昨日と今日で、映画を2本観た。
『さとにきたらええやん』
『ゆめパのじかん』
どちらも、重江良樹監督という方によるドキュメンタリー映画。
ある朝、朝食後に洗い物をしながら聴いていたラジオから『ゆめパのじかん』の話題が聞こえてきた。
その数日後、「何か映画でも観に行くかぁ」と、近場の映画館のHPを見ていたら、『ゆめパのじかん』が上映されており、同じ監督の前作も上映されているということで、どちらも観ることに。
『さとにきたらええやん』は、日雇い労働者の街、大阪は西成にある「こどもの里」という児童館?についてのドキュメンタリー映画。
『ゆめパのじかん』は、横浜は川崎市にある「川崎市こども夢パーク」という子どものための遊び場についてのドキュメンタリー映画。
ともに、子供の成長をフィーチャーした作品ではあるけど、
「子供の成長」と一言で言っても、成長の仕方なんて10人の子供がいれば10通りの道があるわけで、しかもそれが、後々振り返ってみて「あぁ、こういう道だったね」と思うわけで、事前に正解がわかるわけじゃないし、別に後々振り返ってみても、それが正解だったのかなんて誰もわからない。
『さとにきたら…』は、子供だけじゃなく、大人にとっての休憩所というのが印象的だった。子供と向き合うとなると、その親とも向き合わなければならない。
『ゆめパのじかん』は、もっと、子ども自身にフィーチャーした作品。自分の興味のあることに向き合い、温め、熟成させる場所。そしてそれから…という。
この2作品を見て、「人の話を聞く」ということについて考えた。
人の話を「ただ聞く」って、めちゃくちゃ難しい。
「ただ聞く」=「聞き流す」ではもちろんなくて、ちゃんと「ただ聞く」だけ。
僕なんかは、「人と話すのが苦手」というのって、
人から振られた話題に対しては、上手いこと答えなきゃいけない、とか思ってしまうし、
自分から振った話題には、「こう答えてほしい」という意識が、少なからず働いてしまう。
大人に対しても子供に対しても。
時間講師とはいえ、教育の現場で働く人間にとって、自分にとって都合が良いだけの「こう答えてほしい」なんてのは絶対にあってはいけない。
それでも、時には、そういうこともある。本当に、辛くなる。
もちろん、そう意識して促すことはないが、後々考えたら、「あぁ、、あれは自分の都合を優先してしまった…」と思うことがある。
もちろん、今回見た映画の施設と学校はまた別だ。学校には学校のカリキュラムがある。
なのでもちろん学校では、この映画のように自由には出来ないかもしれないが、
自由な発想を持てる想像力を育めればいいな。子供も、僕も。
僕自身、学生時代はゴリゴリの競争社会で育ったもので、
「できない=情けない」「わからない=恥ずかしい」と教え込まれた人間だ。
それが今でも正直なところ抜けていないと思う。
でもそれを子供には伝えたくない。でも、ふとしたところで、無意識なところで、伝わってしまっているかもしれない。
子供云々よりも、まずは自分が変わることだと、本当に思う。
でも、「これができたから、次はこれ」というのも、場合によってはよくないもので、
できなくても、わからなくても、進んでみよう、という気持ちが生まれないというか。
だから僕も、「僕自身が変わったら」とかじゃなく、子供と共に学んで変わっていこうと。
失敗したくないから、どうしても安定安定っていう思考になっちゃうけども、
まぁ、現在「年間任用の時間講師」っていう、不安定な安定というか、安定な不安定というか、
そんな感じで、そして舞台でも、現在お世話になってるアンチボも、毎回ヘヴィーな現場で、変わるチャンスを与えてくれるので、
なんだか、「いっちょやってみっかー!」という、前向きな力が湧いてきた。
『子供も親も、身もだえしながら、自分なりの生き方探してる』
2作品の予告篇貼っときますので、興味ある方はぜひです。
『さとにきたらええやん』
https://www.youtube.com/watch?v=u1x_BHwIDpQ
『ゆめパのじかん』
https://www.youtube.com/watch?v=ZdyP7K2gp-g
どっちの作品も、パンフ買ったし、『ゆめパ』はサントラもあったのでもち購入。
サントラ、じっくり聴くし、パンフも、じっくり、読みます。
『さとにきたらええやん』
『ゆめパのじかん』
どちらも、重江良樹監督という方によるドキュメンタリー映画。
ある朝、朝食後に洗い物をしながら聴いていたラジオから『ゆめパのじかん』の話題が聞こえてきた。
その数日後、「何か映画でも観に行くかぁ」と、近場の映画館のHPを見ていたら、『ゆめパのじかん』が上映されており、同じ監督の前作も上映されているということで、どちらも観ることに。
『さとにきたらええやん』は、日雇い労働者の街、大阪は西成にある「こどもの里」という児童館?についてのドキュメンタリー映画。
『ゆめパのじかん』は、横浜は川崎市にある「川崎市こども夢パーク」という子どものための遊び場についてのドキュメンタリー映画。
ともに、子供の成長をフィーチャーした作品ではあるけど、
「子供の成長」と一言で言っても、成長の仕方なんて10人の子供がいれば10通りの道があるわけで、しかもそれが、後々振り返ってみて「あぁ、こういう道だったね」と思うわけで、事前に正解がわかるわけじゃないし、別に後々振り返ってみても、それが正解だったのかなんて誰もわからない。
『さとにきたら…』は、子供だけじゃなく、大人にとっての休憩所というのが印象的だった。子供と向き合うとなると、その親とも向き合わなければならない。
『ゆめパのじかん』は、もっと、子ども自身にフィーチャーした作品。自分の興味のあることに向き合い、温め、熟成させる場所。そしてそれから…という。
この2作品を見て、「人の話を聞く」ということについて考えた。
人の話を「ただ聞く」って、めちゃくちゃ難しい。
「ただ聞く」=「聞き流す」ではもちろんなくて、ちゃんと「ただ聞く」だけ。
僕なんかは、「人と話すのが苦手」というのって、
人から振られた話題に対しては、上手いこと答えなきゃいけない、とか思ってしまうし、
自分から振った話題には、「こう答えてほしい」という意識が、少なからず働いてしまう。
大人に対しても子供に対しても。
時間講師とはいえ、教育の現場で働く人間にとって、自分にとって都合が良いだけの「こう答えてほしい」なんてのは絶対にあってはいけない。
それでも、時には、そういうこともある。本当に、辛くなる。
もちろん、そう意識して促すことはないが、後々考えたら、「あぁ、、あれは自分の都合を優先してしまった…」と思うことがある。
もちろん、今回見た映画の施設と学校はまた別だ。学校には学校のカリキュラムがある。
なのでもちろん学校では、この映画のように自由には出来ないかもしれないが、
自由な発想を持てる想像力を育めればいいな。子供も、僕も。
僕自身、学生時代はゴリゴリの競争社会で育ったもので、
「できない=情けない」「わからない=恥ずかしい」と教え込まれた人間だ。
それが今でも正直なところ抜けていないと思う。
でもそれを子供には伝えたくない。でも、ふとしたところで、無意識なところで、伝わってしまっているかもしれない。
子供云々よりも、まずは自分が変わることだと、本当に思う。
でも、「これができたから、次はこれ」というのも、場合によってはよくないもので、
できなくても、わからなくても、進んでみよう、という気持ちが生まれないというか。
だから僕も、「僕自身が変わったら」とかじゃなく、子供と共に学んで変わっていこうと。
失敗したくないから、どうしても安定安定っていう思考になっちゃうけども、
まぁ、現在「年間任用の時間講師」っていう、不安定な安定というか、安定な不安定というか、
そんな感じで、そして舞台でも、現在お世話になってるアンチボも、毎回ヘヴィーな現場で、変わるチャンスを与えてくれるので、
なんだか、「いっちょやってみっかー!」という、前向きな力が湧いてきた。
『子供も親も、身もだえしながら、自分なりの生き方探してる』
2作品の予告篇貼っときますので、興味ある方はぜひです。
『さとにきたらええやん』
https://www.youtube.com/watch?v=u1x_BHwIDpQ
『ゆめパのじかん』
https://www.youtube.com/watch?v=ZdyP7K2gp-g
どっちの作品も、パンフ買ったし、『ゆめパ』はサントラもあったのでもち購入。
サントラ、じっくり聴くし、パンフも、じっくり、読みます。