ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

「アテネ経由ドイツ行き」の幻想

2006年05月16日 03時30分37秒 | 足球
ワールドカップに出場する日本代表23人が発表されました。

フランス1部リーグで主力として活躍している松井大輔が外れました。
中盤は実力・実績のある選手の層が厚く、微妙だとは言われていましたが、FWとして評価すれば、十分にメンバー入りできる可能性もあると考えていました。
なぜ彼はメンバーから外れてしまったのでしょうか。

23人のメンバーと、過去の国際大会の選出実績を表にしてみました。
WC=ワールドカップ、AC=アジアカップ、OL=オリンピックです。
さすがに面倒なので、ワールドユースは省略しました。




氏名所属04OL04AC02WC00AC00OL98WC96OL
土肥洋一東京------
川口能活磐田--
楢崎正剛名古屋---
田中誠磐田-----
宮本恒靖G大阪----
三都主アレサンドロ浦和-----
中澤佑二横浜----
中田浩二バーゼル----
坪井慶介浦和-------
加地亮G大阪------
駒野友一広島------
福西崇史磐田-----
中田英寿ボルトン---
中村俊輔セルティック----
小笠原満男鹿島-----
稲本潤一WBA----
小野伸二浦和---
遠藤保仁G大阪------
柳沢敦鹿島----
高原直泰HSV-----
玉田圭司名古屋------
大黒将志グルノーブル-------
巻誠一郎千葉-------


他のポジションと比較して、FWの選手に国際大会の経験が少ないことがわかります。

それ以上に特徴的なのは、ほぼ同時期に行われた2004年のアジアカップとオリンピックでは、アジアカップに出た選手の方が多く選出されているということです。
それはある意味当然のことですが、それでも五輪世代から選ばれたのが駒野だけというのは、あまりにも少なすぎます。

確かにジーコには、あまり新しい選手を試そうとはしない傾向がありましたが、過去2大会とは明らかに事情が異なることの方が、より大きな要因であると考えます。
28年ぶりの出場だったアトランタ五輪と初出場だったフランス大会、トルシエの一貫教育だったシドニー五輪と日韓大会では、ともに五輪世代をA代表に引き上げる必要性がありましたが、A代表とは全く異なる山本某謹製のアテネ五輪チームは、人材の供給源にはなり得なかった訳です。

アジア予選の形式も、原因のひとつに挙げられると考えています。
1次予選、最終予選という形式で、五輪後の代表入りでは、最終予選で出場機会を得るのは困難です。
結局、よほど優れた選手でなければ、アジアカップがタイムリミットだったのかなと思います。

ただ、アジアカップ以後にJリーグでの活躍が認められてメンバー入りを果たした大黒と巻のような選手もいるのですから、アテネ世代がふがいなかったのだと結論づけることもできます。
それでも松井に限れば、所属チームでの活躍が大黒や巻に劣っていたとは思えませんし、結局ジーコの言う、勝点3のかかった試合での貢献度が足りなかったということになるのでしょうが、そういう観点からも、松井などアテネ五輪世代のうち突出した数人の選手は、アテネ五輪ではなく、中国でのハードなアジアカップのメンバーに入るべきだったのです。

もう日本のサッカーファンは、五輪好き、ワールドユース好きを卒業するべきです。
あれはA代表に入れない選手が出る大会であり、チームはA代表への人材供給を第一義とすべきです。
もちろん、五輪に出てから2年後にワールドカップに出る選手だって、これからもいるとは思いますが、それでも松井大輔は、五輪信仰の犠牲者だと思うのです。