Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2009年3-4月号 難民のコミュニティー間結婚

2009年08月16日 | オピニオン
コミュニティー間の難民の結婚と「恋愛運」についての意見記事

あらゆる社会には人々の指針となる一連の文化規範が存在する。社会的に構築されたこうした文化的規制は、人により作られ、文化や伝統、宗教、信念により強化されてきたものだ。こうした規制は、その社会でどのように振舞い、何をすべきか、そして何を歓迎し、何を受け入れ、何を拒否すべきかを教えてくれる。多くの場合、こうした規範や規制が障害や合格基準になり、自分が婿や嫁として受け入れてもらえるどうかが決まる。

結婚とは神によって2人が結ばれるものであり、2人が互いに愛し合っている限り、この結びつきを妨害する権利は誰にもない。結婚により連帯感が生まれ、背景の異なる2人の関係が強化されるのだ。

世界人権宣言の第16条は、「個々人には誰と結婚するか、または誰と結婚しているかを自由に選ぶ権利があり、結婚を強制されるべきではない」と規定しており、すべての人には結婚する権利があるとしている。

婚姻による結びつきというこの権利を尊重する文化がある一方で、夫婦の幸せを妨害する文化も存在する。カクマの一部の難民コミュニティーでは、結婚相手を自由に選ぶ権利が尊重されていない。親や親戚が自分の子供に代わって結婚を決定する権利を持ち、望ましい婿や嫁を選んでいるのだ。
これは、こうしたコミュニティーの文化規範が、他者の文化や個人の立場を認めることではなく、他者をさげすむことを教えてきたからだ。その結果、コミュニティーの人々は自分の文化は特別なものだと信じ、自分とは背景が異なる人とのつながりを否定するため、他者を誤解し単純化しがちになる。こうした文化は貪欲で、世界の平和に矛盾する政治的利益を増幅させる。こうした社会に属する人々は、のけ者として孤立することを恐れるため、社会のルールに従わざるをえない。
教養を持たないコミュニティーの人々は、自分の子供たちは何が何でも親が選んだパートナーと結婚すべきだと主張し、自分たちの文化にしがみつく。しかし、教養のあるコミュニティーの人々は、結婚を考える際にこうした文化的なルールや規制、規範を押しつけない。

カクマでは、文化や伝統、宗教的な信念にかかわらず、異なるコミュニティーの人同士が結婚することもある。こうしたコミュニティー間の結婚には成功例もみられるが、これは双方のコミュニティーの人々が受けてきた教育や育てられてきた環境に左右される。

しかし、さまざまな文化的要因のため、国の異なるコミュニティーの人同士がカクマ・キャンプで結婚しても、うまくいかないことが多い。コミュニティー間の結婚でうまく続いているのはわずか2~3パーセントに過ぎないのではないかと思われる。残念ながら、コミュニティー間の結婚の大部分には隠れた動機があるようだ。コンゴ人が、相手の出身地や民族、宗教などお構いなしにスーダンなど他のコミュニティーの人と結婚しているときなどには、夫婦のどちらかが再定住の手続き中で、もうひとりがそれを利用したいというだけで結婚している場合もある。こうしたケースでは、夫婦は自分たちに愛があるかどうかは気にしない。

コミュニティー間の難民同士の結婚が再定住を目的としているとき、その夫婦の将来はどうなるのかという大きな疑問がわいてくる。何例かのコミュニティー間の結婚が終わりを迎えるのを見てきたが、これには2つのタイプがある。ひとつは、再定住に成功した夫婦の例だ。外国に到着した後、夫婦のどちらかが、自分は外国に来たかっただけだから、もう婚姻関係を続ける理由はないと言って離れていく。もうひとつは、再定住に成功しなかった夫婦の例だ。こうした夫婦はキャンプに残るが、2人の関係は通常うまくいかず終わってしまう。

しかし、再定住ではなく愛のためにコミュニティー間で結婚したケースには、成功例もみられる。なかには10年以上も結婚しており、キャンプで平和に暮らしている夫婦もいる。再定住した後も円満に暮らしている夫婦の例もある。

結婚を何よりも大きく左右するのは恋愛運だ。お金や文化、伝統、宗教さえも愛にはかなわない。世界中の誰もが恵まれる恋愛運に、カクマ・キャンプの難民が恵まれない理由はない。


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