旅が好き・そして日々の時間で気の付く事を。

旅では人々の生きた来た跡を訪ねてみたい。
時間が出来たので、今までにしなかった事に手を出してみようと思う。

映画「山椒大夫」と由良川河口。

2017-06-25 20:24:25 | 
古い映画です、田中絹代さんですから。
おやッ?と思ったのは厨子王が兄になっていました。確か安寿がお姉さんのはずだった・・・が、母と二人の子供は今の福島県いわき市から、阿武隈川河口の荒浜から会津若松へ、阿賀野川・信濃川から日本海側の新潟へ出て直江津で人買いの松岡太夫に会い母親は佐渡へ子供たちは現在の京都府宮津市由良川河口の山椒大夫屋敷に入った。
旅好きにはどの通を通ったのか、仙台~芭蕉と同じように最上川を下り酒田に出てとか、いろいろ想像します。
。映画では森鴎外の小説とは異なり、時間的な制約もあり親兄弟の情愛を主題にしているのでしょう。

百人一首の「由良のとを渡る船人梶をたえ・・・」の歌枕の地と山椒大夫屋敷跡を訪ねました。

 説教節の「さんせう太夫」では、厨子王が神仏により救われて出世したり。安寿は弟を脱走させたため山椒太夫の息子三男の三郎によって残酷な拷問を受け殺される場面や、山椒大夫や息子三郎に対する凄惨な復讐などは小説・映画共に省かれている。
 水上勉の書いている説教節を読むと違いがよくわかり、中世から伝わる語り物の世界と明治の近代化の中の小説の求められる違いが興味深い。


安寿が汐を組んだ場所と言われています。

 由良川河口に再び行く機会がありました。
由良川河口です。

最近見た映画「高瀬川」「大病人」

2017-06-25 13:44:43 | 日記
 高瀬川は50年も昔京都に住んだことがありました。木屋町を一緒に歩いていたその人は森鴎外を知っていました。私は自分の無学を知りました。
映画の「高瀬川」は淡々としたものです。
「ドキュメント安楽死」という本は関わった人達へのアンケートとインタビューが書かれています。手を出した人も出さなかった人も、その悲しさに心を打たれます。

 「大病人」はコメディー仕立てで死を迎える病人の深刻さを見やすくしています。
ドクターとのインフォームドコンセントと家族とのリビングウィルの大切さがよく出ていると思います。
 監督の伊丹十三記念館が地元松山市にあります。

 このような映画を見る事も、尊厳死協会のお手伝いをするようになってからかなと思います。

少し長くなりますが、

2017-06-23 23:02:07 | 日記
 最近まで仕事としていた、障がい者のITを使った共同受注窓口の理事を辞めました。
 人生は旅に似ていると思います。知らないところへ行くと新しい発見や人との関係が生まれます。
なぜ辞めたのかと聞かれます。ここで少し書いてみようかと思いました。
旅で行く先を変えることはよくあります。様々な理由があります。仕事も一緒です。

 最初の職業は製薬会社の営業でした、必要とされていないと分かり辞めました。
給料は良かった、しかし、つまらないやる気の起こらない仕事を続けるのは人生の無駄だと思い辞めました。
自分の意志で生きて行けるのは50年位、短い時間です納得出来る時間にしたかった。

 次の職業は大工さんの見習いからでした。体を使い物を作る仕事がしたかったのです。
しかし、心臓が悪くなり5~7年で大工さんは続けられなくなりました。

 昨年まで勤めていた、NPO法人を辞めました。障がい者の就労支援をしているNPO法人です。
2000年位に会員になりました。
当時法人は細々とパソコン講習会をしていました。ITやインターネットで仕事をするしたい障がい者が現れる時代でした。
4年後、求職者向けのパソコン講習会を始めました。次々と要望があり県下で講習会を開きました。
受講者を中心に力を合わせて働くシステムを作ろうと思い立ちましたが仕事と技術習得のアンバランスで参加者の人には苦労を掛けました。
 その後、自立支援法により就労継続支援事業所になり、共に働く人や支援をする人営業をする人に、少ないですが安定的に給料が払えるようになりました。
目指していた一つの大きな目標が達成できました、その間一緒に事業をしてきた能力あり20歳も若い責任者が居ます。
また、法人も県内では名の売れたある一定の評価を受ける団体になりました。そうです、もうする事が無くなりました。

 共同受注窓口は、一昨年新しいIT通で情報通で産業界や大学に人脈があり有能な良い人に入ってもらいました。
ただ、窓口の売り上げが少なく、収入の絶対量が少ない。

 新しい事を作り上げてゆくのは好き、だが継続する能力は持ち合わせていません。これがその辞めた訳です。

 次の旅を見つけました。現在は高齢になり終活の時代です。
リビングウィルをご存知でしょうか?
自身の終末期の医療に関して、判断力のあるうちに意思表示しておく指示書。と言われています。
生命維持装置の使用を拒否する、あるいは痛みなど苦痛の除去治療についての希望などを残しておく。
終末期を迎えて意識がなくなった場合に家族や担当医師に提示して本人の意思にそった取り組みを言います。
医学界においても終末期をどの様にするかのガイドラインが出来ています。
リビングウィルを進める会のお手伝いをすることになりました。
友人から一昨年勧められました。



5月26日、大阪府堺市

2017-06-03 20:45:35 | 
5月26日、大阪府堺市へ行きました。
港では100年と少し前に「堺事件」がありました。フランスの軍隊と高知の兵隊が戦い、責任を取る形で11名の方が切腹されました。
高知の人達の切腹の凄惨さが伝わっていました。写真はその方々を祭っている妙国寺


また、土佐と言えば
維新にいち早く旗揚げした土佐勤皇党、吉村寅太郎ら天誅組は同じ堺の港から上陸し、中野五条代官所を襲撃、その後十津川で壊滅した。
港には両方の記念碑が立っています。