テレビを持っていないので、普段は常にラジオを流しているのだが、
テレビもそうだと思うが、ラジオのCMというのもなかなか気になるものが多い。
結構前から流れているCMだけど、東京新聞のラジオCMで、以下のようなものがある。
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
司会者「では、次のテーマは『空気が読めないことと、空気を読まないことについて』です!」
男性「あぁ、できれば、『空気が読めない』のは勘弁してほしいけど、『空気を読まない』のは、今必要なことではないでしょうか」
女性「わたしは、その場をガクーっとさせるのが『空気が読めないこと』で、ピリッとさせるのが『空気を読まないこと』だと思います」
司会者「あー、似ているようで全然違うんですね」
女性「はい。『空気が読めない』のは何だかなぁ...ですが、『空気を読まない』のは、ちょっと頼りになりそうだなぁ...って」
男性「そうそうそうそう!」
では...空気は、読まない。『東京新聞』
■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□■□
どちらか一方がダメで、もう一方が正しい、という二極化している内容にちょっと違和感と疑問を覚えつつ、
最終的に、「では...空気は、読まない」となってズッコケる。
「では...」って、めちゃ空気読んでんじゃん!!
いやこれは「空気を読んだうえで、敢えて『空気を読まない』ってこと?」って思ったりもするけれど、
いやいやだったら空気読んでるじゃん!!となり、どうしたって「空気を読む」にたどり着いてしまう。
この場合の「では」の意味としては、
「前述の事柄を受けて、それをふまえて次の事柄を導く」
と考えられるので、
「『空気が読めない』はダメ!『空気を読まない』が良い!!」と散々言われた後に、
「では...空気は読まない」
って言われても、「は?空気読んでんじゃん」と思ってしまう。
だからこの場合、最後の「では」が無ければ、まぁ、二極化する内容の好き嫌いはあれど、
意味として引っかかることはなかったはずだ。
もしくは
「区切りをつけて、物事を始めたり、終えたりすることを示す」
という意味だと考えて、
「(はい、寸劇は以上で終わりまして、それ)では(ご唱和ください)...空気は読まない!」
みたいな補足を自分の中ですれば理解できない事はないが、ちょっと無理がある。
制作時にこの「では」を疑問視する声はなかったのだろうか。
僕の気にしすぎなのだろうか。
でも、こういうちょっとしたことが見過ごされ、無視されていく中で、
グラデーションで、ちょっとずつちょっとずつ、見過ごし、無視する事に慣れてしまい、
もっと大きな、大事なことも見過ごし、無視してしまうようになってしまうのでは?と思ったりする。
こんな感じで、細かいことにちょいちょい違和感を覚えたりするけど、
細かい事ゆえに、すぐに忘れてしまうので、気になったら
こうしてちょいちょいメモ日記を書いていこう。
テレビもそうだと思うが、ラジオのCMというのもなかなか気になるものが多い。
結構前から流れているCMだけど、東京新聞のラジオCMで、以下のようなものがある。
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司会者「では、次のテーマは『空気が読めないことと、空気を読まないことについて』です!」
男性「あぁ、できれば、『空気が読めない』のは勘弁してほしいけど、『空気を読まない』のは、今必要なことではないでしょうか」
女性「わたしは、その場をガクーっとさせるのが『空気が読めないこと』で、ピリッとさせるのが『空気を読まないこと』だと思います」
司会者「あー、似ているようで全然違うんですね」
女性「はい。『空気が読めない』のは何だかなぁ...ですが、『空気を読まない』のは、ちょっと頼りになりそうだなぁ...って」
男性「そうそうそうそう!」
では...空気は、読まない。『東京新聞』
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どちらか一方がダメで、もう一方が正しい、という二極化している内容にちょっと違和感と疑問を覚えつつ、
最終的に、「では...空気は、読まない」となってズッコケる。
「では...」って、めちゃ空気読んでんじゃん!!
いやこれは「空気を読んだうえで、敢えて『空気を読まない』ってこと?」って思ったりもするけれど、
いやいやだったら空気読んでるじゃん!!となり、どうしたって「空気を読む」にたどり着いてしまう。
この場合の「では」の意味としては、
「前述の事柄を受けて、それをふまえて次の事柄を導く」
と考えられるので、
「『空気が読めない』はダメ!『空気を読まない』が良い!!」と散々言われた後に、
「では...空気は読まない」
って言われても、「は?空気読んでんじゃん」と思ってしまう。
だからこの場合、最後の「では」が無ければ、まぁ、二極化する内容の好き嫌いはあれど、
意味として引っかかることはなかったはずだ。
もしくは
「区切りをつけて、物事を始めたり、終えたりすることを示す」
という意味だと考えて、
「(はい、寸劇は以上で終わりまして、それ)では(ご唱和ください)...空気は読まない!」
みたいな補足を自分の中ですれば理解できない事はないが、ちょっと無理がある。
制作時にこの「では」を疑問視する声はなかったのだろうか。
僕の気にしすぎなのだろうか。
でも、こういうちょっとしたことが見過ごされ、無視されていく中で、
グラデーションで、ちょっとずつちょっとずつ、見過ごし、無視する事に慣れてしまい、
もっと大きな、大事なことも見過ごし、無視してしまうようになってしまうのでは?と思ったりする。
こんな感じで、細かいことにちょいちょい違和感を覚えたりするけど、
細かい事ゆえに、すぐに忘れてしまうので、気になったら
こうしてちょいちょいメモ日記を書いていこう。