学校では、冬休みが終わり新年になると、必ず、それはもう絶対に「書き初め」をする。
書道でもって、新年の目標のようなものをみんなで書くという授業がある。
教員側が決めた言葉を生徒が書くという不思議な儀式が行われる。
別にそんな事を目標にしたいと思ってる訳じゃないのに、「これを書きます」と言われてみんなそれを書く、というのが未だにある。
そしてその言葉は、どれも押し付けがましくて暑苦しいものばかり。
「強い意思」「希望」「信念」「友情」「夢」などなど。
なんなのこれ?って、今だからこそ強く思うけど、小学校くらいからふんわりと疑問に思っていたような気がする。
みんな一緒の言葉を書くことにより、上手い下手の比較意識が生まれるし、
そういった言葉の意識を持つことが正義で正しいという考えを植え付けられる。
「夢をもたないとダメ」「強い意思がないとダメ」「希望を持たないとダメ」という感じで、
キレイな言葉ばかり押し付けられて、それがないとダメというように教えられる。
そう考えると、差別もいじめも、なくならないよなぁ、、、とぼんやり思う。
書き初めなんて、子供たちの好きな言葉を書かせればいいのに。
そうなるとふざける子供もいて、変な言葉を書く子供もいるだろう。くだらない下ネタだったり、「めんどくせー」とか書く子もいるだろうなぁ。
そして適当に書いて「はいこれでいいっすー」という子もいるだろう。
そういう作品をみんな廊下に並べて、それぞれ思うところあればそれでよし、というのも大人側の都合の良い考えなのかなぁ。
「こうした方が良い」というのはわからないけど、今のこの「キレイな言葉」を、一律で全員に同じく書かせるのは良くないとは思うのです。
今働いている学校で、「信念を貫く」という書き初めがズラーーーーーーーっと廊下に貼り出されていて、そこを通るのが億劫で仕方がないもの。
あああああもうごめんなさい!!!って気持ちになるもの。やめてください本当に。
書道でもって、新年の目標のようなものをみんなで書くという授業がある。
教員側が決めた言葉を生徒が書くという不思議な儀式が行われる。
別にそんな事を目標にしたいと思ってる訳じゃないのに、「これを書きます」と言われてみんなそれを書く、というのが未だにある。
そしてその言葉は、どれも押し付けがましくて暑苦しいものばかり。
「強い意思」「希望」「信念」「友情」「夢」などなど。
なんなのこれ?って、今だからこそ強く思うけど、小学校くらいからふんわりと疑問に思っていたような気がする。
みんな一緒の言葉を書くことにより、上手い下手の比較意識が生まれるし、
そういった言葉の意識を持つことが正義で正しいという考えを植え付けられる。
「夢をもたないとダメ」「強い意思がないとダメ」「希望を持たないとダメ」という感じで、
キレイな言葉ばかり押し付けられて、それがないとダメというように教えられる。
そう考えると、差別もいじめも、なくならないよなぁ、、、とぼんやり思う。
書き初めなんて、子供たちの好きな言葉を書かせればいいのに。
そうなるとふざける子供もいて、変な言葉を書く子供もいるだろう。くだらない下ネタだったり、「めんどくせー」とか書く子もいるだろうなぁ。
そして適当に書いて「はいこれでいいっすー」という子もいるだろう。
そういう作品をみんな廊下に並べて、それぞれ思うところあればそれでよし、というのも大人側の都合の良い考えなのかなぁ。
「こうした方が良い」というのはわからないけど、今のこの「キレイな言葉」を、一律で全員に同じく書かせるのは良くないとは思うのです。
今働いている学校で、「信念を貫く」という書き初めがズラーーーーーーーっと廊下に貼り出されていて、そこを通るのが億劫で仕方がないもの。
あああああもうごめんなさい!!!って気持ちになるもの。やめてください本当に。
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