神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

石鎚山

2007-10-27 14:27:34 | 各地の山
高知県出身の自分にとっては慣れ親しんだ地元の山である。
登山に興味のない若者同士でも鎖場を面白がってハイキング気分で行く。富士山のような山かもしれないが、 神社本教のある西条市では様子は異なり「いのちの源、お山へいこう」 と、心願成就を願う ご信仰の山であります。

高知県側からはスカイライン利用の土小屋コース
愛媛県側からはロープウェー利用の成就社コースが便利
堂ガ森~二ノ森コースは特筆すべき大展望のパノラマコースで最高の山行となる

信仰の伝統は7月1日、女人禁制にはじまる10日間の山開きに集約される。全国各地から白装束の信者が集まり、ホラ貝の響きとともに念仏を唱えながら、山頂直下の鎖場をよじ登る。

この日もかなり高齢の女性が、多勢の人に両脇を抱えられながら 頂上を目指している真剣なお姿を目にしました。



近づくにつれ山容を表わす、岩峰


常に姿を表わす女性的な山容の瓶ヶ森・・。美しい。

信仰の歴史は古く、由緒では役行者によって開山されたとある。役行者は13歳で大和葛城山で修行を始め、熊野、大峰、笠置、羽黒、、生駒、を経て52歳の時伊予石鎚山を開山。その後66歳の頃伊豆島に流された後も富士山、熱海と開き、68歳、還流より還り天皇国司となったのち、山城愛宕山に祈宣、この年ご入寂されている。



3の鎖を抜けると弥山頂上直下に飛び出す、天を突く天狗岩の岩峰が目に入る



バリエーションルートとなっている天狗岩への道、しょっぱなから垂直の鎖の降下となているのは「出来れば行って欲しくないのです」という神社側の意志の表われであろう。 確かに天狗岩手前に一箇所、悪天候なら引き返す岩場のトラバースがある。


山そのものを神(ご神体)として仰ぎ登拝する教えのなかに、修禊、修行、鎮魂と3つの教えの体得をあげています。山容の異彩は四国の山の中では突出していて、頂上一帯は草木一本生えない大巌峰で山の語源も「石の神」にあるという。山頂直下、鎖を使ってそれこそ、よじ登る「鎖禅定」は
170メートルも続き、「一の鎖」はご神体と言われます。


3の鎖入り口


頂上直下に抜ける3の鎖

中世から近世にかけては、前神寺と横峯寺が信仰を広めるため先達や信者を組織化したが、ご多分に漏れず両者のいざこざが続く。明治の神仏分離政策で、石鎚山は石鎚神社が管理するようになり、新たに石鎚本教を設立した。



最高峰・天狗岩(標高1982M)


天狗岩から眺めた弥山頂上(標高1974M)、こちらから眺めても険しい山容だ


婦人登拝について、
古来女人禁制でしたが時の流れと共にその風習も緩和され、現在は夏季大祭中、7月1日には三体の御神像が頂上社へと御動座となり、まさに勇山となるため、ご婦人の登拝は遠慮頂いております。(※成就社より頂上社までの登拝道は、神社の私有地となっている)



ご神域となっている頂上社両部鳥居・身震いする厳かさがあります。荘厳です。出来れば人間を近づけないで!

富士山はもとより、立山、御岳、白山室堂も・・・・。ご神体山の山頂に宿舎を立てたり、観光目的の人にお札を売ったりすることを規制するのが先決のような気がします。 男なら遊び目的でもOKなのに、女性と言うだけでダメというのは説得力に欠けます。ご神体山は麓から遥拝するだけで充分なのでは?山頂に祠も鳥居も要りません、磐座があってそこに山が存在するだけで充分です。




石鎚と並ぶ人気の山・標高1897Mの瓶ヶ森


瓶ヶ森林道から眺めた石鎚山に沈む夕日、場所によって構図が異なり、待ち構えるカメラマンの数も多いと聞く。一番良いのは瓶ヶ森山頂から眺める夕日です


南宮山と南宮大社

2007-10-10 16:17:05 | 各地の山
濃尾平野の扇の要、伊吹山と養老山系の中間にある南宮山、山麓に鎮座される南宮大社のご神体山として全山境内は百町歩、まさに幽邃な神域であります。


神社の背後に聳えるご神体山

南宮大社の主祭神は金山彦神(天照大神のお兄さん)で 山の神、製鉄、鋳物の神。神武天皇東征の折、金鵄を助けて大いに霊験を顕した。壬申の乱の折、吉野を脱出した大海人皇子に当社の宮司が味方した。竹中半兵衛、春日野局、芭蕉など古社だけあって由来には事欠かないですが、 有名なのは関が原の合戦時 毛利秀元の陣所となった事、頂上の台地には見取り図が書かれています。 徳川家康と石田三成の戦った関ヶ原は南宮山よりも西方ですが この配置で何で西方が負けたのか不思議で残念なこと!

神社の左手にあるハイキングコースの看板に沿って歩くと 壮大な境内の途中に色々な神社を御祀りしています。 立派な稲荷社のあたりはすでに森の中で、いきなり野生の鹿の親子3頭に遭遇して驚きました。






しばらく歩くと道は二手に分かれます。 案内標識を見て左手に進み帰りには右手西蛇留池方面 からここに合流しようと思います。コースは階段状に整備され歩きやすい。  天人降臨のご神木と言われる一ツ松の旧跡、石垣の上に祠が建つ高山神社(ご祭神・木花咲耶姫命)子安神社(ご祭神・保食神) 由来によるとこの奥宮は椿姫宮とも言われ美濃の水源を司る女神として御神徳の高い神様で、山頂の神様は稲を守ると共に子供を育てる水の神様です。 神社の入り口にひっそりと置かれている巨大な磐座が表わすように至る処で古代信仰の名残を感じます。


神社の入り口にある磐座

40分ほど歩いて 東屋が建っている展望台に出ると視界が一気に開けて濃尾平野が一望、 この辺りが 毛利秀元が陣を張った場所とされています。山頂へは、看板の左側から踏み跡の少ない登山道へ進む、一旦一気に下り、偽のピークを越えて斜面を登りきった所が三角点のある山頂ですが 眺望はないので ハイキングの人は展望台で引き返すようです。 下山にとった左側の道路は急斜面で整備されていないので歩きにくかった。 


御岳山、名古屋市内、木曽川、大垣市内が一望

途中「眠り神」と書かれていた由緒ありげな 石積があって

 眠り神の由来 ここには明治維新の神仏分離まで、薬師堂があり、あらゆる病気がなおるという霊験の厚い薬師仏がまつられていました。 その仏さまと相並んで眠り神は、「ねる子は育つ」ということから、幼児健育の守護神として厚く尊敬されてきました。 御神木が椿であり、付近一帯の椿林は、健康長寿の御神徳を表徴しています  と書かれていました

ご神体山・麓の神社・古代祭祀の磐座。全てを兼ね備えた紛れもない神の坐す山でハイキングコースとして整備されている割には 自然が残る趣のある山でした。




神の坐す山 伊吹山

2007-10-08 20:10:01 | 近畿の山
 滋賀県と岐阜県の県境に位置する標高1377m(滋賀県の最高峰)高山植物には伊吹山固有の種類も多い貴重な大自然の宝庫で日本100名山の一つです。歴史的にも古くは古事記や日本書紀にも登場し、中でもヤマトタケルの伝説は有名です。


山頂のヤマトタケルさん、なぜか年寄り風味


ドライブウェーを利用すれば2~30分で山頂に達し、誰でも簡単にお花畑や琵琶湖に沈む夕日が眺められます。 頂上にはヤマトタケルの銅像が祀られていますが、ヤマトタケルは伊吹山の神を平定しようとして、大きな痛手を被り命からがら逃げ大和を目指して帰る途中力尽きたはずでは・・・。 


二の宮にある磐座 (古代祭祀遺跡で「しゃくじの森」とよばれている)


6人乗りゴンドラに乗れば、3合目まで8分ほどで到着しますが ぜひ麓の三ノ宮から歩いて下さい。 2合目あたりは小高野とも呼ばれ 白山神社の前には二ノ宮の磐座「しゃくじの森」が鎮座、しゃくじとは石神であって、伊吹山信仰が原始的な祭祀の場として存在したことに拠ります。以後、仏教信仰の霊地として栄えた霊地と言えども いずこも同じ・・・。冬季のスキーゲレンデでは色とりどりのパラグライダーが宙を舞っておりました。 



「いぶきすさぶる神の山」と古代人が伊吹山を信仰した大きな理由は朝夕 麓から崇める山の形によるところが大きかったのでしょう。近づくにつれ圧倒される存在感はよそ者の私でも崇敬の念を持たずにはいられません。ご神体山の事を調べているうちに、伊吹山がとても気になるようになりました。山頂からの眺めより麓からの景観がずっと素晴らしい。山は誰彼と安易に登頂するものではなく麓から眺めるものだと実感します


近づくにつれ圧倒される霊峰

 残念なのは 西方斜面の大阪セメント採掘による更なる山容の崩壊!!! 滋賀県が行なった企業誘致の第一号で、最盛期には500人を越える作業員が働いていて地元の景気を活性化、セメントさまさまだったらしい。 山から麓の工場まで引いた長大なパイプラインの生々しい形跡が今も残っている。現在中国からの輸入品に対抗できずに 4~5年前からほぼ廃業しているにも関わらず、掘削権は返却せずに温存しているらしい。


痛ましい現状・・・。


「円空の十一面観音座像」
修験の道に入った円空が身を寄せた太平寺、この崩壊地の中腹にあった大平寺も滅び 最後に残ったも崩壊の危機により 鉱区に買収され昭和三十九年麓に 集団移村を余儀なくされた。 現在大平地区の由緒を伝える違宝として地元民に守られているのが「円空の十一面観音座像」 像高2m弱の桜一本造り、円空58歳という晩年の大作で 今なお地元保存会によって守られています。




誰でも見せて頂けます。一見の価値は大いにあり

伊吹山の原始信仰は幅広く奥が深いのでどうやら何度も通うようになりそうです