時間講師として、学校で働いていると、給食の配膳をすることがある。自分の授業のタイミングとかで、配膳できない日もあるのだが、時々は配膳に入る。そして僕は配膳が好きだ。僕は給食を取っていないので食べないけど、食事を盛るという行為が楽しい。
「この先生はたくさん食べるから大盛りにしよう。この先生は、主食よりもおかずが多めがいいって言ってたな。この先生はダイエット中って言ってたけど、麺の時は『大盛りで!』って言ってたな」
など、それぞれの好みを聞きつけて配膳している。しかし教員や生徒の急な休みなどで、給食が余ることがよくある。そもそもの量が多いのか、結構な量が毎回余る。そういう時は、出勤している教員の皿に盛ることになる。子供には、食育での規定があるのか、必要以上のカロリーを摂取させないようにということで。
それで教員が大盛りになるわけだけど、そんなに食べれない人だって当然いるわけで、残して廃棄されちゃうわけです。それなら配膳の段階で、これ以上盛ってもなぁ…という時は「じゃあ僕がもらいますよ」と言いたいけど、みんな給食費を払ってるわけだから、給食費を払ってない人間がそんな事はできないわけ。だからまぁ、当然のごとく捨てられていく食べ物を、何もできずに見ているしかない。何か良い方法はないのかなぁ、と、本当に思う。ちょうだいよ、捨てるならさ。って思うけども。
って、そういう話じゃないんです今回は。(ここまで書いといて)
本日の配膳の時に、ちょっと気になることがあったのです。
登場人物の紹介をしておきますね。
70代女性、本校で時間講師として長年勤務している。
40代男性、他校から移動して、今年度から本校で勤務している。
配膳の際、女性の方が、それぞれのお盆に白米が盛られた器を置いていった時、男性が
「あ、逆逆、それ逆」
と言ったのだ。ご飯は左、汁物は右。女性はご飯を右に置いてしまったのだ。
女性は「あ、こだわる方ですか」と言い、男性は
「いや、こだわるっていうか、学校ではそうしなきゃいけないから」と。
食育という観点で、教育現場ではそういうことが徹底されているのだろう。
だが、時間講師には、それがどれだけ徹底されているのかは把握できない。
忙しく、あたふたしている時など、空いてるスペースにパッと置いちゃうこともあるだろう。
僕は食育というより、気になってしまい、その辺は徹底する。
箸が離れていたらビシッとくっつけて長方形のトレーの端と水平にするし、パックの牛乳も変に斜めになることなく、トレーの縦と横が合うようにしたい。まぁ、誰が何を配膳するかはその時々で違うし、できる範囲で、ということだけど。
でも今回の、「あ、逆逆、それ逆」のやりとり、その後はどう続いたのか、こちらも配膳をしつつなので、詳しくは聞けなかったが、最後は男性の、多少呆れ気味な口調での
「いや、もうそういう時代じゃないから」
というところで、やりとりは終了し、普段の配膳に戻った。
この男性が言っている事は正しい。学校の現場ではそうしなければいけない。
この男性教員は今年度から本校に移動してきた、と書いたが、先日、教材室で、この方と一緒になることがあった。
僕が、自分の授業のためにある道具が欲しくて、教材室に探しに行った時のこと、その先生が、先に教材室にいた。
「お疲れ様です」と言い合って、僕が必要なものを探そうと思ったところ、その先生が
「何か探してますか?」
と聞いてきたのだ。これ、どう思います?これ、文字だけで読んだら普通の事だし、むしろ「親切じゃん」と思うかもしれない。
でもね、教材室に入り、部屋を見まわした瞬間に「何か探してますか?」と言われる。
そしてその口調が、若干強めというか、「支配的」な感じがした。
それでその先生に対して、ちょっとだけ警戒心を持ってしまった。
そういう時での、今回の配膳時の「あ、逆逆、それ逆」だったので、色々思ってしまった。
まずその注意をするまでの速さね。
忙しなく、わちゃわちゃと動いている中での作業。
だからと言って、許されないことはもちろんあります。
それがね、器が左右逆だったっていう。
大事です。もちろん大事なんです。
でも一度ね、何も言わずにこちらでスッと直して、次も同じようだったら
その時に、「あ、すみません、ご飯は左…ってことで、あの、なってるんで、すみません、左で、あの、お願いします」とか、僕は言うだろう。
それが、器を置いた瞬間に
「あ、逆逆、それ逆」
という。もっかい言うけど、正しいのだ。正しいのだが、その言い方が、ちょっと気になるのだ。「悪い」ということではなく。
その「速さ」が、ちょっと怖いし、そこまで強い口調じゃないにしろ、揺るがない印象はあった。
女性の方も昔ながらのチャキチャキ系で、「細かいことは気にすんねえ!」と言う人だが、今はそれではいけないと言うのも、重々わかる。
でも相手は70代の方だ。そんなのもちろん知ってるだろうし、一回ちょっと様子を見る、くらいの余裕はあっても良かったのではなかろうか、と思ってしまった。
一回様子を見た上で、次もデタラメだったら、その時は流石に「あ、逆ですね」と言って良いと思う。
様子を見ずに、その時その場で、良い悪いを判断する感じ。それは大事なことなのかもしれない。
教育という面で、「正しい」「間違ってる」をキチンと伝えることは必要なことだと思う。
でも、その間のグレーゾーンがすごく大事だと僕は思うわけで、世の中ってグレーゾーンばっかりだし、そういうことを伝えたいとも思う。
その先生とちゃんと話したわけじゃないので、グレーゾーンを無視した極端な人じゃないかもしれない。でも教材室での「何か探してますか?」と、「あ、逆逆、それ逆」からは、ちょっと、支配的で苦手な印象を抱いてしまった。
自分が正しいと思ってることが明らかに正しいことでも、それを他人に伝える時は慎重でありたい。
1+1=2
それをわからない人に、その意味を丁寧に伝える感じ。1ってなんなのか。+ってなんなのか。「合わせる」「一緒」「同じ」「全部」などなど、どの言葉を使えば、または、どういう道具を使えば「+」という概念を伝えることができるのか。
最近、数学に関する本をあれこれ読んだり、自分でも数学を勉強し直す中で、こういうことを感じることが多い。
面白い。難しい。わからない。面白い。
「この先生はたくさん食べるから大盛りにしよう。この先生は、主食よりもおかずが多めがいいって言ってたな。この先生はダイエット中って言ってたけど、麺の時は『大盛りで!』って言ってたな」
など、それぞれの好みを聞きつけて配膳している。しかし教員や生徒の急な休みなどで、給食が余ることがよくある。そもそもの量が多いのか、結構な量が毎回余る。そういう時は、出勤している教員の皿に盛ることになる。子供には、食育での規定があるのか、必要以上のカロリーを摂取させないようにということで。
それで教員が大盛りになるわけだけど、そんなに食べれない人だって当然いるわけで、残して廃棄されちゃうわけです。それなら配膳の段階で、これ以上盛ってもなぁ…という時は「じゃあ僕がもらいますよ」と言いたいけど、みんな給食費を払ってるわけだから、給食費を払ってない人間がそんな事はできないわけ。だからまぁ、当然のごとく捨てられていく食べ物を、何もできずに見ているしかない。何か良い方法はないのかなぁ、と、本当に思う。ちょうだいよ、捨てるならさ。って思うけども。
って、そういう話じゃないんです今回は。(ここまで書いといて)
本日の配膳の時に、ちょっと気になることがあったのです。
登場人物の紹介をしておきますね。
70代女性、本校で時間講師として長年勤務している。
40代男性、他校から移動して、今年度から本校で勤務している。
配膳の際、女性の方が、それぞれのお盆に白米が盛られた器を置いていった時、男性が
「あ、逆逆、それ逆」
と言ったのだ。ご飯は左、汁物は右。女性はご飯を右に置いてしまったのだ。
女性は「あ、こだわる方ですか」と言い、男性は
「いや、こだわるっていうか、学校ではそうしなきゃいけないから」と。
食育という観点で、教育現場ではそういうことが徹底されているのだろう。
だが、時間講師には、それがどれだけ徹底されているのかは把握できない。
忙しく、あたふたしている時など、空いてるスペースにパッと置いちゃうこともあるだろう。
僕は食育というより、気になってしまい、その辺は徹底する。
箸が離れていたらビシッとくっつけて長方形のトレーの端と水平にするし、パックの牛乳も変に斜めになることなく、トレーの縦と横が合うようにしたい。まぁ、誰が何を配膳するかはその時々で違うし、できる範囲で、ということだけど。
でも今回の、「あ、逆逆、それ逆」のやりとり、その後はどう続いたのか、こちらも配膳をしつつなので、詳しくは聞けなかったが、最後は男性の、多少呆れ気味な口調での
「いや、もうそういう時代じゃないから」
というところで、やりとりは終了し、普段の配膳に戻った。
この男性が言っている事は正しい。学校の現場ではそうしなければいけない。
この男性教員は今年度から本校に移動してきた、と書いたが、先日、教材室で、この方と一緒になることがあった。
僕が、自分の授業のためにある道具が欲しくて、教材室に探しに行った時のこと、その先生が、先に教材室にいた。
「お疲れ様です」と言い合って、僕が必要なものを探そうと思ったところ、その先生が
「何か探してますか?」
と聞いてきたのだ。これ、どう思います?これ、文字だけで読んだら普通の事だし、むしろ「親切じゃん」と思うかもしれない。
でもね、教材室に入り、部屋を見まわした瞬間に「何か探してますか?」と言われる。
そしてその口調が、若干強めというか、「支配的」な感じがした。
それでその先生に対して、ちょっとだけ警戒心を持ってしまった。
そういう時での、今回の配膳時の「あ、逆逆、それ逆」だったので、色々思ってしまった。
まずその注意をするまでの速さね。
忙しなく、わちゃわちゃと動いている中での作業。
だからと言って、許されないことはもちろんあります。
それがね、器が左右逆だったっていう。
大事です。もちろん大事なんです。
でも一度ね、何も言わずにこちらでスッと直して、次も同じようだったら
その時に、「あ、すみません、ご飯は左…ってことで、あの、なってるんで、すみません、左で、あの、お願いします」とか、僕は言うだろう。
それが、器を置いた瞬間に
「あ、逆逆、それ逆」
という。もっかい言うけど、正しいのだ。正しいのだが、その言い方が、ちょっと気になるのだ。「悪い」ということではなく。
その「速さ」が、ちょっと怖いし、そこまで強い口調じゃないにしろ、揺るがない印象はあった。
女性の方も昔ながらのチャキチャキ系で、「細かいことは気にすんねえ!」と言う人だが、今はそれではいけないと言うのも、重々わかる。
でも相手は70代の方だ。そんなのもちろん知ってるだろうし、一回ちょっと様子を見る、くらいの余裕はあっても良かったのではなかろうか、と思ってしまった。
一回様子を見た上で、次もデタラメだったら、その時は流石に「あ、逆ですね」と言って良いと思う。
様子を見ずに、その時その場で、良い悪いを判断する感じ。それは大事なことなのかもしれない。
教育という面で、「正しい」「間違ってる」をキチンと伝えることは必要なことだと思う。
でも、その間のグレーゾーンがすごく大事だと僕は思うわけで、世の中ってグレーゾーンばっかりだし、そういうことを伝えたいとも思う。
その先生とちゃんと話したわけじゃないので、グレーゾーンを無視した極端な人じゃないかもしれない。でも教材室での「何か探してますか?」と、「あ、逆逆、それ逆」からは、ちょっと、支配的で苦手な印象を抱いてしまった。
自分が正しいと思ってることが明らかに正しいことでも、それを他人に伝える時は慎重でありたい。
1+1=2
それをわからない人に、その意味を丁寧に伝える感じ。1ってなんなのか。+ってなんなのか。「合わせる」「一緒」「同じ」「全部」などなど、どの言葉を使えば、または、どういう道具を使えば「+」という概念を伝えることができるのか。
最近、数学に関する本をあれこれ読んだり、自分でも数学を勉強し直す中で、こういうことを感じることが多い。
面白い。難しい。わからない。面白い。
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