑いながらもやってみてうまくいったり失敗したり。
その時々で順応しようと必死にもがいて。
時にはその変化に対応しきれず、ストレスを溜め込んだり
自分さえガマンすればと諦めたり。
自分と向き合う時間が持てないことが、あなたの笑顔を奪い
行き先を見失い、毎日を悪循環の中に追い込んでしまうのです。

そしてある日、思うのかもしれません。

『自分らしく生きたい』 『自分らしく暮らしたい』

1000年も前に書かれた『源氏物語』の中でも紫の上が
女性の生き方について考えています。

いつの世も、時代が変わっても、女性は常に悩み、探しているのかもしれません。
『本当の自分』を。



自分らしさって何だろう?

「なりたい自分になる」 とか 「好きを仕事にする」 とか
何年か前から、メディアなどでもよく耳にするフレーズになりました。

でもその「なりたい自分」というものが、本当に自分の内側から沸き起こってきたもの
なのかというと、残念ながらそうではない場合が多々あります。

実はそれは、それすらも、
生まれてから今までの人生で出会ってきた人や環境や価値観――つまり
親や教師、パートナーや友人知人といった周囲の人間、学校や会社、メディアや
社会構造などによってそう思わされている(思い込んでしまっている)自分像である
可能性が大いにあるのです。

私はこのことを、多くの方々との会話やセッションを通じて
また自分自身がココロやカラダと対話したり観察したり体験したりすることによって
気づきました。

では本当の自分とはいったいどこにいるのか?
自分らしさとは一体何なのか?

あなたが『自分』だと思い込んでいるあなたは、
本当のあなたではないかもしれません。

「そろそろ“私”を見つけてあげてもいいかも…」

もしどんな気持ちが沸き起こってきたら、一緒に探していきましょう。



ココロとカラダの声、自分らしく生きること

『自分のココロとカラダの声を聴いて自分らしく生きること』

それは女性にとって…いえ、現代では女性だけではありませんね。
すべての人にとって
 家庭を持ちながら社会と関わっていくこと
 仕事をしながら家庭とのバランスをとっていくこと
 さらに仕事と家庭を両立しながら、プライベートを楽しむこと
に繋がるキーとなる重要な要素です。

私自身、結婚して見知らぬ土地で暮らし、
社会とのつながりの持てない環境に苦しみました。

そんな中で、家庭を大切にしつつ自分も好きな仕事ができたらいいなと
もがき、動き、探し、出会いました。

そして大きな病気を経て、今、ココロとカラダの声を聴けるようになり
自分自身を向き合い自分らしく生きられるようになってきました。


自分らしさを創造していく

ココロの健康、カラダの健康。
『健康』という土台があって初めて、
自分らしいシンプルでナチュラルな暮らしを創れます。

これは私が、カラーセラピーやコーチング、パーソナルカラーなどを通して
体験したことだけでなく
『食』の力を借りてカラダのデトックス(毒素排出)を行った際に気づいたこと、
そして3年に渡る闘病生活を送る中で改めて大切だと思ったことです。

当たり前すぎる『健康第一』という日本語。
当たり前すぎて、私たちは「わかったフリ」をしていることもしばしば。
でもやっぱり『健康』があって初めて、
『自分らしさ』を創造し、表現できるようになるのです。

  健康 × 自分らしさ = 素のまま美人

自分らしさを発見してシンプルにナチュラルに生きる。
キラキラしている人はみんな、ここにいます。





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

『行動力』の秘密

2014-02-25 15:53:45 |  ├自分らしさ

こんにちは。

札幌は昨日今日と暖かく、雪が溶けて道路が大変なことになっています。
…といっても、道路脇の雪山はまだまだスゴイ高さですが…^^;


先週、いきなり思い立ってお伊勢参りに行ってまいりました。

自分の中の澱んだ停滞感から抜け出したくて。

動きのない環境にいてもダメになるだけだな…と思い
水曜日の夕方に思い立った私は、その場で翌日の飛行機を予約し
翌朝には千歳から飛び立っておりました。

我ながら、素晴らしい行動力でした!(笑)


私は、あるプライベート部分に不安を感じると
すべてが引きずられて動かなくなる…というパターンを持っています。

自分の弱点ではありますが、心のクセや行動のクセは
弱っているときほど出てしまいがち。

こういう時は、動いてしまうに限ります。
動けば、溜まっていたものが流される。

川の水のように、風のように。

特に私は、色で言うとターコイズ×イエロー(ゴールド)タイプなので
常に新鮮なものが流れていないとダメなのです。


 ターコイズ×イエロー タイプ?


川・水・流れ・クリエイティブ・浄化・クリア・涙
古代からの知恵や知識・芸術と科学・温故知新 を司るターコイズと
光・軽さ・知恵・知識・思考・新しいモノ・風 を司るイエロー。

私はこんな感じ。

よくわからな~い!という方は、
セラピスト養成講座でお会いいたしましょう♪



自分のパターンといえば、私は自分のことを
『行動力がない』と思っています。

でも他人から見ると『行動力がある』ように見えるそう。

このギャップは何かな?とずっと気になっていたのですが
今回の我ながら…な行動を見て、わかりました。

『行動力』という言葉に内包されているものを細分化したときに
自分が何てことなく動ける部分と、萎縮して動けなくなる部分の違い。

何に対する行動なのかによって、
私の行動は大きく変わっていることに気づきました。


 なるほどね…


この部分に対しては『行動力』とすら思っていない私。

でもあの部分に対しては、苦手なあまり
『行動できない』『どう動いたらいいのかわからない』と思っている私。

後者はなかなかに、苦しいものです。


確かに自分の苦手を克服することは大切です。
特に経験がないだけなら、
やってみたらたいしたことなかったなんていうことも往々にしてあるものね。

でもゴールがそこじゃなかったら?

苦しい思いを抱えながらイヤイヤするよりも
うまく使えるなら自分が得意とする部分を使った方が
自分が見ている世界には辿り着のでは?

『行動』そのものが目的ではないのだから。


そんなことを思った、お伊勢参りでありました。

さて
伊勢の神様たちのおかげで何かが抜けた感じ。

また、みなさまとの新たな出会いや再会を楽しみにしております♪





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

女性の生き方、夫婦のカタチ

2013-12-13 08:17:49 |  ├自分らしさ

おはようございます。
昨日とは一転して、真っ白な札幌です。

夕べ、この家に引越してきて以来初めて
ひとりで夜を越しました。

結婚以来、夫の出張なんて何度もあったことなのに
場所が変わるとなんとも新鮮なものですね。

全然変わらない部分と、いつもとは異なるペースが共存。
夜更かしするかと思いきや、意外と規則正しく動いている自分がいたりして。

私は1人で過ごす時間が好きだし必要ですが
それと同じくらい、夫と過ごす時間が大好き。

夫婦のカタチはそれぞれだと思いますが
みなさんはいかがですか?



20代の頃、30代のいとこから
「20代に戻りたいとは思わないの。30代の方がずっと楽しいから!」
という言葉を聞き、とても素敵だと思ったのを覚えています。

私はちょうど29歳のときに独立して仕事を始めたので
幸い30代はワクワクで迎えることができ、
いとこの言葉は「本当だ~!!」と実感することができました。

何故か日本は昔から「若い方がいい」とか
「学生時代の方が楽しい」なんていう刷り込み(?)
のようなものがありますが、私は逆です。

『過去』より『今』が楽しく充実してる方が、私は嬉しい。

なので過去に戻りたいとはまったく思いません。
どちらかというと、戻されたくないです(笑)

30代前半の頃は、やたらと30代後半の方との出会いがありました。
今はまた40代の方々との出会いが多いなぁと思っています。

少し先の未来の自分の生き方を考えるきっかけとなるような出会いが
引き寄せられているのかな~?なんて思っています(*^^*)


『生き方』と言えば、私が本気で『生き方』を模索し始めたのは25歳の頃。

もちろんそれまでも、大学受験や就職活動で
進路や職種を考えることはありましたが
社会に出たことがないまま自分の将来を決めるってとても難しいですよね。

学生時代にものすごーく好きな世界との出会いがあって
それを一生やっていきたいと思えるのは幸せなことですが
そんな出会いができる人はごく少数。

社会に出て働いてみて初めて、「こういうことか!」がわかり
「自分は何をしたいのかな?」「どう生きていきたいのかな?」と
模索するようになります。


25歳の頃、当時出会った友人や、再会した同級生たちは
ことごとく同じ悩みを抱えていました。

それぞれ専門職に就いていたり、社会に出たばっかりだったりと
立場はいろいろだったのですが、同じ年齢の女の子達がみんな一様に
同じ悩みを抱え、模索していたのがとても印象的でした。

そしてその後も30歳直前、30代半ば…と、女性は定期的に
自分を模索する時間を持つものなのだということを実感しました。


男性は基本的に結婚しても子どもを授かっても
仕事が中心で生活ペースはそんなに大きく変わりませんが
女性は違います。

多くの場合、結婚すれば名前は変わるし
夫の仕事の都合で住む場所も変わるし
妊娠・出産すれば体が変わるし
子育て中はライフスタイルが変わるし
子育てがひと段落してもまたライフスタイルが変わるし…
と、常に変化の中にいます。

変化にどう対応していくか…
順応を求められつつ、自分を確立していく必要があるのが女性です。


そして最近出会う様々な年代の女性のみなさんとお話する中で気づいたのは
女性は『自分の生き方』と共に、常に
『夫婦のあり方』を模索しているということです。

それは、常に変化に対応・順応することを
無意識に意識させられている女性だからこその
感覚かもしれません。

もちろん男性が何も考えていないわけではありませんが
見ている世界、体験の中で見えてきたものが
男性のそれとは大きく異なっている場合が多いのです。

だからこそおもしろい部分もあるけれど
それが大きな隔たりとして2人の間にそびえたってしまうことも。

その乗り越え方も夫婦によってさまざまですが
どんな形であっても、お互いが一緒に成長して
乗り越えられれば嬉しいですよね。


夫婦のカタチも、愛の表現方法も様々。


“均一な正しい答え”は存在しません。

すべては自分が選び、決めるものだから
答えは自分の中にしかありません。

誰かの示した答えは、その『誰か』のものであって
自分のものではないものね。

さて
模索した先にあるものは何でしょうね?





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます

WEB講座を開講しています。

第一章無料体験 受付中☆

貧乏性、お茶代も投資

2013-11-22 09:12:15 |  ├自分らしさ

おはようございます。

札幌、曇っています。
だんだんお日様が出てくるといいな♪


昨日、しばしドトールでお仕事をしていました。
(お金をおろすのを忘れたまま訪れて
 注文後に気づいてかなり焦ったあのドトールです)

私は基本的に家での仕事なので
何かを考えたり企画したりしたいときは
気が散ってしまいます。

ご飯の準備をしなくっちゃとか
洗濯物をとりこまなくちゃとか…

「今はどうでもいいでしょ!」ということに
気をとられてしまう…

なのでそうなるのを避けるため、気分を変えて外に場を移します。

そうすることによって、それ以外ができない状況にするのです。
これは私にとってはとても有効的!

ただ、あんまり何時間も1人で長居できないという
弱点がありますが…^^;
(私が臆病者なだけかな?)


実はこれ、他にも有効な使い方があります。

私の場合は、夫と真剣な話をしたいとき。

家のリビング(ダイニング)で話をしていると
真剣な話であればあるほど、夫は話を逸らすという癖があります。

本人はおそらく無自覚のままやっていることなのですが
いきなり洗い物を始めたり
パソコンをつけたり
お風呂の準備を始めたり
届いた郵便物やチラシを見始めたり…

だから私が悲しくなって怒る!
…ということが、結婚して何年も繰り返されました。

でも一緒に過ごすうちに気づいたのです。

 車の中とか、お茶をしに入ったカフェとか、
 私と向き合う以外ない状況であれば、彼はきちんと話をしてくれる。

 ということは、私と真剣に向き合ってほしいときは
 そういう状況を創ればいいんだ!

というわけで、私は夫とカフェでお茶するのが大好き!

もちろん
「おいしいね~♪ 楽しいね~♪ 一緒に過ごせて嬉しいね~♪」
という気持ちは一応きちんと根底にあるので
ただお茶しに行くだけだって嬉しいのですが。


自分が集中できる環境は、人によって異なります。

家で作業することによってダラダラしてしまって
結局何の結果も生めないくらいなら
お茶代は投資だと思って外に出てしまった方がいいでしょ?



実はこれ、

 お金のかからない仕事場(家)があるのにな~…
 家でお茶飲めばタダなのにな~…

なんて思う、貧乏性の私がいるので

 『家で作業することによってダラダラしてしまって
  結局何の結果も生めないくらいなら
  お茶代は投資だと思って外に出てしまった方がいい』

というのは自分を納得させるための言葉だったりするのですが(笑)

本気で思っているのも事実なんだけどね。
貧乏性よね


その名が『コンセプト』だった!

2013-11-20 11:30:56 |  ├自分らしさ

おはようございます。

札幌、いいお天気です。
外に干してもきちんと乾いているのだかどうだかわからない洗濯物。
一応本日も外ではためいております。

でもそろそろ物干し竿をしまわなくてはならない季節。
さみしいです…(ToT)

部屋の中ではすでに毎日ストーブが大活躍。
今からこんな状態で、冬を乗り切ることができるのかしら…?



さて学生時代、私は美大でインテリアデザインを学んでいました。
あの頃、教授達が口をすっぱくして仰っていたのが『コンセプト』。


 この空間のコンセプトは?

 コンセプトは何?

 どんなコンセプトで設計したの?


それはもう毎回毎回。
嫌になるほど耳にした言葉でした。

だから私も、一応考えました。


 こういう人たちを相手に

 こんな風に過ごせる空間を


でも今思うと、な~~~んにもわかっていなかったなぁと思うのです。

そもそも、根本的に


 コンセプトが何故重要なのか

 コンセプトとは何なのか


そこがわかっていませんでした。

だから課題を出されてそれをこなしていく中で何となく決めてしまう。
コンセプトとは名ばかりで、そこに沿った筋道が何もない。

ヘタをすると
こんな感じかな~?だったらターゲットはここかな~?
なんて、逆の考え方をしてしまうことすらあったのです。

今にして思えばなんて恐ろしい…

私はそもそも『コンセプト』の本当の意味やその重要性など、
根本的なことをまったく理解していなかったのです。



今、私は自分で仕事をしていく中で

 誰に届けたいのか

 何を伝えたいのか

 どんな方向性で進んでいきたいのか

 どんな世界にしたいのか

まずそこを考えます。

これは社会人になった頃よりも
病気で倒れる前よりも
今の方が、より考えているように思います。

「私はカラーセラピーができます」とか
「私はパーソナルカラー診断ができます」とか
「私はコーチングができます」とか
「私はデトックスのサポートができます」とか
そんなことは、言ってしまえばどうでもいいくらい。

もちろん、自分が身につけたスキルだし
それぞれ嬉しい世界につながることだし
個々のものは大好きです。

でも私が伝えたいのは、
“カラーセラピーやパーソナルカラーや
 コーチングやデトックスの素晴らしさ”ではありません。


ココロもカラダも健康に、自分らしく楽しい毎日を送るために

 自分の外見的な魅力、持っているものの活かし方を知ろうよ

 ココロの中に溜め込んでしまっているモヤモヤを解消しようよ

 グルグルした思考を整理しようよ

 自分ができることは何かに気づこうよ

 やりたいことに向かって動いていける自分を創ろうよ

 自分らしく楽しく暮らすために、
 ココロとカラダの健康を自分で守れるようになろうよ

そうなることで、

“美と健康と自分らしく生きるあなたが手に入るよ”

ということ。

私のところに来てくださった方が

 自分らしくココロもカラダも健康に楽しい毎日を送れるようになる

 自分の魅力や持っている能力に気づき
 それらを活かして自分らしく生きられるようになる

 やりたいことに対して積極的に動いて
 描いている楽しい未来を自分の力で手に入れられるようになる

そのために自分の持っているスキルを使っています。
そして、

 “そのようにみんなが積極的に生きられる社会が創れれば
  平和な、笑顔溢れる世界になる”

私はここを見ながら、仕事をしています。
それを忘れてしまったら、自分がブレてしまう。

だからとっても大事。


そしてこれこそが、教授達が口をすっぱくして伝えてくださっていた
『コンセプト』だと思うのです。

これって、すごく当たり前のことですよね。


今まで積み重ねてきたたくさんの経験があって
考えたり自分と向き合ったりしてきて
やっと気づいたように思います。

 これが、教授の仰ってた『コンセプト』か!

って(*^^*)

経験と言葉が一致した瞬間でした。


『コンセプト』

その言葉を知っていようが知らなかろうが
大切なのは

“そういう風に自分のあり方や方向性に向き合える自分でいられるかどうか”


あんな昔に、もう答えは示されていたのですよね。
…言葉としては。

でも身につけることができたからこそ
名前がついたのかもしれません。

社会をまったく知らない学生時代に見聞きしたことの
本質を捉えることができるのは
自分の足で本気で立ったときだと思うから。

おもしろいですよね。

社会人って、最高♪


自分を自分でいさせてくれる人

2013-08-28 09:57:38 |  ├自分らしさ

おはようございます。

札幌は秋の運動会を感じさせる風です。
(この行事、北海道にはないかな?)

今日はお友達とデート☆
短い時間ですが、彼女と会えるだけで癒されるので楽しんできます♪

会えるだけで癒される友人や
話を聞いてもらうだけで落ち着く友人
等身大の今を語り合える友人や
お互いの仕事や生き方を認め合える友人
の存在というのは本当に大きいですよね。

何十人もいなくていいから、
素の自分でいてこう思える友人を持つこともまた
自分らしい自分でいる、自分らしく生きるコツだと思いますv





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます

自分のタイプと目的を知る

2013-08-23 10:02:00 |  ├自分らしさ

おはようございます。

意外と今日は忙しい…
ということが先ほど判明しました(笑)

まぁ“忙しく”するかどうかは自分次第なのですが。

“できることをできる順にやっていけばいつかは終わる”ので
やっていこうと思います。



さてさて、おかげさまで今年になって格段に良くなりました。

さらに夏前くらいから、
ブログでの情報発信もだいぶできるようになってきて
まだ対面のお仕事としてはみなさまにお会いできていなくても
何だかワクワク、嬉しく思っています^^

毎日ブログが更新できていることがこれまた嬉しくて
「健康っていいなぁ~!!」
「カラダがちゃんと動くって大事だな~♪」
「カラダがすべてを司っているんだな~^^」
と実感。

さらに
「よくこれだけ毎日書くことがあるよね…」
と母には驚かれ、自分でも自画自賛してみたり(笑)

この“毎日やる”ですが、今日はそこから派生して
自分のタイプを知ってうまくコントロールできればいいんじゃない?
というお話です。


私は3種類のブログを持っています。

この、お仕事&日記(という表現は適切かどうか微妙ですが)のブログと
  http://blog.goo.ne.jp/saion-color/
  http://ameblo.jp/color-saion/
『ことば』に特化したブログと
  http://ameblo.jp/kotoba-com/
闘病生活から、ココロとカラダのつながりや自分との向き合い方を記したブログ
  http://ameblo.jp/kokokara-food/

このうち、できる限りコンスタントに毎日…
と思っているのが、このお仕事&日記ブログです。

でも他のふたつ…特に『ことばブログ』も
比較的コンスタントに毎日更新しています。

でもこれは、毎日書いているわけではありません。


 毎日書いていないのに、毎日更新?


そうです。
それは書き溜めているから。

書きたいことが浮かぶときは、自分の内側から
後から後から泉のように湧き出てきます。

一方で、体調なり環境なりの影響で
頭が全然回転しない…何も出てこない…
なんていう日もあります。

ネタが浮かんだときにバーっと書き溜めておけば
あとは日時指定をして更新すればいい。

結果、毎日お届けできるというわけです。


これは、私のことばブログ(や闘病ブログ)には
とても合っているスタイルです。


ここで私が大事にしているのは
『毎日更新=毎日書く』
とは、していないこと。

できる限り毎日更新したいなとは思っていますが
毎日コンスタントに書くことに重きを置いてはいないのです。


これは、『毎日やる』ことの目的によって変わってくる行動です。

どういうことか。


たとえば私の目的が
『文章上達のために少しでもいいから毎日何かしらを書く』
ということだったら、このスタイルは合いません。

『毎日書く』ことが大切なのですから。

以前読んだ本で、GLAYのTAKUROさんが仰っていました。

 「僕は才能があるわけではないから、
  必ず毎晩10分間、曲を作ると決めました。
  もう何年も続けています」

そして本当に何年も何年も、
デビュー前も超人気バンドになってからも
コンスタントにそれを続けてらっしゃる。

素晴らしい!!


こういう考えのもとで『毎日』と決めたのなら
『コンスタントに毎日書く(創る)』ことが大切になってきます。


一方私が書いている『ことばブログ』でお届けしたいこと、
重きを置いていることは、
その『内容』と『コンスタントにお届けする』ということです。
『私が毎日コンスタントに書いているという事実』ではないのです。

となると、『毎日更新』の意味合いが変わってきます。

なので別にがんばって『ことばブログ』のために
毎日パソコンに向かわなくてもよくなります。


3つのブログを扱うということは、
書くことに3倍の時間を費やすということです。

そのどれもに『毎日書く』を課してしまったら
それだけで重くなって潰れてしまう…

だから基本的に『できれば毎日書きたいな、書ければいいな』と
思っているのはひとつです。

そしてそのひとつ(このブログですね)だって、
お休みすることはあります。

主に、体調が悪くてパソコンに向かえないときや
日常のリズムが大きく崩れるとき。

これまた無理はしないと決めているので。

私の中で『毎日書く』ことより
『無理してカラダに負担をかけない』ことの方が
ずっと大切なことなのです。



『毎日更新』

たったこれだけを見てみても、実に様々な角度からその事実を扱えます。
それをどのように実現していくかは、人によって違うということ。

なのでそのためにもまず、自分がどんなタイプなのか
何のためにそれをするのかという根本を見ると
無理なく続けられるのではないかな♪ と思うのです^^





ポチしていただけたら励みになります

どうもありがとうございます