旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

平入りと妻入り それぞれの家並_2022年追記

2019-11-28 19:42:27 | 
瀬戸内の遊里、木江港から少しはぃった処。船便が物流の中心だった時代、船乗り達はなじみの人の居るこの港への停泊を願い、船を壊したとか・・言い伝えがある。木造三階建て 見られるのも今のうちかも。
その地の時の流れ人の生活が感じ取れるところが好き。

お家に入る入口の玄関の位置で平入と妻入りがあります。
屋根の形と出入り口の説明が分かりやすい、水早さんのHPより画像をお借りしました。

典型的な例の平入の伊勢神宮

妻入りの出雲大社
 
神様の入り口は両方の場合もあります。

熊野三山の本宮大社
 平入りと妻入りがよく分かります。

先日行きました関宿は東海道。街道沿いは平入のお家が続いていました。
上空から見た写真はグーグルマップの画像を使わせて頂き参照しています。
実際の街並み、間口の狭い平入り

南越前今庄宿の町並み、平入りで間口が広い。


富山県高岡市吉久、古い港の米問屋


越前大野市の町屋、平入りで間口よりも奥行きが長い。



高岡市から金沢へ向かう鉄道の車窓から見る町並みは、平入りで奥行きの深い町筋がよく見えます。町から離れると通常の棟の長い建物の方が多くなります。
北陸は二階の垂れ壁をよく見ます。

次いで妻入りの街並みで有名なのは越後の佐渡との交易港であった出雲崎
良寛記念館から見た街並み

出雲崎辺りは間口の広さによって税金が決まっていた。
関もそうだろうか。何時の時代もお上は遠慮無く召し上げる。下々はそれに対応。それなりの町になるのだろう。

越後に入ると妻入りになるのかな・・・・もっと詳しく知りたいな。

新潟県糸魚川市市振 芭蕉さんの「一つ屋に遊女・・・・」の宿場町



新潟県糸魚川市市振 
 越中と越後の境・親知らずの西側
この町の町並みは妻入りが地図で見ると残っているのかな。
越前・越中で町屋は平入りで奥行きの長い建て方、越後に入ると妻入りの長い棟を持った建て方。
興味深い。
「あほ」「馬鹿」の分布とかうどんとソバとか、長子相続・分家相続などの日本の東西を分ける文化園の影響か?



面白い所では越前福井県三国港の昔お屋敷の観光案内所の妻入りなのだが出入り口を広くするため平入を付けてT型にしている。写真が無かったのでグーグルさんのを利用させてもらいました。屋根の形で想像してください。
(写真の建物は観光案内所・形式名を聞いたのだが忘れてしまった。)

風土と言う本があるらしい、その地域の自然環境が住む人たちの生活に影響を与えている。建造物などにその影響が見えます。旅をしているとその様な建物を見ると嬉しい。

その他
伊根の船屋、ご存じ京都の丹後地方。

浜に面して船の出し入れの妻入り二階建て、山際の道路は通常の平入りが多い。平地が少ないせいかな。

平地の少ない島の家。瀬戸内海松山市沖の二神島

神奈川大学常民文化研究所の研究が進んでいる。

(常民文化研の資料より)
中庭園の形式を取っている。人口密度が高い事への対応。
そう言えばヨーロッパの都市部では中庭園の形式が多いらしい。


日本全国、寄棟の総二階で庇が無く小さな窓の家並が続く新しい住宅地、近代の合理的な建物。風に乗ってカレーの匂いがする街、そんなのが多くなりました。何処へ行っても同じ家並み・・・残念。



愛媛県民総合文化祭に於いて、私達は知事賞を頂きました。

2019-11-23 21:08:41 | お仲間たちと
愛媛県民総合文化祭に於いて、私達は知事賞を頂きました。
本日23日に開催された県民文化祭で表彰を受けました。


連句はチームで作るものです、一人の力ではありません。お茶などのように中世の座の文化を続けていると思われます。
私でなく複数形の私たちへの表彰です。F1の優勝者が言う様に「我々は」と同じだと思います。

今回の私たちの作品です。
 冊子には厳しい批評があります、でも頷けます。なかなか先は長い。その先は有るのかな、宇宙の端と同じかな。

 半歌仙「法師蝉」の巻     二神 重則  捌
 
 移りゆく刻のしるべや法師蝉     二神 重則
  関所の跡を照らす弦月       向井 公子
 むかご飯喜寿の倪を寿ぎて      岡本 千秋
  逃がしてしまふシャッターチャンス 杉山 豚望
 噴水の立ち上がりつつ崩れゆく    小原ちあき
  父の居場所は古き籐椅子      寺岡美千穂
 夢託す火星探査機戻り来ず       ちあき
  うぶな恋して飲めぬ酒酌む   公子
 湯の街に足の触れ合ふ切炬燵   千秋
  座敷童子がひょいと顔出し   公子
 コンビニの深夜営業見直され   美千穂
  遍照院までてくてく歩く   ちあき
 月光を浴びて入港初荷船   豚望
  嫁が君らし齧る荒縄   重則
 悪寒には葛根湯がよく効くと   千秋
  遠き山並揺らすふらここ   重則
 一竹の辻が花愛で花衣   ちあき
  野点の席に挿せる苧環   美千穂

 令和元年八月二十六日 満尾 於 松山市民会館


連句に興味をお持ちなら「愛媛の連句」を見てください。
人の絆が薄くなっている今日、殺伐とした中世を生き抜いた「俳諧」、俳諧の現代版の連句これも一つの解決かなと思います。

関西線と伊賀鉄道 伊賀上野の旅

2019-11-16 15:05:01 | 
 難波で文楽の心中天網島の浄瑠璃に酔った後、天王寺駅から関西線にて伊賀上野市に行きました。
朝ホテルから見た上野城


伊賀鉄道のラッピング列車は女忍者、忍者市駅(こちらのうどん県に負けていません)



伊賀上野では芭蕉記念館を訪ね自筆の短冊などを見ました。展示に当時の俳諧の様子がありましたが、芭蕉が始めた歌仙についての説明が欲しかった。歌仙の聖・芭蕉さんの誕生地だからもちょっと力を入れた展示を期待していました。残念。

関西本線で鈴鹿峠の関駅へ


案内書で東海道と大和街道、東海道と伊勢街道の2つの追分があると言われて行って見る事に。
伊勢街道の分岐の東の追分に建つ鳥居は伊勢神宮の遷宮の折に建て替えられたものを使用しているとか。エコだ。


駅からここまでの雰囲気は街道真ん中の建物群よりも良い。
西の追分は、大和街道との分岐点。




関まちなみ資料館 元は町家だったとか、細い格子の窓を内側から眺める事はあまりない。
街を上空から見た大きな写真がありました、全てのお家が東海道に向けて平入りだ。珍しい。



関駅から柘植駅 柘植駅から草津へ出て東海道線の新快速で三宮、こちらは早い。
柘植駅の1番ホームは明治23年関西鉄道の築でフランス積み、近くのランプ小屋は残念イギリス積みでした。讃岐鉄道の橋梁のフランス積みと言い明治の鉄道マンはロマンチストかな。


隣の加太駅は「かぶと」と読む面白い。




国立文楽劇場で「心中天網島」

2019-11-16 14:59:09 | 日記
物語は女の義理で夫となじみの遊女が心中に至ると言う複雑な筋立てで、太夫の語りを聞いているだけではよく分からない。予め筋書を理解して見る必要があります。


中学生が団体で来ていました、我々が同じ頃にはラジオで浪花節がよくかかっていました。文楽も一度は見ておくと、何かの時に思い出すのかも。
舞台の上に浄瑠璃のセリフが投影されるが高い所で、人形を見ていると忙しい。舞台の下の方に工夫できないものかと思った。

近松門左衛門の傑作と言われている期待してゆきました、筋書の複雑さもあり難しかったが、道行の「名残の橋づくし」の場面は思った以上に良かった。

女殺油地獄

2019-11-12 18:13:44 | 日記
今回は(十代目松本幸四郎襲名記念 シネマ歌舞伎)を見ました。


同名前作の河内屋与兵衛を演じた片岡仁左衛門さん、どうしようもない崩れた放蕩息子の演技と油の中での場は見ものでした。

昨年大阪難波の文楽劇場で見たもの文楽の女殺油地獄は、太夫の語りに時間を忘れました。
今回の、松本幸四郎さんの与兵衛の狂気は見ものと思いました、ライトを上手く使っていました。

近松作品は現在にも通じる物語として面白い。
来週は難波で「心中天網島」を見に行こうと思います。

今回の女殺油地獄どちらかと言うと前作の映画が良かったかな。

2017年9月から始めている。八木健二神句会11月例会

2019-11-10 18:52:26 | お仲間たちと
最近はオイさんばかりで、本日は女性の参加がありました。途中抜けられるとの事で選句のみの参加でした。今回は最初の八木さんの句に選句が集まりました。


この句会は毎月第1土曜日に尊厳死協会四国支部の事務所で開催しています。
当日までに投句3句をメールで集め、開催当日は投句をシャッフルして印刷したものを持参し句会が始まります。

本日は新潟県から長野県をちょいと覗いてみました。

2019-11-08 17:55:03 | 
今回の旅の最終日、(佐渡~新潟市国民文化祭~日本会側を南下、本日は野尻湖周辺)

野尻湖ナウマンゾウ博物館


野尻湖、博物館横から見た。木々の色が変わり水面にも写り美しく見えました。


野尻湖に浮かぶ島琵琶島の宇賀神社


黒姫山の右の冠雪が見えるのは妙高か?
寒いわけです。


一茶記念館から見た信州らしい景色




新潟市では国民文化祭、お仲間の連衆が表彰を受けました。

2019-11-07 15:01:54 | 


お宿へ向かう途中に、白鳥の湖の瓢湖に寄りました。翌朝飛び立つところが見えるとの事で早朝にも行きました。




諏訪神社では七五参と競輪開催日と菊の展示が一緒になったとかで大変な人でした。ここの神社は出雲大社と一緒で4回の拍手でした。


良寛が修行をしたと伝えられている五合庵


良寛記念館のある出雲崎、妻入りの街として有名ですが更地が多くなっています。


向こうに見えるのは佐渡島「荒海や佐渡に横たう天の川」ここで流人たちと送りに来た知り合いは別れたとか。

幼い頃、家には置き薬がありました。時折薬屋さんが薬を入れ替えに来ました。
そして、薄い油紙の紙風船をいただきました。記念館に置いていました懐かしく見ました。出雲崎が産地だったんですね。




佐渡へ行きました。

2019-11-07 14:39:50 | 
お宿は小木港近く。この港は「佐渡情話」伝説の地。お光さんは向かい側の柏崎からたらい船で通ったとか。出雲崎へ金を運び、江戸の流人を水くみとして運んだとの悲しい歴史を持っている。遠くに柏崎や出雲崎が見えます。
新潟の芸子のお姉さんから相川音頭の話を聞きました。なんとも悲しい節回しと踊りを以前見たことがあります、もう一度現地で見たいと思いました。

関西の守護総ざらいの承久の乱を起こした後鳥羽上皇の息子の順徳天皇の流された黒木御所跡



ももしきや古き軒端のしのぶにも
  なほあまりある昔なりけり
百人一首の100番目、定家の後鳥羽院への思いが表れているのかな

ご存知の佐渡金山と近代化遺産




佐渡奉行所跡

相川は板葺きの屋根が多く、石で重りをしているところが見られると案内に書かれています。相川の街を見られなかったのでここの板葺きと重石を見て納得して帰ります。

そして朱鷺(トキ)