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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

「川淵会長にレッドカードを」だってさ

2006年08月09日 02時48分54秒 | 足球
先に「自慰なる示威行為」というエントリを書いたのは、一応「川淵会長にレッドカードを!」というデモが行われるらしいのを意識しました。

何なんでしょうねぇ。
総括なんて、そんなに早く出るもんでもないだろうし。
独裁者であろうが機密漏洩しようがJリーグを軽視しようが、ワールドカップでの成績に満足してたら文句言わない人だっているんじゃないかな。
それってつまり、単に「気に入らない」ってことですよね?

それにもっともらしい理由つけてやるデモになんか、興味もないし、共感もできませんなぁ。
まあ、参加したい人はすればいいのですし、僕も言いたいことは言ってもいい訳です。
盛り上がって満足できるといいですね。

自慰なる示威行為

2006年08月09日 02時28分27秒 | 雑記
数年前、アメリカのイラク派兵に反対するデモに出くわしたことがある。
日比谷公園から東京国際フォーラム方面に向かうコースだったようだが、コースを歩き終えて日比谷公園へと戻っていく復路の集団が、非常に満足げな表情で往路の連中に手を振っていた。

その時歩道を歩いていた僕は、その復路の連中に何度も肩をぶつけられたのだが、謝った者は一人もいなかった。
僕は「やつら」の本質を見た気がする。

まず、デモに参加する者は、参加しない者より偉いとでも思っていたようだ。そして、まるでデモをすること自体が目的であるかのごとく満足していたようだ。そうでなければ、アメリカに、そして世界に何の影響も及ぼし得ない集会に参加して何故あれほど満足げな表情を浮かべられるのか。



ミラン・クンデラの小説『存在の耐えられない軽さ』のフランツという登場人物の話をしよう。フランツはインテリであるが、トマシュ、テレザ、サビナといった他の主要人物より幾分滑稽に描かれているように僕には感じられる。

ソ連の侵攻でチェコスロバキアからジュネーブに亡命したサビナは、そこで同国人協会の集会への参加を説得され、支援者気取りでその場に居合わせた大学教授フランツと出会い、男女の仲となる。

妻に隠れてサビナとの逢瀬を重ねるフランツだが、ついに妻と別れることを決意する。しかしその直後にサビナはフランツの前から姿を消し、家族とサビナを失ったフランツは、その後ベトナム及び共産主義に対する抗議のためのカンボジアへの行進デモに参加し、そこで事故によって命を落としてしまう。

このカンボジアへの行進のシーンが滑稽だ。
パリを離陸した飛行機には50人の知識人と400人のジャーナリストとカメラマンが乗っており、その知識人たちは現地で合流したアメリカ人と主導権を争い、アメリカ人女優の派手なパフォーマンスを非難する。

一体何のためのデモなのか。元々あったであろう正義感が麻痺したのだろうか、デモそのものが目的にすりかわってしまっており、僕が見た日比谷公園のデモと同じである。
同国人協会の「ロシアに対して戦うべき」という主張に対して「でしたら(国に)もどって、戦ったら(いかがですか?)」と言ってしまうサビナの感覚の方が、よほど健全ではあるまいか。



デモも意志表示のひとつの手段であるから、やりたい者はやればよい。
ただし、申し訳ないという気持ちと、そして、自分はこんな集会に参加せずにはおれない恥ずかしい人間だという自覚を備えることだ。

このご時世に「正義感」や「支援者気取り」を声高に叫ぶような人間を、僕は信用できない。そんなものは控えめに主張すべきものなのである。嘘だと思うならクンデラに聞いてみればよろしい。