Travel Sketch
旅の記憶を写真でスケッチ
ユタの話 その漆
ユタと巡る…その二 3時間ほど寝て二日目の聖地巡りが始まった。二日続けての睡眠不足だ。 今日は、レイさんを拾ってそのまま北に向かう。名護にある薬師如来のあるお寺が最初の目的地となる。 細い道を何度も曲がった先にそのお寺はあり、門を入ると猫が出迎えてくれた。先客がいらっしゃったので、終わるのをしばらく待ってスタート。 お線香、うちかび(打紙:あの世のお金)、お酒、お米、etc。決まった数を決まった置き方、作法でお祈りする。 当初、運転手に徹していたのだが、このあたりから一緒に拝んでもらった。 その間にもこのお寺に二組くらい訪れてきたが、近所なのだろうか、「使用中」と解るとすぐに帰っていった。 次の目的地へとまた那覇へ戻る。途中、よもぎ屋で昼食。 午後は比較的メジャーな場所なので、写真も紹介しましょうね。 沖宮 那覇から空港に向かう途中、奥武山公園の奥に沖宮はある。公園入り口からハザードを点灯させて車を走らせるルールが、なんとも表現しがたい違和感があった。 沖宮は、神社が少ない沖縄において、見た中では一番神社らしい神社。 中には神社だか酒蔵だか解らないような所にも行ったことがあったので、沖縄には神社文化はないものと思ってた。 ![]() ![]() ![]() ![]() 沖宮御祭神 天受久女龍宮王御神(天照大御神) 天龍王御神 天久臣乙女女王御神 伊弉册尊 速玉男命 事解男命 熊野三神 末社(境内地内)住吉神社、弁財天宮、八坂神社、権現堂、祖霊舎 琉球八社の一つ、沖宮の創立は詳かでないが源為朝公時代と琉球史料書にある。 国家安穏、五穀豊穣、陸海交通安全の神船玉神として歴代琉球王を始め諸民に尊崇された。明治四十一年那覇港築港の為、字安里に遷座。昭和十年国宝に指定されるも第二次大戦で焼失、戦後、沖宮創始の御祭神即ち霊木の根は奥武山天燈山御嶽と神示を受け御神慮により昭和三十六年に通堂町に仮遷座、昭和五十年八月現在地に御遷座 ![]() ![]() ![]() ![]() ![]() 三重城(みーぐすく) ロワジールホテル & スパタワー 那覇の裏手にあるグスクで、入り口はちょっと解りづらい。ロワジールホテルの駐車場に向かい、右手にある駐車場への誘導を無視して建物に沿って左に入ると三重城への階段の下に出る。階段の脇には水神が祀られている。 ![]() ![]() 階段の上にある鳥居をくぐると視界が開ける。中央に小さな拝所が建っていて、他にも数カ所ウガンジュがあるようだ。なんでも、目的などによって拝む場所が違うという話だ。 私たちは内地の人間なので、入ってまっすぐ正面のウガンジュで拝むということだった。 ![]() ![]() 猫もいる。 ![]() ![]() ![]() ![]() 左奥から下に降りることが出来た。「五臓神」と書かれた石碑が建っている。 ![]() ![]() 三重城での拝みを終えて、2日間のユタと巡る旅は終了した。 夕方6時前、例によってレイさんを送っていった。沖縄は交通機関が車メインのため、この時間は渋滞が多い。特に高速が無料になってからは、出口、入口でかなりの列が出来てしまうということだった。 送るついでにせっかくなので、家までの車中、レイさんにそれとなく健康のことや仕事のことについて聞いてみた。昨日は、結構飲んでいたので話の途中で寝られてしまった。 今日こそはと再び話し始めたのだが、おつかれの一杯をさっき飲んでしまったせいか…やっぱり今日も寝やがった。 しかも高速を降りたとたんにケンタッキーによってくれと…。ユタも普段はまったく普通の沖縄人である。 それから3週間も空けずに、またレイさんに会うとは思わなかった。しかも今度は東京で…。 ユタに関する記述はあくまで個人的な感想です。 |
![]() |
コメント ( 0 ) | Trackback ( )
« ユタの話 その陸 | 棚からひとつ... » |
コメント |
コメントはありません。 |
![]() |
コメントを投稿する |
![]() |
ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません |