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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

オシムで日本は強くなるか?

2006年08月17日 01時07分51秒 | 足球
アジアカップ予選のイエメン戦をテレビで観戦したのですが、どうしてもっとシンプルにサイドから攻めないかなぁと、生で観たトリニダード・トバゴ戦と同じ感想を持ちました。

これはもう、サイド攻撃という文化がないJリーグの病気ですよ。
ヒロミ時代のFC東京以外に、サイドからガンガン攻めるチームなんてないでしょ?

で、機会があれば書こうと思っていたことを、試合後にオシムさんが言ってました。
日本代表が強くなるにはJリーグが変わらなければなりません。
オシムが監督になったからといって、試合内容が変わるだけで、日本は強くなりません。

言ってましたね。Jリーグがエレガントでなければならないんですよ。つまらない内容なのに結果にばかりこだわったって、結局何も残らないんです。結果を残せなくても、思想や哲学は残せます。その積み重ねが文化伝統だと思うんですよね。
試合の流れの中での正確なトラップとパスの技術があってはじめて、考えて走るサッカーというオシムの哲学を実現することが可能になる訳ですが、思想のないチームでプレーしていては、そこまでのプレーはなかなか要求されません。たとえば同じ局面でも、イタリアとスペインでは違うプレーが要求されることがあるでしょう。つまり、思想がプレーの質を要求するのです。

バルセロナの高速パス回しに挑戦したお馬鹿なクラブが、FC東京以外にありましたか?
パスの精度が低い選手たちなので5分も持ちませんでしたが、そのチャレンジ精神は称賛に値すると思います。挑戦するからこそ、世界との距離を知ることができるんです。普段実践しないから、オーストラリア戦の後半でジーコの言う「1-0のサッカー」ができないんです。
面白いサッカー、観たくないですか?
それでも勝てばいいですか?

で、そういう主張をしている当人が、どうして千葉の監督を辞めてまで代表監督になったのか?
そこが最大の疑問なのです。

(8/17 追記)
昨夜のスポーツニュースでは「もっとエレガントでなければならない」と言ってたように見えたのですが、今朝いくつかのサイトを見ると「エレガントを犠牲にして機能を優先すべき」なのだとか。
とはいえ、僕の考える「エレガント」には機能性も含んでいますし、千葉のサッカーはJリーグでは十分にエレガントだと感じますし、主張に変わるところはありません。

海上

2006年08月13日 11時37分09秒 | 雑記

神戸三宮から高松行きのフェリーに乗ってます。3時間くらい乗るらしいですが、その時間の間に東京に帰れる訳で…
写真は明石海峡大橋とかそんな名前の橋らしいです。

夏休み

2006年08月11日 11時25分53秒 | 雑記

新幹線出発。

指定席は満席だって。
先週末に予約しといてよかった♪
隣の席の人が美人だし(笑)

今回は大阪に2日、高松に3日という日程です。

国際親善試合 日本×トリニダード・トバゴ

2006年08月10日 01時36分33秒 | 観戦記録
キリンチャレンジカップ2006
日本 2-0(2-0,0-0) トリニダード・トバゴ
2006年8月9日
国立競技場

オシムジャパンの初陣は、満足なメンバーが選出できず、代表というよりはJリーグ選抜という様相。準備期間の短さも手伝って、期待するものは何もなかったが、本当に何の満足も得ることはなかった。周囲の雰囲気や帰宅後に見たスポーツニュースでは会心の勝利という喜ばしい結果のようなのだが、何か別の試合でも観てたのだろうかという、少し取り残された感じだ。ワールドカップの結果を「まあこんなものだろう」と受け止めている僕と、そうは感じていない者の差なのだろうか。

オシムのサッカーについて「考えるサッカー」「走るサッカー」と言われているが、大前提として必要なのは基本的な技術である。田中隼磨のトラップは判断のスピードを帳消しにするだろうと思ったのだが、オシムはどう判断しただろうか。

日本の中盤は基本的には底に鈴木啓太、左右のインサイドハーフにアレックスと長谷部、トップ下に山瀬が入った4-3-1-2システム。ボールを奪って攻撃を仕掛けようにも前線の人数が相手よりも少なく、得点の気配がほとんど感じられなかったのは、このシステムの悪い部分が出たといえるだろう。
2トップとトップ下の3人だけでの攻撃が目立ったが、それではシュートに持ち込むことさえ難しく、何度か大きなチャンスを迎えたのはサイドバックや中盤の選手が攻撃に参加した時であることからも、今後の戦術の徹底が望まれる。
このシステムで固定するということはないだろうが、今野の存在が指揮官にこのシステムを採用させる可能性は決して低くないと思われる。低い位置から攻撃を組み立てられる阿部と併せて、二人の合流を楽しみに待ちたい。

とまあ、新しく加わるであろうメンバーを想像すると楽しめるのだが、この試合だけで語ろうとすると、両チームともに守備的でつまらなかったと結論せざるを得ない。また、一試合だけで判断する訳にはいかないが、期待された小林大悟と長谷部は、試合の流れへの乗り方で明暗を分けた感じだ。
そして何といっても、この日のメンバーではアレックスは別格であったということを思い知らされた。

2006年の観戦試合数: 10

「川淵会長にレッドカードを」だってさ

2006年08月09日 02時48分54秒 | 足球
先に「自慰なる示威行為」というエントリを書いたのは、一応「川淵会長にレッドカードを!」というデモが行われるらしいのを意識しました。

何なんでしょうねぇ。
総括なんて、そんなに早く出るもんでもないだろうし。
独裁者であろうが機密漏洩しようがJリーグを軽視しようが、ワールドカップでの成績に満足してたら文句言わない人だっているんじゃないかな。
それってつまり、単に「気に入らない」ってことですよね?

それにもっともらしい理由つけてやるデモになんか、興味もないし、共感もできませんなぁ。
まあ、参加したい人はすればいいのですし、僕も言いたいことは言ってもいい訳です。
盛り上がって満足できるといいですね。

自慰なる示威行為

2006年08月09日 02時28分27秒 | 雑記
数年前、アメリカのイラク派兵に反対するデモに出くわしたことがある。
日比谷公園から東京国際フォーラム方面に向かうコースだったようだが、コースを歩き終えて日比谷公園へと戻っていく復路の集団が、非常に満足げな表情で往路の連中に手を振っていた。

その時歩道を歩いていた僕は、その復路の連中に何度も肩をぶつけられたのだが、謝った者は一人もいなかった。
僕は「やつら」の本質を見た気がする。

まず、デモに参加する者は、参加しない者より偉いとでも思っていたようだ。そして、まるでデモをすること自体が目的であるかのごとく満足していたようだ。そうでなければ、アメリカに、そして世界に何の影響も及ぼし得ない集会に参加して何故あれほど満足げな表情を浮かべられるのか。



ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』のフランツという登場人物の話をしよう。フランツはインテリであるが、トマシュ、テレザ、サビナといった他の主要人物より幾分滑稽に描かれているように僕には感じられる。

ソ連の侵攻でチェコスロバキアからジュネーブに亡命したサビナは、そこで同国人協会の集会への参加を説得され、支援者気取りでその場に居合わせた大学教授フランツと出会い、男女の仲となる。

妻に隠れてサビナとの逢瀬を重ねるフランツだが、ついに妻と別れることを決意する。しかしその直後にサビナはフランツの前から姿を消し、家族とサビナを失ったフランツは、その後ベトナム及び共産主義に対する抗議のためのカンボジアへの行進デモに参加し、そこで事故によって命を落としてしまう。

このカンボジアへの行進のシーンが滑稽だ。
パリを離陸した飛行機には50人の知識人と400人のジャーナリストとカメラマンが乗っており、その知識人たちは現地で合流したアメリカ人と主導権を争い、アメリカ人女優の派手なパフォーマンスを非難する。

一体何のためのデモなのか。元々あったであろう正義感が麻痺したのだろうか、デモそのものが目的にすりかわってしまっており、僕が見た日比谷公園のデモと同じである。
同国人協会の「ロシアに対して戦うべき」という主張に対して「でしたら(国に)もどって、戦ったら(いかがですか?)」と言ってしまうサビナの感覚の方が、よほど健全ではあるまいか。



デモも意志表示のひとつの手段であるから、やりたい者はやればよい。
ただし、申し訳ないという気持ちと、そして、自分はこんな集会に参加せずにはおれない恥ずかしい人間だという自覚を備えることだ。

このご時世に「正義感」や「支援者気取り」を声高に叫ぶような人間を、僕は信用できない。そんなものは控えめに主張すべきものなのである。嘘だと思うならクンデラに聞いてみればよろしい。

A3 千葉×大連

2006年08月08日 02時22分55秒 | 観戦記録
A3チャンピオンズカップ 2006
ジェフユナイテッド千葉 2-2(0-1,2-1) 大連実徳
2006年8月5日
国立競技場

暑さのため、第一試合の蔚山現代×ガンバ大阪は観戦を回避。
6-0なんて試合は滅多に見れるものではないので、惜しいことをしたかも。

第二試合も暑さのため、だらだら観戦。
そんな暑さの中でも、千葉のサッカーはきびきびしていて気持ちがいい。
大連の選手はあのパスワークと走り込みに面食らったのではないだろうか。
ちょっと次元が違うと言わざるを得ない。

それでも引き分けに終わるのがサッカーの面白いところ。
ヤンコビッチ、大連では仕切ってたけど、もしJリーグに来たら全然駄目なんだろうな(笑)

千葉はボールを持っている間のプレーの質は現在Jリーグ屈指なのではと思えるほどで、決して強くはないが、見ていて面白く、全盛期のジュビロ磐田を彷彿させる。
特に逆サイドへのスルーパスは快感ですらある。
後半開始から巻と羽生の投入で流れをつかむ采配もグッド。
しかし、相手に持たれた時の圧力に対してはあっけなく失点してしまう脆さを晒け出した。

さて、代表監督となったオシムがどのようなサッカーを指向するのかといえば、やはり千葉が見せているようなサッカーになるだろうと考えるのは自然なこと。
オシムは日本人に合ったサッカーと言うけど、僕の目には極めてヨーロッパ的なサッカーに映る。
それは日本の中華料理が中国人には中華に見えないのと同じように、ヨーロッパ人にはヨーロッパ的には見えないのだろう。
そういう意味では、ヨーロッパの戦術エッセンスはこれまで以上に採り入れられるものの、あくまで日本人のテクニックやフィジカルがベースというサッカーになるのだろう。
ただし、強くなるかどうかは別の話。
それはまた別の機会に。

2006年の観戦試合数: 9

ボクシングの判定

2006年08月04日 02時47分29秒 | 雑記
先日亀田のことを書いたら、普段よりもアクセス数が多かったのですが、それほど注目されてたんですね。

あの背中を丸めた感じが好きになれないし、あれだけガードしてる割に撃たれてるのはどうなのよという感想。
やっぱり、辰吉の起き上がった上体はかっこよかった!
「絶好調の」辰吉とは、テクニックとスピードが雲泥の差ですね。

さて本題。

例の判定勝ちについて、いろいろ言われていますよね。
僕自身も、また協栄ジムだよとか、どうしてポイントの集計にそんな時間がかかるんだよとか、いろいろ思ったりはします。

ただし、ボクシングの採点への不理解が、不当に反響を大きくしているのではないかとも感じています。
つまり、ラウンドマストシステムという採点法では、試合全体の印象とかけ離れた結果になる可能性があるということを知らないのではないかと思うのです。

ラウンドマストシステムとは、各ラウンドで極力差を付けて10-9を付けるという採点法です。ダウンがない場合、明確な差でも微妙な差でも10-9になります。
これがどういう結果をもたらし得るか、例を挙げてみましょう。

(例1)
12ラウンドすべてがどちらともいえないような微妙な展開の場合、どちらかといえばA選手の方がB選手を上回っていたと判断すると、すべてのラウンドが10-9ですから、トータルでは120-108でA選手の大差判定勝ちです。試合全体では互角に映るのに、このような大差が付くことがあるのです。

(例2)
12ラウンドのうち、6ラウンドでA選手が明確に差をつけ、他の6ラウンドではB選手が微妙に優勢だったとします。この場合は、全体としてはA選手が優勢だったように感じますが、ポイントは114-114のドローになります。

このシステムが導入される以前、つまり微妙なラウンドは10-10になっていた時代では、(例1)ならA選手の僅差判定勝ちだったか、もしかするとドローになってた可能性だってあります。また(例2)ならばA選手の勝ちになっていたでしょう。試合全体の印象と判定の結果は、そう大きく乖離することがなかったのです。
亀田の負けだと思うと発言した元ボクサーに昭和に活躍した人が多いのは、古い判定法で戦ってきたからなのであって、決して偶然ではないと思います。

ということで、亀田の判定勝ちに対してどんな感想を持つのも勝手ですが、こういうことを知らずに全体の印象だけで「八百長だ」「やらせだ」と騒ぐのは、ちょっと違うのではないかと。
僕としても、亀田を弁護するつもりは毛頭ありませんし、全然問題がなかったとも思っていません。
しかし、採点法の問題を避けて糾弾するのはアンフェアだと感じるだけなのです。
必要な分だけ批判すれば十分じゃないですか。

こういったことを理解した上でもう一度試合を見直してみてはいかがでしょうか。
意外と、印象ほどには一方的な試合にならないかもしれませんよ。
僕はもう録画を消しちゃいましたが。

勝つしかないやろ

2006年08月02日 02時37分32秒 | 雑記
ボクシングの亀田興毅選手が世界チャンピオンになったら、亀有からお花茶屋方面に大パレードが催されるらしいです。
アリオもできたし、葛飾区では最近亀有が熱いですね。
亀田が王座奪取で50万人パレード実現へ - バトルニュース nikkansportscom
「勝つしか(葛飾)ないやろ」って何やねん>オヤジ。

詳しくは知りませんが、亀田選手の実力について週刊誌でいろいろ書かれたり、具志堅さんに言われたりしているそうです。吊り広告か何かで「6回戦レベル」という見出しを見ましたが、それはさすがに違うのではと思います。
といっても早いラウンドでのKOが多いようですし、長いラウンドになるとどうかというのは未知数ですよね。

まあ、好き嫌いはあるだろうけど、なんだかんだいって注目されているのは確かだし、ボクシング界では辰吉以来のカリスマになる可能性も秘めている訳で、特にファンじゃない僕でも明日の世界戦は見てしまいそうです。
勝ってほしいというより、パレード見てみたいなという気持ちの方が強かったりします(笑)

で、その辰吉以来というのがちょっと問題なのでは?とか思ったり。
本人が望んだことではないだろうけど、辰吉は負けたことで辰吉たり得た、いうなれば負けても負けても戦い続けたところが彼の魅力の一つになってしまったんですよね。
亀田は今後どのように勝ち、どのように負けるのか。
願わくば、試合内容で評価されるボクサーになってもらいたいですね。
いいかげん正統派のカリスマ王者というのが出てこないと、人気も長くは続きませんから。
川島郭志なんかテクニックがあって個人的には好きだったけど、一般受けはそれほどよくなかったですよね~。もったいない。
人気選手しか扱わないマスコミも悪いけど、自分で批評眼を磨かないファンにも責任はありますよね。
この絶望的な状況から、どうすれば抜け出せるのか。
どの競技にもいえることだけど、相当根は深いです。