中国迷爺爺の日記

中国好き独居老人の折々の思い

可愛い男の子

2011-04-16 10:57:41 | 身辺雑記

 近くのJRの駅の構内にちょっと大きなマーケットがある。その一隅にセルフサービス式の喫茶室があって、書店で本を買ったりした時などはここに寄ってしばらく時間を過ごす。常連と言うほどではないが、何人かの従業員とは挨拶を交わすようになっている。

 

その日も買ったばかりの本を読んでいると、隣の席にベビーカーを引いてきた老人(と言っても私より若く60歳前後)が座った。しばらくして子どもの声がしたので顔を上げると、その人と私の間に小さな男の子が立っていて、何かしゃべっている。そのうちに私に向かってしゃべりかけた。幼い子らしい可愛い声で何か言うのだが、まるで外国語のようで何を言っているのかさっぱり分からない。それでも男の子は真剣な黒いつぶらな目で私を見つめて呟くような口調で話し続ける。その可愛さと言ったらなかったので、「そうか、そうか」などと言って相手になった。どうやら、その男性の孫らしい。男性は笑いながら「・・・チャンの言うことは、おじいちゃんはわからないって」と優しく言ったが、それでも男の子は話し続けた。

 

 男の子はいかにも話しているという様子でモシャモシャ言い続ける。抑揚や強弱があり、どうやら自分では話しているつもりらしい。歳半くらいと見受けられたから、もう人の言うことは理解できるのだろうが、まだ話ができるほどではないのだろう。ふと西安の謝俊麗の息子の撓撓(ナオナオ)を思いだした。撓撓が同じような年頃の時に俊麗から動画が送られてきたが、画面の中の撓撓は自分の椅子に座って手悪さしながら、何やら大きな声で言っている。しかし言葉らしいものではなく、「チュバー」とか「アジャア、アジャババア」、「ジュジジィ」とか言うのだが、それでも笑ったり、首を傾げたりしながら楽しそうに、いかにも話をしているようだった。私の息子たちにもそういう時期があった。

 

 人見知りもしない、あまりに可愛い様子なので「かわいいねえ」と言って頭をなでてやるとますます何か話す。笑顔は見せずにじっと私を見つめながら真剣に話す様子は可愛くてたまらなく、きっと連れてきた祖父だけでなく、家族に慈しまれているのだろうと想像した。

 

やがて祖父と一緒に出て行ったが、私が手を振ってバイバイすると、それに応えて小さな手を振った。このような無邪気で純真な幼な子に出会うと、心が洗われるような、その日が何か儲け物をした一日になったような気がする。