シリーズでアップしている三池炭鉱。
保存されている施設の二番目は宮原(みやのはら)坑です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/1b/2caaecff2ae764a137ba0427d48a9f7e.jpg?random=bb914ce1ebcfc752368ee409f2e204d7)
大牟田の長閑な住宅街に忽然と姿を現す、
高さ22m、鉄骨トラス製の竪坑櫓とその関連施設は、
国の重要文化財および指定史跡で、かつ
昨年世界遺産へ推薦提出された、
『明治日本の産業革命遺産』の構成遺産でもあります。
当初、坑内の排水を最大の目的として作られた坑道でしたが、
排水の効率が目覚ましく、
坑道完成後は採炭のための坑道としても使われた、
明治から大正にかけての主力坑道の1つです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/cc/5699e539678c0802ae176ec9ba708919.jpg?random=e086e9f778a67ce2ad28aff7a8b4bd43)
明治31年(1898)にまず第一竪坑が開削され稼働します。
写真は明治31年の宮原坑の様子なので、
竪坑櫓が1つしかありません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1a/ccc91766f3c374d1f5198c06032aedda.jpg?random=e4887198f6690fd20609c18522257379)
現存する竪坑櫓は明治34年(1901)年に竣工した、
第二竪坑櫓です。
第一竪坑が、揚炭・排水・入気の役割を果たしていたのに対し、
第二竪坑は主に人員と資材の昇降を目的に使われました。
写真は大正8年の宮原坑の様子なので、
竪坑が2つ写っています。
手前が現存する第二竪坑櫓、
奥が既にない第一竪坑櫓です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e6/6f17e91705fb326d1c18b26f9229541d.jpg?random=1b17c830d8f4c916a1e68187f7938c14)
第二竪坑櫓を正面(という言い方でいいかは分かりませんが)から見ると、
基礎部分に巨大な煉瓦の壁があります。
これは手前にあった建物の一部で、
團琢磨が導入した当時最新鋭の排水ポンプである、
デビーポンプが置かれていた建物の壁面の跡です。
三池炭鉱にとって坑内の出水は大きな難題でしたが、
このデビーポンプの導入によって克服したそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/de/dc4d61c9b28f69232b5be08a0a20dcf1.jpg?random=3e560282cbeb5a1fa343baa7a61ac2c1)
写真は大正6年(1917)年宮原坑山ノ神大祭余興
と題されたものですが、
おそらく左側に写る建物が、
デビーポンプが設置されていた建物だと想います。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/7b/c08f1f291a4e9b471555de641accb899.jpg?random=8324698d2a2fd6aec89694fa7c04775c)
櫓の横には汲み出した地下水を排水していた、
極太の配水管もきれいな形で残存しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/46/bf33f65f5a17ec05cc9fb5cca0fc57b0.jpg?random=83f4a95c27846adde862a2fdbc88b0b3)
既に第二竪坑の坑口は閉塞され、
坑内通気のための管があるだけですが、
周囲の構造がそのまま残っているので、
かろうじて操業時の様子を偲ぶことができます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ef/072e670f809a03e727a142fc7459a5be.jpg?random=9d31d201ec56a8702f6d1249289c4f53)
坑口跡の上には、ケージが残されています。
人員も昇降していたケージにしては、
だいぶ小さい印象を受けます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/1c/80475906220c721daaa4b3112edba0f9.jpg?random=7e093739e7c9f3af810f56641a722123)
ケージの手前には画像の様に四角い鉄板が敷かれ、
その両サイドに軌道が続いています。
これは、鉄板の上にトロッコを乗せ、
人力で回転させて向きを変えるための設備だと、
見学会のガイドさんに伺いました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/28/0e2c46eb453bac5ff15222b9fea44981.jpg?random=09c9080616381facd7020b49a2cab4d7)
また、宮原坑は竪坑櫓だけでなく、
ケージを昇降させる巻上機があった捲座も残存しています。
煉瓦造りの奇麗な捲座で、
上部をアーチ状に作り込んだ窓が印象的です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e0/0d67b04784589b6207f67d957b8efa03.jpg?random=f6623b582e66d8d3d7e52e06c809d4b2)
捲座の内部には、操業時と同じ状態で、
黒光りする巻上機が今も保存されています。
巻上機は当初蒸気機関によって稼働していましたが、
昭和33年(1958)に電気動力に変わったので、
現在では、前出の操業時の写真に写る、
ボイラーの煙突はありません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ac/0557474d111d94e7366b7d27dc07143c.jpg?random=16bcd2255fee17922f19add908592554)
宮原坑は昭和6年(1931)に採炭坑道の役目を終えますが、
排水施設としては三池炭鉱の閉山する平成9年(1997)まで稼働しました。
前回アップした宮浦坑とともに、
三池炭鉱の黎明期の姿を今に伝える貴重な遺産だと想います。
◆
【宮原坑】
福岡県大牟田市宮原町1丁目86-3
毎週日曜日 午前10時~午後5時まで公開。
見学無料。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/6b/262cb72139698aa7bcd8fcd685e64089.jpg?random=c79394db9337a7175bb45e2edbf92372)
◆ シリーズ 三池炭鉱 ◆
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保存されている施設の二番目は宮原(みやのはら)坑です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/0b/1b/2caaecff2ae764a137ba0427d48a9f7e.jpg?random=bb914ce1ebcfc752368ee409f2e204d7)
大牟田の長閑な住宅街に忽然と姿を現す、
高さ22m、鉄骨トラス製の竪坑櫓とその関連施設は、
国の重要文化財および指定史跡で、かつ
昨年世界遺産へ推薦提出された、
『明治日本の産業革命遺産』の構成遺産でもあります。
当初、坑内の排水を最大の目的として作られた坑道でしたが、
排水の効率が目覚ましく、
坑道完成後は採炭のための坑道としても使われた、
明治から大正にかけての主力坑道の1つです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/cc/5699e539678c0802ae176ec9ba708919.jpg?random=e086e9f778a67ce2ad28aff7a8b4bd43)
明治31年(1898)にまず第一竪坑が開削され稼働します。
写真は明治31年の宮原坑の様子なので、
竪坑櫓が1つしかありません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/1a/ccc91766f3c374d1f5198c06032aedda.jpg?random=e4887198f6690fd20609c18522257379)
現存する竪坑櫓は明治34年(1901)年に竣工した、
第二竪坑櫓です。
第一竪坑が、揚炭・排水・入気の役割を果たしていたのに対し、
第二竪坑は主に人員と資材の昇降を目的に使われました。
写真は大正8年の宮原坑の様子なので、
竪坑が2つ写っています。
手前が現存する第二竪坑櫓、
奥が既にない第一竪坑櫓です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/e6/6f17e91705fb326d1c18b26f9229541d.jpg?random=1b17c830d8f4c916a1e68187f7938c14)
第二竪坑櫓を正面(という言い方でいいかは分かりませんが)から見ると、
基礎部分に巨大な煉瓦の壁があります。
これは手前にあった建物の一部で、
團琢磨が導入した当時最新鋭の排水ポンプである、
デビーポンプが置かれていた建物の壁面の跡です。
三池炭鉱にとって坑内の出水は大きな難題でしたが、
このデビーポンプの導入によって克服したそうです。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/40/de/dc4d61c9b28f69232b5be08a0a20dcf1.jpg?random=3e560282cbeb5a1fa343baa7a61ac2c1)
写真は大正6年(1917)年宮原坑山ノ神大祭余興
と題されたものですが、
おそらく左側に写る建物が、
デビーポンプが設置されていた建物だと想います。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/70/7b/c08f1f291a4e9b471555de641accb899.jpg?random=8324698d2a2fd6aec89694fa7c04775c)
櫓の横には汲み出した地下水を排水していた、
極太の配水管もきれいな形で残存しています。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5a/46/bf33f65f5a17ec05cc9fb5cca0fc57b0.jpg?random=83f4a95c27846adde862a2fdbc88b0b3)
既に第二竪坑の坑口は閉塞され、
坑内通気のための管があるだけですが、
周囲の構造がそのまま残っているので、
かろうじて操業時の様子を偲ぶことができます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7a/ef/072e670f809a03e727a142fc7459a5be.jpg?random=9d31d201ec56a8702f6d1249289c4f53)
坑口跡の上には、ケージが残されています。
人員も昇降していたケージにしては、
だいぶ小さい印象を受けます。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/3a/1c/80475906220c721daaa4b3112edba0f9.jpg?random=7e093739e7c9f3af810f56641a722123)
ケージの手前には画像の様に四角い鉄板が敷かれ、
その両サイドに軌道が続いています。
これは、鉄板の上にトロッコを乗せ、
人力で回転させて向きを変えるための設備だと、
見学会のガイドさんに伺いました。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/28/0e2c46eb453bac5ff15222b9fea44981.jpg?random=09c9080616381facd7020b49a2cab4d7)
また、宮原坑は竪坑櫓だけでなく、
ケージを昇降させる巻上機があった捲座も残存しています。
煉瓦造りの奇麗な捲座で、
上部をアーチ状に作り込んだ窓が印象的です。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4d/e0/0d67b04784589b6207f67d957b8efa03.jpg?random=f6623b582e66d8d3d7e52e06c809d4b2)
捲座の内部には、操業時と同じ状態で、
黒光りする巻上機が今も保存されています。
巻上機は当初蒸気機関によって稼働していましたが、
昭和33年(1958)に電気動力に変わったので、
現在では、前出の操業時の写真に写る、
ボイラーの煙突はありません。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1f/ac/0557474d111d94e7366b7d27dc07143c.jpg?random=16bcd2255fee17922f19add908592554)
宮原坑は昭和6年(1931)に採炭坑道の役目を終えますが、
排水施設としては三池炭鉱の閉山する平成9年(1997)まで稼働しました。
前回アップした宮浦坑とともに、
三池炭鉱の黎明期の姿を今に伝える貴重な遺産だと想います。
◆
【宮原坑】
福岡県大牟田市宮原町1丁目86-3
毎週日曜日 午前10時~午後5時まで公開。
見学無料。
![三池炭鉱](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2c/6b/262cb72139698aa7bcd8fcd685e64089.jpg?random=c79394db9337a7175bb45e2edbf92372)
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