吉備の中山は古代信仰の原点となる秀麗なご神体山。原始の信仰は山そのものがご神体であり、それを排するために麓に拝殿が設けられた。 山上には神の依代である磐座があり、吉備津彦神社の神池の亀島にも石を円形にめぐらした磐座があり、神が里に降りたときに鎮座した里宮と言われている。山頂一体は散策路ともなっていて、最も高い山頂に元宮の磐座が鎮座し、南の方の山頂には吉備津彦命をお祀りした御陵墓・前方後円墳があります。
中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすこふん)
通称「御陵」(ごりょう)
全長140m、後円部の経80m、後円部高さ12mの古墳時代前期の前方後円墳。大吉備津彦命の墓と伝えられ、現在は宮内庁の管理下にあるため、立ち入り禁止となっているが、採取された埴輪などから、最古級の前方後円墳とされる。古代史的に天皇の地位を覆すような遺跡が出てくるのを恐れているのか、全国の主な古墳はどれも立ち入り禁止となっている。
造山古墳(全国4位の規模を誇る前方後円墳)
古代「吉備国」と呼ばれ、大和朝廷と競うほどの強大な勢力を誇っていた事をうかがわせる弥生時代の古墳や歴史ある神社が点在する吉備路・・・・。古墳時代は吉備王国として君臨。5世紀前半の繁栄ぶりはかなりのものがあったと思われるが、以後大和朝廷は葛城氏を駐在させて直轄領とし、大化の改新を経て事実上勢力の中に組み込まれていき、壬申の乱後、7世紀には備前、備中、備後に分割され、さらに美作に分け4つの国として支配に服することになる。
衰退と引き換えに都の文化を受け入れ 以後華やかな独自の吉備文化が築かれていく・・・。聖武天皇が建立した備中国分寺や国分尼寺跡周辺の風景など、吉備路一帯はどことなく出雲や明日香に似て古代ロマンの香りが漂っている。
吉備高原の最南端、標高400Mに築かれた鬼ノ城からは総社平野が一望できる。
お盆の休日、和気にある親類のお墓参りを理由に、かねてから気になっていた吉備に来られてちょっと感動。奈良からだと充分日帰り圏内だけど前日は岡山駅のグランヴィアに宿泊 雰囲気は良かった。 吉備の中山は幾多の出版物もあるくらいメジャーな神奈備だが、古代史的にも興味深い。 行く先々で感動して、興味を持つので一考に先に進まない、こんなこっては残り少ない人生、時間が足らないな・・・。
前世のご縁なのでしょうね・・・・。
聖域(フツウの)と呼ばれる場所に入る時には、気を引き締めるようにしています。
ふらっと物見遊山で行って、後でしまったと思った事が何度かありましたから・・・。
木山神社さんですか、ネットで見たら、スサノオさんですね!!!
巫女さんを されていたのですか!素晴らしい!
伊勢で巫女さん修行中の親しい女性(当たり前)がいるのですが、いつも説教されています。
私が神奈備の登山分野、巫女さんがご信仰分野っと
共同作業で本を出版したいと・・。
夢を大きく掲げていますがいつのことやら
吉備津彦神社の境内で、ボランティアの方が色々な
磐座の資料を見せてくれたのですが・・・。
その中に神主さんでも入れない御陵に唯一入る
ことの出来る男性の事が載っていました。
なんでもお掃除と担当されているとか・・・?
もしかしたらその方でしょうか?
いいなぁ・・。私も仲良くなりたい!!!
聖域は厳しいですか。
自分も怖い体験はあるので、何となく解ります。
磐座の画像は撮れなくなりましたから・・・。
また教えてください。