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ぷちとまと

FC東京、もう飽きた。

浦和戦ハーフタイム

2006年11月26日 15時02分44秒 | 雑記
引き締まったいいゲームです。この場にいる幸せすら感じます。軽率なミスから何度かピンチを招いていますが、アレックスのシュートがすべて塩田の正面で助かっています。

今日の浦和なら得点できそうですが、もう一つ武器がほしい。戸田がいいので悩ましいけど、鈴木規郎が鍵になるんじゃないかな。平山だったら悶絶死しそうです(笑)

京王線車内

2006年11月26日 13時12分13秒 | 雑記
味スタでのFC東京ホーム最終戦に向かうべく、京王線に乗ってます。
赤組ばかりで青赤を全然見ないんですけど(笑)
それに、今日は府中で競馬があるみたいなので(JC?)、普段よりも多少混んでる気が。

浦和が優勝でもしたら、帰りの電車がどうなるのか、想像するとかなり欝だけど、ほんの少し見てみたい気もします。
嫌いなチームが目の前で優勝するという経験も、人生に一度くらいはあるでしょう。

そんなことは3時間後に考えるとして、今はただ、今日が三浦文丈の日になることだけを考えることにしましょう。
「仲良しクラブ」の真価を今日発揮しないで、いつするのだ?!


亡き王女のためのパヴァーヌ

2006年11月20日 01時31分33秒 | 雑記
「のだめ効果」とでもいうのでしょうか、クラシックが聴きたくなったので、CDを2枚買いました。

・プロコフィエフ/バレエ音楽「ロメオとジュリエット」(ハイライト)、交響曲第1番「古典」
 ショルティ指揮、シカゴ交響楽団

最近「のだめ」や、SoftBank携帯の会議室のCMで耳にする機会が多かったので。

・ラヴェル/管弦楽曲集
 ポール・バレー指揮、デトロイト交響楽団

収録曲は「ボレロ」「スペイン狂詩曲」「亡き王女のためのパヴァーヌ」「ラ・ヴァルス」「ダフニスとクロエ」第2組曲。

ラヴェルといえばまず「ボレロ」ですが、とんでもない話です。そんなにいい曲ですか? 「ダフクロ」なんかの方が全然いいと思います。改めて聴くと、やっぱりいいですね、ダフクロ。

僕が好きな作曲家を一人挙げるとすればヴェルディですが、好きな曲を一曲ということであれば、「亡き王女のためのパヴァーヌ」を選びます。何となく僕の中にあるらしい「フランス趣味」に強く訴えてきます。

スーパーひたち

2006年11月17日 11時28分28秒 | 雑記
何故か「スーパーひたち」に乗っています。新幹線以外のJRの特急に乗るのは、これが初めてかも。私鉄の有料特急でも、近鉄と東武くらいしか記憶にありませんが。

でも揺れるし、乗り心地はイマイチかな?


変身

2006年11月14日 02時48分23秒 | 雑記
カフカの『変身』の映画化のDVDが入手できるのか調べてたら、どうも現時点ではないようで、東野圭吾の方ばかり出てきます。

玉木宏が主演ですか。「のだめ」で注目度高いんでしょうね。
今となっては「ウォーターボーイズ」でおバカな役やってたのが嘘みたいです。

手紙

2006年11月11日 03時29分22秒 | 雑記
昨日から東野圭吾の『手紙』を読み始めました。映画に合わせてるのが丸わかりですね。
しかし、どうも山田孝之と玉山鉄二の顔が浮かんできちゃうのです。もう少し早く読んでおけばよかったかなと反省。

習慣に疑問を感じた時

2006年11月04日 01時54分46秒 | 雑記
美容院に行ったついでに、5日の天皇杯のチケットを買いにローソンに行こうとしたのですが、行かないという選択肢があることに気付き、行かないことにしました。

FC東京がベスト4まで残るとは全く考えていないので、天皇杯はこの試合しか観ないのだろうと思っていたのですが、勝って当然の相手ですし、別に嬉しくもなんともないですから。その対戦相手であるバンディオンセ神戸には森岡茂、和多田充寿、川崎元気といった元Jリーガーがおり、東京よりも神戸側で観ようかと考えていたくらいでしたが、それに昼間の半分を費す余裕もないかなぁというところです。

アウェーゲームには行かなくなった今でも、基本的にホームゲームは行くものだという習慣は無意識に守られてきたのですが、ついにそこへ疑問が向けられました。

ところで、カミュの『シーシュポスの神話』の中に、次のような文があります。

ふと、舞台装置が崩壊することがある。起床、電車、会社や工場での四時間、食事、電車、四時間の仕事、食事、睡眠、同じリズムで流れてゆく月火水木金土、----こういう道を、たいていのときはすらすらと辿っている。ところがある日、《なぜ》という問いが頭をもたげる、すると、驚きの色に染められたこの倦怠のなかですべてがはじまる。《はじまる》これが重大なのだ。機械的な生活の果てに倦怠がある、が、それは同時に意識の運動の端緒となる。意識を目覚めさせ、それにつづく運動を惹き起す。それにつづく運動、それは、あの日常の動作の連鎖への無意識的な回帰か、決定的な目覚めか、そのどちらかだ。そして、目覚めの果てに、やがて、結末が、自殺かあるいは再起か、そのどちらかの結末が訪れる。

この後も延々と不条理についての論証が続くのですが、つまり何だ、不条理な状態の入口に来てしまったってこと?(笑)
僕の中で「決定的な目覚め」が起こってしまったのでしょうか…

海猫街

2006年10月30日 01時23分23秒 | 雑記
今日は友人に誘われて、劇団桟敷童子『海猫街』を観に行きました。もともと演劇を観る機会はほとんどなく、もちろんこの劇団の公演は初めてです。

劇団のサイトを見た印象は、
ごめん俺、こういうの苦手。
ウザいかも。
だったので、まったく期待していなかったし、正直かったるいなぁと思って出かけました。
だってさ、サジキドウジって読み方からして怪しいですもん。

ちょっといいですか?
素晴らしいっす!!!
板垣桃子さん、素敵です❦
魂のこもった演技とでも言えばいいのでしょうか、それとセットにも迫力があり、圧倒されっ放しでした。
ヤバいですよこれ。あと2,3回は観たいかも。
軽薄なヤツで、ホントすいません。

で、アホっぽいまま終わってもいいのですが、思ったこと、感じたことを少しだけ書いとこうかなと。書いたところでアホに変わりはありませんが。内容にも触れますので、観る予定がある人は、この先は読まない方がいいかもしれません。

舞台は日露戦争後の海辺の廃れた街で、海賊の末裔が住む嶽崎集落と、海女たちの景浦集落があり、景浦の人たちはいつも嶽崎から虐げられて生活していました。そこに玄海憂鯨社の連中がやってきて、海底の石炭を狙って近代化の名のもとに海を奪おうとします。石炭の価値を知らない集落の連中は、ただ自分たちの街と海を守りたいがために、「和解」して戦おうとするのですが…

善悪の二元論だけで解釈できるような単純な話ではありませんでした。誰が正しくて誰が間違っているかなんて問題じゃない。第三者から見て何も悪くないイサナが、すべては自分のせいだと自分を責めているのですから。それに、嶽崎集落の連中は、蔑んだかと思えば海の守り神として称えたり、ラストシーンを除いては一度だってイサナのことを人間扱いしていないのです。それにくらべて、憂鯨社の会長の方がいくらか人間らしかった場面も描かれていましたしね。

前近代と近代の相克の物語であるのは事実ですが、そう簡潔にまとめるつもりもありません。ロシアという共通の敵を前にすれば、登場人物はみんな同志のはずだった。でも、やはりわかり合えなかった、共生はできなかった。そして最後には何もなくなってしまった悲しい結末。

現代社会へのアンチテーゼなんて、あまりに不粋で、口が裂けても言えません。自覚がないだけで、自分たちだって富の収奪に加担しているのだから。チョコレートなんて見たことがないという幼い少女がカカオ豆を穫っていると知っても、チョコレートを食べるのはやめられませんし、近代的な生活からは抜けられません。

とまあ、つまらないことを書き連ねてしまいくらい、物語を強烈に喉元に突きつけられたような感触が残っているのは確かです。
いや、小説にしてもいけるレベルだと、素人の僕なんかは思いましたね。公演を観た人の記憶にしか残らないのは、あまりに勿体ないと思うから。それが舞台の醍醐味なのかもしれませんが。
関係ないけど、松尾スズキが芥川賞にノミネートされたのも、これで納得しました。