旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

愛媛県障がい者雇用創出事業

2023-11-23 18:54:03 | 日記
 この歳で・・・今までの経験が役に立つのかなと思いながらお手伝いをしています。また、障がい者の親の会の方々にも良い情報を届けられるかなとも思いながら。

企業の雇用率が来年度から変わり、算定方法の変更もあります。

 昨日とある企業さんへまいりました折、愛媛県には雇用された在宅の人が居ないとテレワークを使った在宅就労のお話がありました。
確かに具体的な良い例があると企業さんもイメージが沸きやすいと思いました。
 スキルや能力のある人は既に働いている現状から新しい人を見つけるのは、求人をしている企業の方のお話を伺いながら大変だなと感じました。

次の雇用者として
 重度障がい者のテレワークでの雇用には、在宅者のパックを支援する団体の育成が必要。
 精神障がい者の働きやすい環境や、急がないで安定するまで待っての就労など。

その様に感じました。



越後、雁木の町「高田」へ 瞽女ミュージアムへ

2023-11-13 11:34:45 | 
 変わったデザインの駅を降りると周りは雁木で囲われて、


案内所では雨の中だから濡れないで行けるところを中心に教えてもらいました。

 メインストリートはずっと近代的な雁木

  古い町筋のところは昔の面影を残している。

今回の旅は瞽女ミュージアムだったので、雁木を通り殆ど濡れないで行けました。


 「瞽女ミュージアム」
 町屋がそのままミュージアムに。案内のお姉さんは次々と来られるお客さんにその人に合わせた対応をされていました。すげえベテラン。

 私は説教節に興味があること。参加していた障がい者就労のNPOの設立は盲学校の先生方だと話しました。興味を持っていただいた様子で来年障害者支援のイベントがあることを装具関係の写真が掲載されたパンフレットを見せてもらいました。
 最初に、以前見たことがあるドキュメント映像を見せてもらいました。ほとんど覚えていないが出雲崎あたりの冬の景色が出てその記憶がうっすらと残っている。ビデオでの聞かせどころの山椒大夫、直江津の親子の別れの所だと説明が出るがほとんど何を話しているのか分からない。

 チラシの中の瞽女さんの演目に愛護の若・信太妻伝説・俊徳丸などがあり、なるほど幼くして預けられた自身の経験から親子の別れが語りやすかったのかと。これらは説教節からの流れが多いとか。親方から弟子へと口伝で伝えてきた。今は音源としてほとんど残っていないらしい。

北前船や河川の人や文化の流れでこちらにも全国の言い伝えなどが伝わり伝えていったのであろうと思いました。

               駅の支柱はレール。そういえば故郷の駅もそうだった。

直江津の町

2023-11-12 17:17:15 | 
雨の中海岸へ出てみました。暗い空に白波が轟音とともに迫ります。


海岸には人魚の銅像がありました。昨日の直江津の人のお話が蘇ります。
 直江津の人形伝説、
年老いた母と息子がいました。息子には許婚者が居り。しかし息子には毎晩佐渡から尋ねてくる女が居ました。
ある日母親から問い詰められて息子は常夜灯に火を灯しませんでした。翌朝海岸に行ってみると佐渡の女の亡骸がありました。
 佐渡情話(こちらは柏崎)
佐渡のお弁という娘が柏崎の藤吉という男に惚れて、毎晩たらい舟に乗って柏崎の藤吉に会いに、妻子ある藤吉は恐ろしくなり、目印にしていた常夜灯を消してしまった。目標を失ったお弁は難破して亡くなった。柏崎市伝説集
 佐渡小木港にあった昔話(こちらは出雲崎)
女が恋する男の待っている出雲崎へ毎晩たらい船で渡ってゆく。ある日灯篭の灯が灯っていなくて女は亡くなった。
 人魚像


 ご存じ「山椒大夫」
陥れられて大宰府へ追放となった奥州陸奥国の岩城判官正氏のあとを追って旅立った妻は、安寿姫と厨子王丸を連れて直江津で山岡大夫にだまされ、妻は佐渡へ、安寿姫と厨子王丸の姉弟は丹後の国(京都府北部)の山椒大夫へ売られてこの地で母子の別れとなります。
 森鴎外の物語では、種本にある説経節「さんせう太夫」の残虐な復讐の聞かせどころがない。


 直江津は北前船の寄港地で、船の重しとして運んだお寺には福井の笏谷石や関西からの御影石が残っています。
 八坂神社 長い参道は御影石


 真行寺経堂の笏谷石と立派な鐘楼





また、文化があったのでしょう謡曲の舞台となったお寺でした。
真行寺 竹の雪
 母恋しさに訪ねていった月若を、継母は雪の中に竹の雪を払えと命じた。そうして月若は寒さで凍死してしまう。母と姉が死骸を見つけた処に父も戻り奇跡が起きて月若は生き返る物語。雪国らしい物語。
 真行寺竹の雪



 海に向かって歩いていると、赤い帽子をかぶった3体の像
木彫と御影石で彫ったもの、左端は笏谷石か?


砂州の町でなだらかな坂道が多い。


大きな鉄道駅だったらしい線路と機関庫







只見線 会津若松~小出 「ボックス席」の旅

2023-11-12 12:59:04 | 
絶景ローカル線として名高いところ、4時間半の出来事。

 思い出に残る4時間半は出発前から始まりました。
会津若松3番ホーム只見線、出発まで1時間以上前数人待っていました。
絶景ローカル線として名高いところ。


 思い出に残る4時間半はしっ発前から始まりました。
会津若松3番ホーム只見線、出発まで1時間以上前数人待っていました。

 1時間以上前からホームに立っておられた女性は新潟から。ホームには三々五々と人は増えてきました。次いで直江津からの祖父母と青年の家族連れ、として、関東からのご夫婦。乗車口の前で「この路線は込むからと」皆さん様々な思惑で早くから待っています。会津鉄道からの乗り換えの人たち、磐越線からの人達でにぎわってました。
以前は1両で座れない人多数で大変だったという話も聞きました。

只見川、黄色に色づいた木々が見える。

落石防止の糸魚川のフォッサマグナ大糸線で見た様な景色


沿線の風景、室内は水滴がつきピントが合わない。


 直江津からの若者は鉄道ファンらしく詳しい。隣の列の人に「ここは乗車口ではない」とアドバイスする優し人物。直江津からの三人とボックス席で、直江津の海岸にある人形像の話を聞きました。先年佐渡の小木の港の掲示板で見た、女がたらい船で対岸へ灯篭の灯を目印に通い男が灯篭の火を消したとか。民話の続きの様なお話でした。

そろそろ夕昏時が近くなってきました。霧の中の景色もまた風情あり。


 隣に座ったご夫婦から頂いたパンフレットの地図を鉄道マニアの青年から見どころなどを教えてもらいながらの旅でした。
ご夫婦は終点小出の手前で降りられ、小出で上越線に乗られる新潟の女性と三人のご家族と別れました。そういえば昔はこんな旅だった懐かしさが蘇ってきました。
 私は、1時間くらい待ちで六日町へそして直江津へ。寒い。


小出駅、一人ぼっちになった


富田林へ

2023-11-06 20:28:14 | 
 20代の始めころ大阪当時は枚岡市に居ましたが府下は仕事や通勤以外あまり行ったことがありませんでした。愛媛県へ転勤になり大阪出身の同僚から富田林には見どころがあると聞いていました。
 昨夜は阪神優勝かと道頓堀を通りながら期待していましたが残念でした。

 富田林は大和川の河川流通で繁盛した街です。北前船寄港地に船主屋敷が残っているようにここは流通で儲けた分限者屋敷が残っていると案内に書いていました。その分限者には文学者や和歌を詠む人もいたようです。富田林の寺内町は興正寺の門前町としても栄えていたらしく、格子状の町筋は古い街道の道に似て狭い、ドイツの観光都市のように車の乗り入れを止めて歩行者中心にしたら歩く人もゆっくりと町を散策できるのにと思いました。
 京都では犬矢来は竹だが、ここでは木造です。珍しいのでパチリ
 

 あれ何? あの家は通り抜けになっている。
 
遠くに見えるのは何?


杉山家住宅 屋根の上の瓦葺きは煙抜きだとか。
大きなかまどがあり煙突が無いと思ったら煙抜きがありました。
煙抜き用の竹の簾様のもの

沢山の客間がありそれぞれの座敷飾り(床の間・違い棚と付け書院など)
端正な座敷が良かった

二階から見た丸瓦と平瓦、年季が入って銀色に光っていました。どちらの産だろうか。


 寺内町の屋敷にここだけかな袖壁がありました。


嫌な思い出もある。
 何処にでもいる訳の分からない輩で、会いたくないけど巡り合ってしまいました。
浄土真宗「興正寺」の門前で女が呼び鈴を押して中から返事があると60歳くらいの同伴の男が、いきなり切れて怒鳴りだした。一時は一戦を覚悟をした、眼を合わせたところ視線が合わない。暫くしたら鼬の最後っ屁の様な言葉を残して去っていった。
 その後、女が押したチャイムからどうぞお入りくださいとの返事があったのでお邪魔をしました。可哀そうな女は祈りたかったのでしょう代わりに祈っておきました。
浄土真宗のお寺で、女将さん?から門前での出来事を心配してもらいました。真宗の事を詳しく説明頂きました。山陰や北陸の港町や農家のお墓や仏壇、吉崎御坊などのお話をしました。
ここを富田林御坊というらしいことも聞きました。山門には保存修理のチラシが置いてありました。
何かのご縁かご寄付をさせてもらいました。これも親鸞さんの手引きかと。

 立派な山門

 その後、お寺の女将さんから丁寧なご返事を頂きました。
旅は思わぬ出会いがあります。



蝉丸神社と逢坂の関跡

2023-11-06 18:42:19 | 
京都から大津へ抜ける道、国道1号線なれど抜けるという言い方がぴったりの道。60年位前にお仕事でこの道を名車スーパーカブに乗って何度か行き来した、その後日本社会の発展に伴って単車になり車になった。懐かしい場所です。当時は20代蝉丸とか逢坂の関などは知らなかった。
 上栄町辺りは半世紀前のそれらしい街の雰囲気が残っていました。


中年過ぎて平家物語や平家歌壇の歌が好きになり、平宗盛の「都をばけふをかぎりの関水に またあふさかのかげやうつさむ」の歌を残した所で行ってみたいと思っていました。

この道を鎌倉への死出の旅、重衡や太平記の「落花の雪に踏み迷う」の日野俊基の関東下向の哀切漂う道行文にもあった。そして今度は電車で大谷駅から上栄町までやって来ました。

蝉丸は能の「蝉丸」はまだ見ていないが悲しい物語は本で知りました。そして、芸事の神様。この年で何か新しい事始めてみようかと思い尋ねてきました。


蝉丸神社は大谷駅からすぐのウナギの匂うところ。逢坂の関跡を過ぎて関蝉丸神社上社と大津市街の端になるのか下社の3カ所にあります。
関跡には百人一首のこの関に関する歌碑があった
 これやこの行くも帰るも別れては 知るも知らぬも逢坂の関
 名にし負はば逢坂山のさねかづら 人に知られで来るよしもがな
  「実葛」これだと思ってみたこともないが。
 夜をこめて鳥のそら音ははかるとも よに逢坂の関はゆるさじ
  この歌の故事「鶏の空音」はどこかで聞いたことがある。

蝉丸さんは諸芸道の神さま、猿田彦さんは街道の神さまで旅好きの守り神様、これからも宜しくとお願いしてきました。お宮には誰もいなくて寂しさあふれていました。




昨日は姪の結婚式で大阪泊まり。大阪城の堀や石垣知ってはいたが修学旅行の時にゆっくり見ていなかった。確かに広い・でかい。