神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

女人禁制の吉野山

2007-04-30 23:58:38 | 奈良の山
王朝貴族憧れの聖地であった吉野山  10万本の桜が開花する春の一時期に限り、想像を絶する人出となるが普段はいたって静かな山  自分の中で吉野と言うと、大峰奥駈道の出発点としての認識しかない。 ところが吉野からだと女人禁制の山上ヶ岳を経由するルートとなるので 山として吉野は興味の対象ではなかった。 おまけに最高峰とされる青根ヶ峰に至っては山頂直下に林道が走っているのも興味を削がれる一因となる



古来より水神信仰の聖地として信仰を集めていた吉野山  史書が物語る最も古い地名とも言われている 吉野の神さまは何処にいる? 青根ヶ峰?金峰神社?山上ヶ岳?   城山の麓には「牛頭天王社跡」の石碑が在ったので スサノオノミコトが祀られていたのだろう・・・。

もう一つの顔は大峰奥駈修験行。山岳信仰を中心に7世紀頃、役の行者の個人的な信仰や修行を基礎として自然発生的に拡がった「修験道」 、ハイライトの大峰奥駈は5月の戸開けから9月の戸閉めの間 ここ吉野の発心門から山上ヶ岳、弥山、前鬼、熊野本宮へと続く逆峰と 熊野から吉野に向かう順峰、 いずれも行列隊で100キロの行程を走るように歩く
自分のような山やから見た大峰は冬季や沢が特別魅力な対象となるが、この方たちから見たらキット罰当たりな行為で ( ´,_ゝ`)プッと相手にされない話だろう 
 
 今回宿泊した吉野の宿坊 喜蔵院では 夕食時にご住職の生の講話が3~40分も聴けた。講話といっても堅苦しいものでなく、食事中に聴く室内楽のような雰囲気。 吉野に生まれ育った 眼光鋭い修験行者でもあるご住職は 当然 バリバリの女人禁制派だが世俗を超越した魅力のある方で  「 吉野の神さまはどこに居るのですか? 」・・・と不躾な私の質問にも、真摯に答えてくださった。 どうも近い将来女人禁制は解かれる模様。   個人的には女人禁制なんて生ぬるい! 神々の座する山はいっさい人間禁制で良いと思うが・・・。


 

出雲大神宮と御影山

2007-04-28 14:42:36 | 近畿の山
来月出雲の熊野大社で行なわれる元宮祭での天狗山登拝を予定しているので、ご報告をかねて・・・。京都の西、亀岡に鎮座する出雲大神宮にお参りに出かけた。  ご神体山・御影山の崇拝に信仰の起源を発し、709年麓に社殿が創建されて以来、丹波の国一ノ宮として世に知られており、元出雲とも呼ばれています。
 


おりしも毎月25日に営まれる国祖祭が始まる時間だったので御誘いを受けて参列させて頂いた。本殿の月次祭には誰でも自由に参列出来るらしい。 有り難いご配慮で御垣内参拝をさせて頂いて 神さまがとても身近に感じられた。

主祭神は大国主命・三穂津姫命。 本殿背後には神様が宿られる大きな磐座。5~6世紀の古墳、御影山の清流が流れる滝などがあり、上ノ社にはスサノオノミコトをお祀りされている。ご神体山には途中の磐座までは参拝可能だと聞いたが、神職の方ですら「自分は行った事がない」と言われたので恐れ多くて遠慮申し上げた。


現在社殿修復中

 本殿背後の山に座す磐座は 最近 数々の雑誌でパワースポットとして紹介されていますが、 神さまの聖域である山には人間が入ってはいけないのではないかと思う 今日この頃です。 

巡礼登山家を目指している自分としては辛いところですが・・・。 


「出雲庵」 門前にある出雲そばの店。石臼で挽いたそば粉に神社の神水を加えて打った十割そばは絶品  お奨めは とろろ、山菜、地鶏肉の「三味そばセット」1,500円




三輪山と多神社

2007-04-16 16:45:51 | 三輪山
 三輪山山頂にある奥津磐座は大物主大神のご神陵だと思われますが ちょうど真西に密接な関係のある ●多坐弥志理都比古神社● 通称 多(おお)神社があります。 四殿配置形式の本殿、静かで荘厳なたたずまいと共に 三輪山頂から登る朝日の遥拝所として名高い神社で、伊勢神宮より古くから 皇族や庶民から敬愛されていたと言われています。

由緒 には 神八井耳命(カミヤイミミノミコト)を始祖とする多氏によって祀られたと書いてありますが、 神八井耳命の父は神武天皇、母は大物主神(ニギハヤヒノミコト)の娘、だとしたら当時の大和朝廷として 三輪山頂の皇祖神ニギハヤヒのご神陵を 朝日とともに遥拝する最適地に創建したのではないかと思われます。ちなみに大神神社が創建されたのはさらにのち、十代崇神天皇の時代




古事記、日本書紀など時の権力者によって都合良く改ざんされ、神話として曖昧にされた ニギハヤヒノミコトの伝説を(ニギハヤヒさんは須佐之男尊の御子・大和朝廷の皇祖神) 大和に住むいま、明らかにしたい。

「天つ神」は「天照大神」
「国つ神」は「大国主神」 
大神神社は「国つ神」の出雲系統だとかってに素人解釈していたが、今の宮司さんは靖国神社から来られた実力者だと聞いた。視野の広い神社庁には右も左にないようで、あるのは国学院派と伊勢皇学館派閥の勢力争い・・・。

20年以上、氏神さまとして信奉している三輪さんは、年々建物が立派になる。 目を見張る隆盛は嬉しい限りだが 数年前からパソコンを導入して顧客(ご祈祷申込者)のデータベース化を図り 次回の窓口ではまず、「お電話番号は?」って聞かれるようになった。住所氏名を書く手間が省けるから (これって必要ですか?)  その時ポイントカードも発行していたが、うしろの神さまの御意志ではないように思ったので申し込まなかった・・・。

神さまに伝えるご祈祷の氏名は出来れば自分の手で書きたい。


三輪山の登拝について

2007-04-05 15:29:13 | 三輪山
神々のいる山を訪ねたいと思うようになって、最初に訪れたのはやはり三輪山でした。 奈良県桜井市にある秀麗な円錐形の山で 「ヤマト王朝と三輪山の聖域」と記されているように 古来より最も聖なる山とされ、山そのものが 大神神社の神体山になっている「神奈備山」で古来より禁足地とされていました。  近年まで入山が禁止されていたそうですが、現在は狭井神社からの信仰登山に限り入山が許可されています。 でもホントは行かないほうがベストです。

小冊子 大三和によると「三輪の大神」は人に祟ったり、人間に猛威をふるい、恐怖を覚えしめる「神」であり、また、ヤマトを作り上げた神であります。 「神の中の神」「神と言えば三輪の大神」  漢字「神」の意味の一つに「ミワ、三輪の大神をいう」というのが加わって「大神神社」(おおみわ)をはじめとする地名・人名に用いられたとあります。 


見晴らし台から眺める三輪山

私の周りには、三輪山に安易な気持ちで登拝して、エライ目にあった人が存在します。 それなりの人に聞いた話では 人間が足を踏み入れるべきでない!と言われました。   山頂の奥津磐座が大物主大神の御神陵としての磐座だとしたら 三輪山は古墳のようなものだと考えられます。 だとしたら足を踏み入れるのは遠慮すべき山なのでは?と考えます。  それでも行きたい山です。 はじめに三輪山ありき、霊山探訪にあたって改めて恐る恐るご挨拶させて頂きました。

麓にある「大神神社」は三輪山山頂の大物主大神の奥津磐座を祭祀するために創建された神社で 三輪山全体をご神体とする、日本最古の神社です。本殿を設けず、三輪山をご神体をして護持奉斎する原始の神祀りの様と信仰を今に伝えています

登拝にあたっては、御本社の「荒御魂」をお祀りしている狭井神社で受付けをすませ、(300円)「登拝証」の襷をつけ、自ら祓い清めてから登拝道を心静かに進む事が義務づけられています。 登山道以外は立ち入り禁止、標高467メートル、万葉の時代から変わらない 松、杉、桧などの針葉樹に覆われた深い緑の山中、整備された道が続きます。「辺津磐座」「三光の滝」「中津磐座」を経て、頂上の「高宮神社」、更に進めば。神代の時代を彷彿とさせる「奥津磐座」に至ります。往復約2時間、神気に満ち溢れるお山に登れば、誰でも心身の穢れが洗い流される気持ちになりますが 山内での写真撮影・飲食禁止 大祭の日や特定日は入山できません。 ( スピリチュアルブームで、パワースポットとして紹介されている事もあって入山する人が増えている。 広々とした高宮神社の前で車座になって飲み食いしている団体さんに出会った事があるが、くれぐれも神域である事を忘れないように )・・・ 



山中にある磐座には神々の魂の憑り代(よりしろ)して、信仰の対象になったものと 神のご神陵(お墓)としての磐座があるとされています。 古来より神聖不可侵の禁足地で全山が「御留山」といわれ、神主、社家、関係奉仕者の御山清掃以外は山内に入る事を禁じていた三輪山。  以前の宮司さんの書かれた書物を読んでも 「信仰者の登頂を特別許可している事が問題である」 と否定的な意見を述べられている。

やはり、興味本位な登拝は慎んだほうが良いようだ。

三輪山だけではない、

拝殿前の右側に玉垣で囲まれた中にある 二股の老杉は「 巳の神杉 」と呼ばれご霊木として神聖視されています。 蛇さんをご神体とする信仰は昔からあったようですが 昭和46年、宮司さんの書かれた文を読んで思わずヒヤっとしました。  

三輪の巳の神杉に関する限り、「めずらしいから写真に撮って他人にも見せてやろう」とか巳さんのお姿を撮って神棚に上げようとするのは避けたほうが良いと申し上げておく。あえて撮りたい人には禁じているわけだはないので自由であるが、この頃のようにカメラを持った人が多くなると、知らずにほんとに素直な気持ちから撮影されては気の毒だと案ずるだけである。というのも当社の賽銭箱には、白紙に包まれた巳さんの写真が何枚も還されてくる。 また巳さんの入ったフィルムが戻ってくることもある。買ってまだ新しいカメラそのものまでがフィルムとともに納められていた事もある。調べてみると、いずれも決まったように家庭が乱されている。夫婦間の不和、家族に病人や死人がでたなどと訴えられる。このようなしだいであるが、ここには統計的に表われた実態を正直に申し上げておくだけにとどめよう・・・・・。