家の近所の道を歩いていると向こうから1歳ちょっとくらいの男の子が、チョコチョコ小走りしながら、前を行く母親に「ニャンニャン」と言った。母親は足を止めて振り返り「ニャンニャンね」と答えた。姿は見えなかったが猫がいたらしい。私はこういう親子の姿を見るのが大好きだ。幼な子はとても可愛いし、母親の様子は温かい。子どもは幸せだろうなと思う。
前にも書いたことがあるが、私は子ども、とりわけ幼児が大好きで,ベビーカーに乗せられたり母親に抱かれたりしている子どもに出会うと、つい笑いかけたり、声をかけたりする。幼児の反応はさまざまで、ちょっとびっくりしたようにまじまじと見つめる子もあれば、ニコニコしたり、中には小さい手を振る子もいる。そんな時には、思わず「可愛いねえ」と言ってしまう。
昨日、大阪に出た帰りに地下鉄のホームに降りようとしてエレベーターの前に立つと、母親の押すベビーカーに乗った幼児が側に来た。その子は私の顔を見上げるなり嬉しそうにニコニコしながら、「オジイチャン。ボクとママはちがうところにきちゃった」とよく意味が分からないことを言った。(オジイチャンか。間違いないなあ)とちょっと苦笑すると、その子は小さい指を3本立てて「ボク3さい」と言った。「そうか。3歳か。違うところに来ちゃったか。可愛いねえ」と言うと、また「ボクとママはちがうところにきちゃった」と繰り返し、母親はちょっと恥ずかしそうにその子に何か言った。エレベーターに乗ってからも元気な声で母親に話しかけていたが、おそらく屈託のない明るい性格なのだろう。きっと可愛がられてのびのびと育てられているのだろうと思った。
愛嬌のある子の母親は、たいていは優しそうに見え、私が笑いかけたり、「可愛いねえ」と言ったりすると会釈したり、「有難うございます」と言ったりする。その時の一瞬の、幼な子を通じて優しい気持ちが触れ合うような雰囲気がとてもいいものだ。幼い子が可愛いと言うのは、見目と言うよりも、その子から出ているアロマのようなものだと思う。子どもの持つあどけなさが匂ってくるようで、ああ、親に可愛がられているのだろうなと思う。私の思い込みかも知れないが、とりわけ母親が優しいのだろうと思う。
子どもに対するひどい虐待のニュースを聞くと、何と言う親なのかと思う。おそらく子どもに対して優しく接することを知らなかったのだろう。そして自分も親から可愛がられた経験が乏しかったか、なかったのだろう。虐待をうけた子どもはもちろん痛ましいが、虐待する親も哀れに思えることがある。しかし、我が子への非道な虐待を報じられるような親は少数で、大多数の親は子どもを慈しんで育てているのではないか。街の中で親に連れられた幼い子に出会うたびにそう思う。