酔いどれ反省会

反省出来ない人の反省文

訛りについて

2020年08月13日 21時55分11秒 | 日記
僕は福島県の片田舎出身のため、話し言葉に訛りがある。指摘されて、いわゆる標準語と言われているものと比較すれば違いはわかるけど、自分で話している時はわからない。なのでよく訛ってることをいじられたり、笑われたりする。もちろん、そこまで気にもしないし、相手に悪気があるわけでもない。「訛りをいじられるのなんて、もはやそれくらい仲良くなった証拠でしょう」というのは、危険なところだけど、そういうのもあるだろう。

この「訛りをいじる」という事が、僕の中でどうにも腑に落ちないというか、気持ちが悪い。別に傷つくということではなく、何となくモヤッとしたものが毎回胸中に湧いてくる。

聴覚障害の人が発音する時に、ちょっとおかしくなるのを笑うのは、小学生くらいまでならあるかもしれないが、それと似たような気持ち悪さを感じる。

よく言われていることだが、なんで関西弁は良しとされ、東北弁はバカにされるのか。時代と共にそういった傾向はなくなってきたとは思うけど、未だに訛りをいじられるのは東北弁だ。まぁ、東北地方に関西人がやって来たら、関西弁をいじられることはあるだろうが、標準語を話す地域に、関西弁を話す人と東北弁を話す人がどちらもいるとしたら、いじられるのは東北弁の方が多いだろう。

東北人は、東北弁を抑えて標準語を話そうとする人が多い中、関西人は標準語を話す地域でも関西弁を話し続ける人が多い、という印象がある。東北人は、訛りを抑えて隠すから、ふと漏れ出てしまった時の印象が強く、いじりの対象になりやすいのだろう。関西人も同じように関西弁を抑えるような性質であれば、それが漏れ出た時には、同じようにいじられるのかもしれない。ならば東北人も、東北弁を抑えることなくズーズー弁全開で行けばいいじゃないか!と言っても行けないのが東北人。「ズーズー弁」っていう言い方も引っかかるよね。自分で言っちゃってるしね。なんで「ズーズー」なの?ズーズー弁に対して関西弁はヤーヤー弁とか言わないのだろうか。なぜ東北弁にだけそんな差別めいたネーミングがあるのか。

でも考えてみると、東北の、なかなかに深い地域のおじいちゃんおばあちゃんの言葉とか、確かに聞き取りづらい事もある。僕ですらそうなんだから、東北出身者でなければ「異国??」と思ってしまうのも無理はないのかもしれない。それに対して、関西では、いくら深い地域に行き、バリバリ関西弁のおじいちゃんおばあちゃんの話を聞いても、「何を言ってるかわからない」という事はない...ような気がする。そう考えると、「訛り」としての強度は関西弁より東北弁の方が強いのだろうか。なんだ、、訛りの強度って。。

東北関西関わらず、地方出身なのに完全に標準語を話せる人って本当にすごいと思う。なんでそんなことが出来るのだろう。やはり言葉の響きに敏感なのだろうか。役者の知り合いなどは、当然標準語を話せるし、自分の地元の訛りで話して、と言われるとバチっと訛って話せるのだ。僕なんかは、何が訛っているのかよくわからないので、急に「訛って話して」と言われても、「え、、、だ、、だべ」くらいしか言えない。そのくせ標準語で話しているつもりでも「訛ってる!」と笑われる。

これはもう、標準語のアクセントをすべて勉強するしかないのだろうか。いやいや、標準語の勉強するなら、せめて英語くらい話せるよう勉強しろ!!という声が聞こえてくる。

確かになぁ。英語もろくすっぽ話せないのに、訛りで云々言ってらんないよなぁ。「ろくすっぽ」って方言?どうだろ。

なんでみんなそんなに訛りとかに厳しいのだろうか。関西人は会話の「オチ」に厳しい、という話は聞くけど、東北人以外全員、東北の訛りに厳しいよね。やはり隠そうとしてるのに「ちょろっと漏れる」ところに厳しいのかな。東北人も、知らぬ間に「ちょろっと漏らしちゃった!」という「お漏らし感」に恥じ入ってしまうのだろうか。

アクセントの違いで

僕「明日は雨らしいですよ」
誰か「いや、『飴』じゃなくて『雨』ね」

といちいち訂正してくださる人もいる。いや、文脈でわかんだろうが!!とも思うが、いやいや、でも訂正する人の気持ちもわかる。多少モヤっとしたものは抱えつつ、そこは「まぁ、文脈的にはわかるから」と無視していると、その後、いろんな人が自分と同じモヤモヤを抱える事になる。そのためには、ここでそのモヤモヤを断ち切っておく必要がある!という思いからの「いや、『飴』じゃなくて『雨』ね」という事なのかもしれない。

こうなると、すべての訛りを許容するのが良いのか、すべての訛りを標準語に矯正するのが良いのかわからなくなる。どちらが悪いというわけではないのかもしれないのに、どちらかを優先させねばならない。長い歴史を考えると、もしかしたらどちらかが悪いと言えるのかもしれない。

僕自身、訛ってて笑われる立場だけど、逆だったら、やはり笑ってしまうだろうなと思う。大したことのない問題だけど、訛りでイジられたりするたび、なんだか、自分の中のまだ知らない部分が「怖いなぁ...」と言っている気がする。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする