「受け取る愛」と「与える愛」。
その愛は、わかりやすく人と人の間で行き来するだけではなく
自分と自分のカラダとの間、
自分と地球との間、
自分と世界との間にも飛び交っています。
それは意識しないと気づかないかもしれない。
でもちょっと意識して気づくと
その深さや大きさに感銘を受けます。
以前、ドイツの精神分析家、エーリッヒ・フロムの言葉
『愛とは与えること』と
ピンクの持つキーワード『与える愛』のお話をしました。
(『愛とは与えること』の意味~ピンクのキーワード 参照)
『愛』と言われると、私たちは恋愛にちなんだことや
親子間での愛を思い浮かべやすいです。
きっとそれは、自分のまわりや社会において、またはメディアを通して
「愛=アレ」と刷り込まれているからでしょう。
でも愛って、それだけじゃないよね。
もっと深いし、もっと広い。
たとえば私は、自分が自分を生きているという感覚を
カラダの中心で感じることができるとき、世界とつながっている感じがします。
世界に愛されているシアワセ。
世界を愛している自分がいる幸せ。
世界を愛しているしあわせ。
私たちが生まれる前。
お母さんの胎内で3~4週ほど過ごした頃、
私たちはお母さんから血液をもらうそうです。
私たちのカラダに流れる血液は、最初から自力で創りだしたわけではなく
お母さんから受け取ったものが始まりだということ。
つまり愛は、血液という無条件の愛を受け取るところからはじまっている。
この話を聞いたとき、私はものすごく納得しました。
このボトル、ブルーが上にあるでしょう?

カラーボトルの読み方のひとつに、「上が優位」という見方があります。
ブルーは受け取る愛、ピンクは与える愛の色。
つまり、受け取ってから与える。
受け取らず、自分の持っているものをあげてばかりいると
いつか枯渇してしまいます。
だって循環しなくなるわけだから。
例えばネグレクトや子どもの虐待は
親が子どもからの愛を受け取らなくなった時がはじまりではないでしょうか。
子どもの側は必死に訴えて伝えています。
どんなに傷ついても傷つけられても、責める先にいるのは自分。
お母さん、お父さんのことは大好き。
子どもからの愛の発信はされているのです。
愛の循環を途絶えさせてしまうのは、受け取らなくなった側。
受け取らなくなってしまった時
与えるものもなくなってしまいます。
夫婦間で、親子間で、友人間で
職場で、学校で、仲間の間で
そして世界や地球、自分自身のココロやカラダとの間で
「私はちゃんと、愛を受け取っているのか」
「受け取って、ありがとうを伝えられているのか」
「そして愛しているのか」
謙遜は美学?
そのために、受け取るのが特に下手になってしまった日本人。
愛してるを、受け取ってもいいんだよ。
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