心のケアと自立のための日記指導-25
(六)行動や心をはたらかせたことを書いたこと
□よく調べている場合…長さや形をていねいにしらべているのがよい。
・からだの大きさは、1センチ2ミリで、からだをぜんぶのばすと2センチにもなります。しょっかくが伸びると5ミリになります。口がみじかいしょっかくのあいだにありました。
(「でんでんむし」2ねん・けい子)
□よく見ている場合
・まゆ作りのはこにいれてあげました。すると、かいこは、あたまをふりながら、くものすみたいに白くてほそい糸をだしていました。
(「六ぴきのおかいこさん」2年・ゆう一)
□よく聞いている場合
□対象へはたらきかけている場合
・でんでんむしを手のひらにのせたら、くすぐったかった。それで、つめたかった。それで、1ぷんかんに、5センチメートルあるいた。
・まゆをナイフできってみたら、さなぎになっていました。だっぴしたかわもはいっていました。
(「六ぴきのおかいこさん」2年・ゆう一)
□比較して考えている場合
・「北岡先生は十年間。大河内先生は、九年間。広竹先生は、十一年間。栗原先生は四年間、船越小学校にいてくださった。」
と教頭先生がおっしゃいました。私が生まれる前から北岡先生は船越小学校につとめていたなんて、ずいぶん長い間なんだと思いました。(「りにん式」4年・陽子)
□疑問に思ったことをたずねている場合
・わたしは、夕ごはんの時に、おかあさんに、
「なぜジャガイモに、はいをつけるの。」
ときいてみました。(「ジャガイモを花だんにうえたこと」4年・有子)
・田んぼを見にいったその時、お母さんが、
「これは、機械で植えてあるよ。」
と言いました。ぼくは、どうしてそれがわかるのかと思って、
「どうして。」
とお母さんに聞きました。お母さんは、
「なえが小さいから、機械で植えているんだよ。」
と言いました。田んぼを見ると、手で植えてなくて、機械で植えたことが農業をやっているお父さんとお母さんには、分かったようでした。
(「初めての田植え」5年・安史)
□意見や考え方に心をうごかしている場合
・桜井君が、意見を言いました。
「尾崎君は、これまで中心になってやったことがないから尾崎君にこういうことをやらせたいです。」
と言いました。そのつぎには、露崎さんが手をあげて、
「長島君は、ふざける所があるから、そういう所は尾崎君がいいと思います。」
と言ったので、それもそうだなあと思いました。(「尾崎君に手をあげてよかったな」5年・浩二)
□具体例を」出して説得している場合
・うちのおかあさんはすこしふとっています。 わたしが、
「バレーボールやれば。」
といったら、
「よしみがならっている先生だから、おかあさんがならうなんておかしいでしょう。」
と言いました。わたしは、
「加とう美な子ちゃんのおかあさんもそうだよ。」
といいました。(「お母さん」2年・よしみ)
□問題点を整理して書いている場合
・そこは、しまもようがななめの線のようになっていて、順番に、こげ茶色、茶色、おうど色、はだっぽい色と、色がちがっていた。色だけでなく、土や砂、小石のそうといろいろちがった種るいのものが重なっていて、ちょうどサンドイッチを何枚も重ねたようだ。
その地そうを見たりさわったりしているうちに、いくつかの問題や疑問点が出てきた。
①地そうは、表面だけでなく、山おくまで続いているか。②どうして、地そうは、しまもように見えるのか。③どうしてしまもようが、ななめになったり、横になったり、たてになったり、まがったりしているのか。④どうして土なら土、砂なら砂と、かたまっているのか。⑤地そうはどんなはたらきでできたか。
ということなどだった。(「地そう」6年・はじめ)
日記に書かれている文章の部分にふれて、こうはげますことは、「このように日記に書くことができたのは」、日記に書いている」出来事が展開しているその時の心のはたらかせかたが良かったと評価していることになります。
日記に書く赤ペンは、文章全体を読んで、その子に励ましたいこと、伝えたいこと、ほめてあげたいことを書くようにもなりますが。どちらかというとこのほめる視点は、作品の部分に見られる表現から、その人の、その時、よく耳をhたらかせていたのですね」という言葉かけのように、その時のその場面での五感の働かせ方の良さをほめたりもします。
これは、具体的な行動を評価されていることになり、「認識操作の方法」といわれる、そのときそのときの行動のしかた、心のたたらかせ方を評価されることによって子どもたちは学んでいくことになります。