おかずブログ

ここでは主に撮影画像を発表します。
近場で撮影した植物などがメインとなります。

湘南紀行その3-2

2015年01月13日 | その他

湘南紀行その3-2

1月5日(月)快晴 

江ノ電極楽寺駅→江ノ電鎌倉高校駅→満福寺→小動神社→江の島→

江ノ電江ノ島駅→江ノ電稲村ヶ崎駅→稲村ヶ崎→江ノ電稲村ヶ崎駅→

江ノ電鎌倉駅→JR大船駅→ホテル

○江ノ島

江ノ島ではいくつかの観光スポットがあります。

江島神社辺津宮・中津宮・奥津宮・稚児が淵・岩屋・恋人の丘・

サムエル・コッキング苑・シーキャンドルという展望台などなど。

このうち、「恋人の丘」には行かず、岩屋とシーキャンドルには

入りませんでした。

江ノ島に渡ってすぐにあるのが「辺津宮」。奉安殿には裸の「弁財天像」があります。

私はついつい見逃しました。なんでも滋賀県の竹生島、広島の厳島と江ノ島の

弁財天が三弁財天とのことです。

「エスカー」というのがあります。初めはなんのことかわからなかったのですが、

そのまま「エスカレーター」のことでした。江の島は意外と高低差があって、便利は

便利です。登りだけで下りは歩いてということでした。

「稚児が淵」は要するに磯です。自然の岩で平坦な部分が多くありました。

波打ち際にまで人が多くて人のいる写真は撮ってはいません。

「岩屋」も入口まで行ったのですが料金500円ということなのでやめました。

サムエルコッキング苑ではチューリップを植栽していたので、撮影時間を多く

取ったのですが、光の加減で良い写真は無理でした。

「シーキャンドル」という名称の展望台も2002年に作られたようですが、

上にまでは上がりませんでした。

○稲村ヶ崎

江ノ島を辞して江ノ電で「稲村ヶ崎駅」まで。

小学生から中学にかけて学校の図書館の偉人伝や子供用の文学全集、

歴史物などを読み漁っていたのですが、その中で「稲村ヶ崎」は忘れない地名でした。

もちろん新田義貞の関係です。今回行くことができて、長年の宿題を果たしたような

気がしています。嬉しいことでした。下は「稲村ヶ崎」。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A8%B2%E6%9D%91%E3%83%B6%E5%B4%8E

着いたのは夕方でした。到着してみるとカメラマンが30人にきかないだけ集まって

いました。「何があるのだろう」と不思議でしたが、すぐに判明。夕日の写真を撮る

人達でした。もちろん私も撮影。素晴らしい夕日で感激しました。

稲村ケ崎で夕食を摂り、大船のホテルまで。

湘南紀行その4に続く。

写真01 江島神社の瑞心門

写真02 辺津宮の石像

写真03 辺津の宮

写真04 江の島ヨットハーバー

写真05 シーキャンドル

写真06・07 サムエルコッキング苑のチューリップ

写真08 稲村ヶ崎

写真09.10 伊豆半島に入る夕日

 

 

 

 


湘南紀行その3-1

2015年01月13日 | その他

 

湘南紀行その3-1

 1月5日(月)快晴

江ノ電極楽寺駅→江ノ電鎌倉高校駅→満福寺→小動神社→江の島→

江ノ電江ノ島駅→江ノ電稲村ヶ崎駅→稲村ヶ崎→江ノ電稲村ヶ崎駅→

江ノ電鎌倉駅→JR大船駅→ホテル

極楽寺駅から鎌倉高校前までは江ノ電利用。下車後、湾岸道路を

満福寺、小動神社と見てから江の島に向かう。

途中、コンビニで買い込んだ菓子パンとお茶で護岸に座って昼食。

対岸は江の島。若者たちがボードセーリングを楽しんでいる。

気温が上がって暑いくらいである。

○満福寺 

源義経の「腰越状」があるので、是非行きたいお寺の一つ。

地図で江ノ電腰越駅と鎌倉高校駅の中間くらいと見当をつけて鎌倉高校駅で下車。

湾岸道路を、海を見ながら歩いて進む。

1185年3月、平氏が壇ノ浦で滅んだあと、義経は八嶋内府平宗盛や子の平清宗を

護送して鎌倉に向かいます。ところが頼朝の勘気を受けていた義経は鎌倉に

入ることを禁じられて腰越えに留め置かれました。なんということでしょう。

その時に義経から頼朝にあてた書状が「腰越状」です。梶原景時などの讒言もあり、

猜疑心の強い頼朝には義経の切々とした心情をつづった腰越状も甲斐なく、義経は

鎌倉に入れないままに京都に引き返します。

途中、近江の国篠原で平宗盛、清宗親子は斬殺されます。

義経の悲劇は平泉を出たことに端を発していますが、兄弟などを殆ど殺した頼朝の

性格をみると、奥州にいたとしても同じ運命をたどるのでょう。

満福寺にある腰越状は下書きのようですが、流麗な筆致だと思いました。

ただ私には昔の文字は読めませんでした。

○小動(こゆるぎ)神社 

頼朝の家臣である佐々木盛綱が創建したそうです。この佐々木氏は近江源氏だったと

思います。後に新田義貞が社殿を再建したとのこと。

夏に江の島神社と合同で盛大な祭りを行うそうです。

○江の島(その1)

江ノ島は行政区としては「藤沢市」に属していて、それが意外に思いました。

江ノ島弁天橋という橋を渡渉。途中で私の弱った眼でも冠雪した富士山が

見えたので撮影。

江ノ島もたくさんの人出でした。江戸時代は著名な観光地で、江ノ島観光のついでに

鎌倉に立ち寄るという感じだったそうです。

もちろん弁財天信仰による江ノ島詣でです。

以下3-2に続きます。

写真01 満福寺境内

写真02 義経と弁慶像 真新しい感じでした。

写真03 小動神社境内

写真04 小動神社の頬かむりした狛犬

写真05 湾岸道路からの江ノ島

写真06・07 富士山