親戚の叔父が、以前癌を患い、それがあちこちに転移して、急激に悪くなったと母親からメールが来た。
もってあと1カ月か2カ月か、という状態らしい。そういうメールをもらったので、久々に母親に電話をした。
僕はあまり実家には帰らない。「帰りたくない」というのが正直なところ。
僕は3兄弟の真ん中。兄は教員で奥さんと子供も二人、弟は企業に勤めて最近結婚するという。
それに比べて僕は何もない。家族もいないし、職も「教員」とは言え、1年契約の時間講師で安定しているとは言えない。
舞台活動に励んでいるとは言え、そこまで精力的に活動しているわけでもなし、自分自身、未だに試行錯誤の暗中模索な状況。
こんな状態で帰っても、かえって親に心配をかけさせるだけだと思ってしまい、なかなか帰れずにいる。
それでも親は、「やりたいことやれ」と言ってくれている。本当にありがたいと思う。
でも親戚なんかは、やっぱり「好きなことやるのはいいけどな、まぁ、ちゃんと、仕事して、な」っていう感じ。
そういうのが嫌で、実家に帰るのは数年に一度だし、親戚にはほぼ顔を出していない。
盆や正月に顔を出さないのは、兄ならば、正教員だし家族もいるしで、「仕方ない」と思ってもらえるだろう。実際しんどいだろうし。
僕なんかは、親戚からすれば「独り身で、気楽にらふらしてるんだから、正月くらい顔出せるだろう」って思ってると思う。
他の仕事をしている人がどういう思いで仕事をしているのかはわからんが、僕はひとつも気楽じゃないし、
10年近く続けているこの仕事でも、未だに暗中模索と試行錯誤でビクビクしている。
最近は舞台の予定はなく時間があるので、ダンスレッスンに行くくらいの本気さで、仕事に臨もうと思う。
当たり前のこと。舞台の予定があろうがなかろうが、そんなのあたりまえ。当たり前なんだ。
僕はいつでも、周りの人と自分を比較してしまう癖がある。比べても仕方がないと思いつつ、比べてしまう。
周りの人たちはこんなに活躍しているのに僕は何もやっていない。そう思って凹む日々。
そんなことをしても仕方がない、といってやめれるほど、自分の生き方は安易にほどけないほど絡まっている。
他人と比較して観る自分なんて、なんにも意味がないとは思えど、どうしても他人というフィルターを通してしまう。
そこで見えてくる自分って誰なんだろう。それって本当に自分なんだろうかとも思う。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
カッコつけなくてもいいし、周りに合わせなくてもいいし、ひとまずは周りを気遣わなくてもいい。
自分がやりたいことをやればいいし、行きたいところに行けばいい。
そこまで無理はしなくてもいい。ほんのちょっとの無理はいい。
自分がやりたいこと、やるべきこと!!とガチガチになって考えても何も見えてこない。
もっと適当でいい。いい加減でいい。自分に正直になっていい。
他人を通した自分じゃなくて、本当の自分をちゃんと見つめてあげればいい。
簡単な事じゃないとは思う。「こうすればいい」なんて方法もない。
僕は、人付き合いが激下手ながらも、知り合いの舞台を観に行ったり、本を読んだり映画を観たり、人と話したりして「ああそうか」と思うことがあったりした。
人と関わることが苦手なので、「嫌だ」と思うことがほとんどだけど、「人と関わらないと自分が広がらない」と思うこともまたほとんど。
人と関わると、どうしても人の目を気にして、その場をいい具合に取り繕ってしまう。
そうじゃなくて、もっとある意味自分を捨てて、「もうどうでもいいじゃん」っていう気持ちで人と接するのも大事かなと思ったりもする。
諦め力。僕はこの力には優れていると思う。たいていの人間関係、「仲良くなっても仕方ない」と諦めてきた。
でもそれじゃいけない。諦め力は大事だけど、「突き放し」が前提ではいけない。「仲良くなる!!」っていうのが前提にないといけない。
親はさすがにもう口にはしないが、親戚などに顔を合わせれば、
「兄ちゃんは結婚して子供もいて仕事もしっかりやってる。弟も仕事をしてそろそろ結婚もする。お前はどうなんだ」そういう親戚の言葉が聞こえるようだ。
僕は何も言い返せない。熱くなって「妥協した人生なんて嫌なんすよ!!」とか言う気も無い。とは言え、「ははは、そうですねぇ」と軽く受け流す自信もない。
叔父の余命が宣告されてる今、なんでこんな自分のことばっかり気にしているんだと思うけど、人は死ぬ。これは避けられないことだ。
母親に電話をしたら、おじちゃん以外はとりあえず、みんな元気だ、と言っていた。
そして、「年末年始、帰ってこれるなら帰って来い」と何度も行っていた。
帰っても親を安心させることはひとつもないので、かえって心配を深くさせるだけだと思っている。
なのでほぼ実家には帰らない。とは言え、そんなことは関係なく、ただ顔を見せるだけでいい、ってこともあることはわかる。
でもそれすらも嫌だったけど、叔父が老い先短いとなり、自分の両親もそうなんだと思ったとき、
そんなこと言ってらんないな、と思った。
もってあと1カ月か2カ月か、という状態らしい。そういうメールをもらったので、久々に母親に電話をした。
僕はあまり実家には帰らない。「帰りたくない」というのが正直なところ。
僕は3兄弟の真ん中。兄は教員で奥さんと子供も二人、弟は企業に勤めて最近結婚するという。
それに比べて僕は何もない。家族もいないし、職も「教員」とは言え、1年契約の時間講師で安定しているとは言えない。
舞台活動に励んでいるとは言え、そこまで精力的に活動しているわけでもなし、自分自身、未だに試行錯誤の暗中模索な状況。
こんな状態で帰っても、かえって親に心配をかけさせるだけだと思ってしまい、なかなか帰れずにいる。
それでも親は、「やりたいことやれ」と言ってくれている。本当にありがたいと思う。
でも親戚なんかは、やっぱり「好きなことやるのはいいけどな、まぁ、ちゃんと、仕事して、な」っていう感じ。
そういうのが嫌で、実家に帰るのは数年に一度だし、親戚にはほぼ顔を出していない。
盆や正月に顔を出さないのは、兄ならば、正教員だし家族もいるしで、「仕方ない」と思ってもらえるだろう。実際しんどいだろうし。
僕なんかは、親戚からすれば「独り身で、気楽にらふらしてるんだから、正月くらい顔出せるだろう」って思ってると思う。
他の仕事をしている人がどういう思いで仕事をしているのかはわからんが、僕はひとつも気楽じゃないし、
10年近く続けているこの仕事でも、未だに暗中模索と試行錯誤でビクビクしている。
最近は舞台の予定はなく時間があるので、ダンスレッスンに行くくらいの本気さで、仕事に臨もうと思う。
当たり前のこと。舞台の予定があろうがなかろうが、そんなのあたりまえ。当たり前なんだ。
僕はいつでも、周りの人と自分を比較してしまう癖がある。比べても仕方がないと思いつつ、比べてしまう。
周りの人たちはこんなに活躍しているのに僕は何もやっていない。そう思って凹む日々。
そんなことをしても仕方がない、といってやめれるほど、自分の生き方は安易にほどけないほど絡まっている。
他人と比較して観る自分なんて、なんにも意味がないとは思えど、どうしても他人というフィルターを通してしまう。
そこで見えてくる自分って誰なんだろう。それって本当に自分なんだろうかとも思う。
そうじゃない。そうじゃないんだ。
カッコつけなくてもいいし、周りに合わせなくてもいいし、ひとまずは周りを気遣わなくてもいい。
自分がやりたいことをやればいいし、行きたいところに行けばいい。
そこまで無理はしなくてもいい。ほんのちょっとの無理はいい。
自分がやりたいこと、やるべきこと!!とガチガチになって考えても何も見えてこない。
もっと適当でいい。いい加減でいい。自分に正直になっていい。
他人を通した自分じゃなくて、本当の自分をちゃんと見つめてあげればいい。
簡単な事じゃないとは思う。「こうすればいい」なんて方法もない。
僕は、人付き合いが激下手ながらも、知り合いの舞台を観に行ったり、本を読んだり映画を観たり、人と話したりして「ああそうか」と思うことがあったりした。
人と関わることが苦手なので、「嫌だ」と思うことがほとんどだけど、「人と関わらないと自分が広がらない」と思うこともまたほとんど。
人と関わると、どうしても人の目を気にして、その場をいい具合に取り繕ってしまう。
そうじゃなくて、もっとある意味自分を捨てて、「もうどうでもいいじゃん」っていう気持ちで人と接するのも大事かなと思ったりもする。
諦め力。僕はこの力には優れていると思う。たいていの人間関係、「仲良くなっても仕方ない」と諦めてきた。
でもそれじゃいけない。諦め力は大事だけど、「突き放し」が前提ではいけない。「仲良くなる!!」っていうのが前提にないといけない。
親はさすがにもう口にはしないが、親戚などに顔を合わせれば、
「兄ちゃんは結婚して子供もいて仕事もしっかりやってる。弟も仕事をしてそろそろ結婚もする。お前はどうなんだ」そういう親戚の言葉が聞こえるようだ。
僕は何も言い返せない。熱くなって「妥協した人生なんて嫌なんすよ!!」とか言う気も無い。とは言え、「ははは、そうですねぇ」と軽く受け流す自信もない。
叔父の余命が宣告されてる今、なんでこんな自分のことばっかり気にしているんだと思うけど、人は死ぬ。これは避けられないことだ。
母親に電話をしたら、おじちゃん以外はとりあえず、みんな元気だ、と言っていた。
そして、「年末年始、帰ってこれるなら帰って来い」と何度も行っていた。
帰っても親を安心させることはひとつもないので、かえって心配を深くさせるだけだと思っている。
なのでほぼ実家には帰らない。とは言え、そんなことは関係なく、ただ顔を見せるだけでいい、ってこともあることはわかる。
でもそれすらも嫌だったけど、叔父が老い先短いとなり、自分の両親もそうなんだと思ったとき、
そんなこと言ってらんないな、と思った。
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