2013年4月の
少し前の記事だけど… グアテマラのセイバル遺跡で、紀元前1000年頃の地層から公共祭祀建築の遺跡が発見された。 2005年に40年ぶりに再開された発掘調査で、公共広場「中央広場」と公共祭祀建築の基壇が出土した。発掘したのは、多国籍(日本、アメリカ、スイス、フランス、カナダ、ロシア、グアテマラ)で編制されたチームで、リーダーはアリゾナ大学の猪俣教授。茨城大学も参加している。 マヤ文明の最初の公共祭祀建築は紀元前800年頃に作られたと考えられていたが、この発掘によって200年早い紀元前1000年には建設されていたことが解った。 この結果、「マヤ文明の起源に関する従来の有力説」変わったそうだ。いままでの説は、「マヤ文明はオルメカ文明の一方的な影響により興った」「マヤ文明がマヤ低地において独自に興った」とされていた。公共祭祀建築が200年早まったことで、この説があっさりと崩れてしまうのは、スッキリと理解できないが、まあそういうことらしい。 詳しいことはこちらの記事で…。
読んだ記事全文はこちら。
紀元前1000年の祭祀施設=マヤ文明、200年さかのぼる-グアテマラ遺跡で発見 メキシコ南東部から中米で16世紀まで繁栄したマヤ文明は、従来の学説より約200年早く、紀元前1000年ごろには発展し始めていた可能性が高いことが分かった。国際調査団がグアテマラのセイバル遺跡を発掘し、当時の中央広場や祭祀(さいし)施設の跡を発見した。団長の猪俣健・米アリゾナ大教授や青山和夫茨城大教授らが26日付の米科学誌サイエンスに発表した。 遺跡はジャングルを流れる川に近い丘の上にあり、発掘調査が2005年、約40年ぶりに再開された。自然の地盤に突き当たるまで深く掘削したところ、最も古い紀元前1000年ごろの地層から、当時の人々が集められた中央広場や、大小三つの「基壇(きだん)」と呼ばれる土造りの舞台のような祭祀施設の跡が見つかった。(2013/04/26-03:30)
マヤ文明最古の建造物 グアテマラの遺跡 日米チーム発見 2013.4.26 14:45 日米のチームが、中米グアテマラにある「セイバル遺跡」で、約3千年前の紀元前1000年ごろに造られたマヤ文明最古の建造物を見つけたと、26日付の米科学誌サイエンスに発表した。マヤ文明の起源に迫る成果。 チームに参加した青山和夫・茨城大教授(マヤ文明学)は「建造物を増改築することで王権が強化されていく、その最初の過程が明らかになった。人類史を考える上でも重要な成果だ」と話している。 チームは2005~12年にかけ発掘調査を実施。地表面から10メートルほど下で、地盤の上に築かれた高さ2メートルほどの土の舞台を発見した。祭祀(さいし)に使われたとみられる。地層に含まれる木片を、放射性炭素の年代測定法で調べると、紀元前1000年ごろに建設されたことが分かった。 今回の調査区域内には、同様の舞台が計3つあり、いずれも最初の建造から300年ほどの間に少なくとも十数回にわたり舞台の増築工事が施され、一部はピラミッドに発展した。 すぐ近くの公共広場からは、紀元前1000年の石器も出土。翡翠(ひすい)を含む緑色の石斧(せきふ)で、儀礼の際、供物として埋められたとみられる。 マヤ文明は現在のメキシコからグアテマラ、ホンジュラスにかけて形成。今回の舞台に似た建造物がこれらの地域で見つかっており、チームは「周辺の集団と交流しながら、文明を発展させたのではないか」としている。
こちらが解りやすいかも… アリゾナ大発掘チーム、グアテマラでの発掘調査でマヤ文明の起源につながる新しい研究成果
マヤ文明の起源は200年古かった - 日本人研究者らが定説を覆す大きな発見 米科学誌「Science」の成果発表記者会見として、4月22日に文部科学省・科学研究費補助金新学術領域研究「環太平洋の環境文明史」の領域代表である茨城大学の青山和夫教授、同領域研究の計画研究A01「年縞環境史」の代表である鳴門教育大学の米延仁志准教授による、「グアテマラ共和国セイバル遺跡の初期祭祀(さいし)建築群とマヤ低地におけるマヤ文明の起源」(発表論文のタイトルの邦訳)と題した発表が行われた。
この記事は長いので後は略…
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マヤ…アステカ…もう一度見に行きたいですね~
自分は、今度はエルサレム狙ってます、
それまでに元気にならねば…
コメントありがとうございます。
エルサレムもいいですね。
ヨルダンからイスラエルが見えましたが、エリコに行ってみたいと思いました。
サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼の道を歩いてみたいなんて…、「星の旅人たち」という映画を見てちょっと影響されています。