Kakuma News Reflector 日本語版

カクマ難民キャンプの難民によるフリープレス
翻訳:難民自立支援ネットワークREN
著作権:REN(無断引用転載禁)

2011年8月号 ルワンダのフツ難民への不当な「国際保護」

2012年06月26日 | 人権

「国際社会が過去に大量虐殺を止められなかったことは広く知られていることだ」。その再来? 過去の虐殺は「深刻な政治的誤り」によるものだと言う人がいる。21世紀には何か変わるのか。「変わる」と言う人もいる。世界の一部で起きる変化が地球の他の場所にも広がるだろうか。 

〈UNHCRのルワンダ難民強制送還と特定難民グループに対する国際保護の差別〉

1990年以来、大量虐殺と戦争犯罪を逃れて生き延びた何十万ものルワンダ人が、地域内での避難所を探し求めている。1994年に起きた大量虐殺の結果、およそ300万人ものツチ族とフツ族難民が出国した。大多数はDRC(コンゴ共和国)東部に避難。約60万人はタンザニアに逃げ、数万人が東部及び中央アフリカに散った。タンザニア、ウガンダ、ザイール、ブルンジが、およそ500万人~600万人のルワンダ難民を受け入れている。 

東部ザイールキャンプで捨てられた孤児の一部は、イタリア、フランス、ベルギー等の国々に受け入れられた。しかし彼らがほっとできたのは、つかの間。「ルワンダ愛国戦線」(RPF)が権力を奪取した後のルワンダ新政府は、孤児を受け入れた国に対し、孤児を送還するよう圧力をかけた。 

国際社会とUNHCRが犯した最初の恐ろしい過ちは、正真正銘の難民と「大量虐殺加担者」の区別をつけられなかったことだ。あの悲劇的な大失態の衝撃は、未だに消えない。 

記録によれば、この難民グループに対する最初の大規模な強制送還は1996-1997年に行われた。最初に本国送還を強制したのは、ブルンジとタンザニアだった。難民が本国に戻れば迫害と人権無視のおそれがあったにもかかわらず、強行された。1997にはガボン共和国も難民に手錠をかけ、キガリ行きの飛行機に乗せた。UNHCRの公式発表によれば、「難民たちはガボン共和国のフランスヴィルから2機の軍用機に乗せられ、一晩かけて輸送され、夜中の12時少し前にルワンダの首都キガリに着いた」という。 

ルワンダ政府が野党政党を厳しく取り締まっていることが知られるようになったというのに、ルワンダ難民の強制送還は今も続いている。2009年5月のカムパラ・サミットで国家元首とUNHCR高等弁務官は、難民及びIDP(国内避難民)を保護すると表明した。ところが数ヶ月後、ウガンダ政府は食糧配給にかこつけて難民達を強制的にトラックに押し込み、ルワンダに送り込んだ。 

ある生存者がKANERE記者に語ったところによると、ルワンダ治安部隊はその時すでにナキバラ・キャンプに到着し準備を進めていた。2010年7月18日に家族を連れて行かれた母親は「ルワンダ軍がこの作戦に係わっていたのはわかっている」と言う。しかしウガンダ政府の言い分は、違法なルワンダ難民を型どおりに国外退去させただけなのだ。

〈難民よりルワンダ政府の利益を優先させるUNHCR 〉

UNHCRが運営するキャンプを追い出されたルワンダ難民は、国連難民機関の独立性と誠実さに強い不安を抱いている。本国に送還された何千人もの難民の中には、国際的に保護すべきグループに分類されていた者もいたが、1人として本国送還をまぬがれた人はいない。バーバラ・ハレルボンドは、2006年5月、自身のTLSに緒方貞子著書『戦争と難民 緒方貞子の回想』の書評を書いているが、その中で「『紛争の根底にある原因を解決しようとする政治的信念が必要な時、人道支援活動はその代わりをするものではない』と言っている点で緒方氏は正しい。しかし肝心なときに、UNHCRは資金提供国のためにたやすく不正なことをやっている」と述べている。 

西洋の国々はルワンダ政府の申し立てを信頼できるものと考えている。その申し立てによると、1994年の難民の大多数が虐殺に加担しているという理由で、難民保護の権利を剥奪するという。しかし虐殺加担者と正真正銘の難民との区別に失敗し、難民、特にフツ族は犯罪者のような扱いを受けることになった。すべての難民は帰国すべきであり、それを拒む者は何らかの隠しごとをしているからだ、というのがルワンダ政府の主張だ。 

ツチ族難民はしばしば反逆者や泥棒のレッテルを貼られているが、自分たちの主張に証拠がない時も、フツ族と違って、裁判から逃げなかった。その結果、国際社会はツチ族難民への虐待に目をつぶることになった。本国への強制送還のような措置は、難民の権利を否定するものだが、国連が黙認しているために続行されている。 

ルワンダの現政府と、過去10年間にこの国に与えられた賞賛について、難民に意見を求めると、ルワンダが変わったとは言えないというコメントをしばしば耳にする。「ルワンダで起きているのは、本当の民主主義や正義を犠牲にした見せかけの発展だ。国際社会はその発展ぶりにばかり気をとられている。罪のない市民を殺し、その殺人を正当化する理由をでっち上げる民主主義なんて、人々を過去の世紀に引きずり戻すだけだ。発展しているというが、何の恩恵も得ていない」と、カクマキャンプの難民は言う。 

多くのルワンダ難民は、今もなお国際保護を必要としている。だが悲しいことに、ルワンダ政府は難民の多くをすでに殺し、今も殺そうとしている。それは、受け入れ国であるコンゴ、ケニア、ウガンダ、南アフリカ、ヨーロッパの国々で、キャンプか都市かを問わずに起きている。 

カクマキャンプでは、アフリカ大湖地域出身の難民コミュニティに第三国定住の方針が示されている。ところがルワンダ難民には、何の説明もなく、このような機会が認めらない。コンゴ民主共和国の森では、ルワンダ人の捜索が今も続いている。こうした難民の多くがルワンダ政府に引き渡されているという報告がある。DRC(コンゴ民主共和国)など地元コミニィティーに溶け込んでいる難民や、第三国に定住している難民についても、ルワンダ政府は情報を集めている。難民は自ら進んで本国に戻ったというのが、政府の公式見解だ。 

ルワンダの大量虐殺から16年。UNHCRは現在草稿を作成中だが、できあがれば2011年12月までに、すべてのルワンダ難民にたいして「難民の地位終了条項」が適用される。この決定が下れば、難民の権利の保護も推進もされなくなるということだ。多くのルワンダ難民は帰国すれば我が身に起きる迫害を恐れ、国際社会が脆弱な自分達に何をしてくれるか見極めようとしている。



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