旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

木曽路の旅(2) 奈良井宿

2024-05-29 11:00:48 | 
 奈良井の町は中仙道の街道でまさに観光地だ。駅の待合室は世界各地の人達でいっぱい、東南アジアの人が多いかな。




案内所で軒の深いわけを尋ねた、お客の雨除けで街道沿いのそれぞれが家がアーケードにしたのかな。それと、税金逃れで二階部分を広くしたからとか、ドイツの民家も二階がせり出したのがあった。何時の時代もお国はあれこれ考えて召し上げるのだ。
また、昔大火があり近辺の大工さんが来て町を立て直した。その折に各地の立て方をしたから大工の出身地により特徴ある建物の立て方が残っているとか。たしかに、袖壁も全部にはなく、庇も揃ったり様々。ただ軒の深いのはこの地の特徴でガラパゴス化特異的に進化したんだろう。山陰・中部の街道の家は棟の短い平入のお家が続く。




用水があちこちに在り水の豊富な事がうかがえる、また火事に備えたのかも。


二階屋根をせり出した出桁


一階部分の庇(他であまり見られない)


駅の横に大きな和風の橋があった岩国の橋につくり方が似ている。
木曽の大橋




木曽路の旅(1) 木曽平沢

2024-05-29 10:01:19 | 
 木曽平沢は中仙道の街道の小さな漆器の町だ。建物の立て方や佇まいは越前や越中高岡の街に似ている。漆器のお店を兼ねた民家が並ぶが販売している土産屋さんは少ない。街路の入り口と出口は神さんとお寺が守っているようだ。1時間ほどで回った。あとはJRの時間待ち。




棟の短い住宅


三階建てもある


色ガラスかな洋館もある


大谷石の蔵や門構えがあった。


駅は町のサイズに似合わない位長い。


給食の食器は漆器。


街の入り口にあるお宮



道後湯築城

2024-05-15 11:04:08 | 
 数年ぶりにゆっくりと「道後湯築城跡公園」を散歩しました。
散歩している人あり城跡好きと思われる人あり、しっとりとした良い公園になっていました。



この城は中世も終わりに近い戦国末期、武器も弓から火縄銃に移る時期で、その様な目で見ると面白いと思います。近くには近世城郭の松山城もあり比較すると、兵士の数や武器の違いなどを想像すると興味深い。
また、秀吉子飼いの武将たちの作った城の一つ松山城も朝鮮の役で培ったノウハウを生かした松山城の縄張りもまた面白い。お城は奥が深い。
  外堀


 思えば20世紀の末、同地にあった動物園の移転が決まり跡地をめぐって、中世城郭として文化財として残すべきとの運動がおこりました。
あれから40年近い時が流れ「道後湯築城跡を守る県民の会」の運動をしていた人たちを思い出します。川岡さんはいまも中世史でご活躍されています。島津さんは「いいね」とお空から眺めておられるのでしょうか。

 この時期は丁度ICTがJカーブで拡大、インターネット幕開けと重なりました。私が作ったホームページで運動の範囲が県から全国のお城を愛する人たちに広がりました。インタ―ネット恐るべしでした。

   当時のホームページに使っていた写真やロゴなど


その後は、退職後の新しい仕事や病気の入院などで運動から遠ざかり、土居さんにはご迷惑を掛けました。今もご健在だとか。

 内堀







同世代だと思える案内ボランティアの人から声を掛けられました。「一緒にやりませんか」と優しい物腰の方でした。







良い公園になっていました。皆さんのお力によるものです。


「ハニー句会」 2024年  五月例会

2024-05-11 22:50:46 | お仲間たちと


新井文子
青き穂を抜いて麦笛畦の道
夏に入る柔軟剤の香り変え
饅頭に誘われ茶屋へ遍路道

二神重則
鴨立ちて池は小さな波ばかり
東でも西の社もホーホケキョ
はずのない声聞く時ぞ春夕べ

門屋定
見上げれば立夏の空の気持ち良さ
此(こ)の家(うち)も三本立ての松の芯
花過ぎて別れを風に促(うなが)され

長井知則
母の日は肩叩き券倍増し
点滴の文字摺草や老いる義母
家族鯉夏霞の空たなびく

八木健
夏帽子鍔の広さにこそ秘密 鍔(つぱ)
薄暑てふ季語に暑さの厚み知る
発音もかたちも似てる枇杷と琵琶 

吉川正紀子
さざ波を立てて嬉しき水田かな
跳び跳ねる首に紫雲英の首飾り
草笛名人若葉じゃ音だせぬ