Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2010年6月号  ケニアの難民申請者がたどる道

2010年11月17日 | オピニオン
ジョン・パーキン(学生ジャーナリスト)による意見投稿――支援組織の能力と責務に関する問題提起

筆者はケニア人でもなく難民でもないが、ケニアの難民認定プロセスに関して、いくつかの考えを述べる。

統治社会では、平和の維持と個人の権利制限の間に、細い線が引かれる。国家に属す市民として、我々は安定した社会の平和や繁栄と引き換えに、一定の権利をあきらめている。たとえば、どんなに開放的な国であっても、政府は中傷や名誉毀損に対して、表現の自由を制約しないわけにはいかない。ルワンダでは最近、野党である統一民主勢力の党首、ヴィクトワール・インガビレが逮捕されたが、これも平和と安全を守るために、さまざまな市民権を抑制して管理していく統治方法の典型と言える。ルワンダのような発展途上国では、こうして得られた平和と安全は、国際的融和を賢く進め経済成長を増進させるのに、望ましい空気を作り出す。ケニアでの中傷文書に関するニュースも、こうした例の1つだ。憲法草案に関して扇情的、中傷的メッセージを流す人たちを罰するため、法律が制定された。

こうした例の利点を挙げるのは簡単だ。平和と安全が守られ、煽動的演説で特定グループの人たちが差別されるのを防ぐことができる。しかし、特定の権利を抑制することによるネガティブな面となると、漠然としている。ルワンダの国民は、政治的手段で政府に反対する権利を失っている可能性がある。ケニアでは、何をもって『中傷文書』とするかが曖昧なため、政府の役人が、自分たちの意見に反対するものは何でも憎むべきもの、煽動的なものと見なす可能性がある。反対勢力の力があってこそ、統治者側をチェックすることができる。反対勢力は、その不満が合法的で的確か否かにかかわらず、統治者の責任や透明性を確保する手段なのだ。

しかし、権利の抑制で市民が何を失うのかよくわからないなどというのんびりした話も、ケニアの庇護希望者の目から見ると、全く違った意味を持つ。

我々は“難民”と聞くと、しばしばキャンプ難民のことを思い浮かべる。しかし彼らは避難民という幅広いカテゴリーのなかの1つのサブグループでしかなく、難民の地位の取得要請がホスト国または国際的人道支援機関によって受け入れられるまでは、基本的に市民ではなく庇護希望者とみなされる。難民認定されるまでは、避難民の権利は、庇護を求める権利しかない。

ケニアのような国では、庇護を求める権利とは、待つ権利を意味する。つまり庇護希望者は、難民局(DRA)による難民の地位決定プロセスを経て自分のアイデンティティが決まるのを待つ権利を持っているということだ。以前は、難民の地位決定は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の権限の元、DRA事務所が何段階にもわたる長いプロセスを踏んで行われていた。担当者の人数が限られていたため、いつまでもUNHCRに依存しなければならないという事情もあってのことだった。2008年のヒューマン・ライツ・ウォッチのレポートは、ケニアにおけるソマリア難民の危機を特集している。それによると、ケニアの事実上の難民キャンプ政策は、難民が都市難民として難民認定を受けようとする意欲を低下させるものだ。こうした意欲の低下は、避難民が難民の地位申請が受け入れられるのを待っている一方で、避難民を管理する側が不誠実と受けとられかなねない対応をしていることに起因する。

ナイロビでは、警察のいやがらせと法的地位の欠如により、庇護希望者は担当機関から見捨てられているような、はなはだ心許ない立場に追いやられている。彼らは、自分たちのアイデンティティと立場を決めてくれるはずの担当機関から見捨てられている。庇護希望者は、自分のアイデンティティの決定が担当機関の気まぐれで反故にされるのか、それとも条約難民として認定されるのかを待っている。

ケニアで庇護を求めるのは本国送還になるも同然、というようなことになってはならない。避難民は、祖国で奪われた住まいと食料、健康、教育を求めてケニアにやって来ている。しかも彼らは、紛争による人権侵害や市民としてのアイデンティティを奪われるという虐待から逃れてきた人たちのだ。

難民の地位決定プロセスは、このアイデンティティという感覚を取り戻すことに重点的に取り組まなければならない。庇護希望者は、単に法的市民権がないからといって人間であることまで放棄させられてはならない。ケニアは、34万人以上の難民が住むところであり、終りがないかにみえる紛争地のまっただ中に位置している。ケニア政府と人道支援団体は、避難民や難民社会全体への世間の見方を変える、またとない機会を得ている。

ケニアは難民法をきちんと履行し、庇護希望者にとってより良いホスト国になれば、難民への対応のあるべき姿を世界に示すことができる。ケニア政府は文書で、庇護希望者の権利と保護を保障する国際法と国内難民法を厳守すると約束している。東アフリカ連盟への地域統合の会談で、ケニアは政治的美辞麗句と着実な政策実施は違うことを、形にして表す必要がある、特にすでに認められている難民法に関する政策実施が望まれる。

一方、庇護希望者にとっては、難民認定のプロセスがもっと良いものになれば、それぞれの力やアイデンティティを回復できる可能性が広がる。庇護希望者(または難民)は、権利の制限と向き合わざるを得えないが、アイデンティティさえあれば、彼らが残してきた過去とは違う未来に、希望を育むことができる。アイデンティティは、避難民、いや、あらゆる人にとって、拠り所になるものなのだ。

あるべき姿を認識し、その可能性を認識することで、現実は育まれる。認識することで、ナイロビの繁華街であろうとカクマ難民中学校の教室であろうと、命が育まれる。人間倉庫状態のキャンプが取り組むべきは、認識することだ。そうしてこそ、人道的支援団体は支援している人々に対して責任をとることができる。どうあるべきかという認識が、難民であれ市民であれ、我々すべての活力になるのだ。


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