神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

本宮山

2008-08-26 17:12:13 | 各地の山


三河富士とも呼ばれる本宮山(標高789M)は古代より信仰の山で 境内には大小の磐座が点在しています。千年近い大木の杉檜が林立した頂上附近の自然林は神域として保護され数百種の草木が繁茂し、愛知県天然記念物として指定されています。 頂上には 三河国一宮砥鹿神社の奥宮が鎮座し、大己貴命(大国様)をお祀りしています。



頂上まで本宮山スカイライン( 現在無料) が開通しており アンテナが林立する山頂一体は風情も何も無いが 奥三河の山々の後に南アルプス連峰、富士山、浜名湖など展望に恵まれており、名実共に三河国唯一の霊山です。  




一等三角点は情けない事に 電波塔の真下にあるこんもりした岩くず。何たるさまだ! この風景は遊園地の境内にある生駒山 山頂と重なる。 一帯は国有地だと書いていたが、国民の便宜を図るため、税収の為には何でもあり。



神社側の一帯は奥宮神域として保護され、杉の巨木が林立している。
「天の磐座」 国見岩
神話によると 大己貴命がこの岩山に神霊を留め、、”穂の国造り”にあたり この岩上から国見をしたところからの名称、この奥に岩戸と呼ばれる岩石の割れ目があり その奧に末社・岩戸神社が鎮座する。

磐座の事を調べていると言ったら、本宮山奥宮の方が 新城市にある石座神社を教えてくれたので足を延ばした


石座(いわくら)神社。
 


背後にある雁峯山の磐座信仰が行なわれていたと考えられる。古代祭祀場を髣髴とさせる静かな中にも荘厳さが漂う境内。
ご祭神は天御中主命、古く大和朝廷の時代から存在していた事をうかがわせる。


砥鹿神社里宮

格式の高い神社の風格がある。砥鹿神社の縁起には、701年、文武天皇の病気平癒のため当地に遣わされた草砥鹿公宣は砥鹿神が化身した老翁に出会い当社を創建、歴代宮司の祖となったと記載されている・・・・。エライっちゃ偉いが、何でも話は都合の良い後付けのような気がする。 家康の庇護の下、三河国を庇護する社として発展してきたのは花火や流鏑馬など祭り事にも色濃い。 古代は本宮山と磐座信仰だったろうに・・・・。





 

二上山

2008-08-21 14:03:58 | 奈良の山
万葉のむかし、「ふたかみやま」と呼ばれた二上山は今なお大和の風景を象徴する特徴的な二つの峰、雄岳、雌岳からなる。山容は優美で柔和な姿の中に怪しいロマンの香り漂う不思議な魅力を合わせ持った山でもある。



 折口信夫著「死者の書」は謀反の疑いで処刑され二上山に葬られた大津皇子が蘇り同じく麓の当麻寺の中将の姫の魂と交感する時空を越えた幻想的な世界を描いている。

大津皇子 (おおつのみこ)
天武天皇の第3番目の皇子、母は天智天皇の子。686年、天武天皇の死の直後、謀反の疑いを掛けられ葬られた悲劇の皇子。風貌に優れ、文武に秀で、人臣から慕われ、僅か24才での無念の死・・・・。持統天皇が自分の子供である草壁皇子かわいさに、全てにわたって優れていた  大津皇子に嫉妬した? 壬申の乱の再現を恐れた? この悲劇は 古代天皇制を確立するため生まれた必然だったのかもしれない。亡骸は二上山に葬られた


雄岳頂上の大津皇子の陸墓

「うつそみの人なる我や明日よりは二上山を弟と我が見む」 姉の大伯皇女がその時詠った歌


鳥谷口古墳

二上山の麓、当麻山口神社から馬の背に向かう途中、整備された鳥谷口古墳がある。 大津皇子のお墓は雄岳山頂にあるが 実はこの古墳が本当の墓ではないかという説もある。 

 
馬の背から眺めた雄岳

雌岳はハイキング用に整備されて明るい雰囲気だが 大津皇子のお墓のある雄岳はあまり登られていないようでどことなく淋しい・・・。 

最近腹立たしいのは、地方の主だった山の頂にある、テレビ局やNTTなどアンテナの林立だ。 さすがに三輪山と二上山にはないが、私有地の場合、地方自治体の馬鹿な担当が民間に阿って許可したらそれもやむなし・・・。吉備の中山のように山頂に宮内庁管轄の御陵がある事に不満もあるが逆説的にはおかげでNTTのアンテナが建たない利点もあるわけだ。 生駒山や本宮山など目も当てられない!


本宮山:砥鹿神社奥宮が鎮座する御神体山
ドコモ、テレコム、TV愛知、東海TVのアンテナが林立、これじゃ、神様どこかに逃げてしまう・・・。

吉備の中山

2008-08-19 13:06:23 | 中国地方の山


吉備の中山は古代信仰の原点となる秀麗なご神体山。原始の信仰は山そのものがご神体であり、それを排するために麓に拝殿が設けられた。 山上には神の依代である磐座があり、吉備津彦神社の神池の亀島にも石を円形にめぐらした磐座があり、神が里に降りたときに鎮座した里宮と言われている。山頂一体は散策路ともなっていて、最も高い山頂に元宮の磐座が鎮座し、南の方の山頂には吉備津彦命をお祀りした御陵墓・前方後円墳があります。


中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすこふん)
通称「御陵」(ごりょう)
全長140m、後円部の経80m、後円部高さ12mの古墳時代前期の前方後円墳。大吉備津彦命の墓と伝えられ、現在は宮内庁の管理下にあるため、立ち入り禁止となっているが、採取された埴輪などから、最古級の前方後円墳とされる。古代史的に天皇の地位を覆すような遺跡が出てくるのを恐れているのか、全国の主な古墳はどれも立ち入り禁止となっている。


造山古墳(全国4位の規模を誇る前方後円墳)

古代「吉備国」と呼ばれ、大和朝廷と競うほどの強大な勢力を誇っていた事をうかがわせる弥生時代の古墳や歴史ある神社が点在する吉備路・・・・。古墳時代は吉備王国として君臨。5世紀前半の繁栄ぶりはかなりのものがあったと思われるが、以後大和朝廷は葛城氏を駐在させて直轄領とし、大化の改新を経て事実上勢力の中に組み込まれていき、壬申の乱後、7世紀には備前、備中、備後に分割され、さらに美作に分け4つの国として支配に服することになる。



衰退と引き換えに都の文化を受け入れ 以後華やかな独自の吉備文化が築かれていく・・・。聖武天皇が建立した備中国分寺や国分尼寺跡周辺の風景など、吉備路一帯はどことなく出雲や明日香に似て古代ロマンの香りが漂っている。




吉備高原の最南端、標高400Mに築かれた鬼ノ城からは総社平野が一望できる。

お盆の休日、和気にある親類のお墓参りを理由に、かねてから気になっていた吉備に来られてちょっと感動。奈良からだと充分日帰り圏内だけど前日は岡山駅のグランヴィアに宿泊  雰囲気は良かった。 吉備の中山は幾多の出版物もあるくらいメジャーな神奈備だが、古代史的にも興味深い。 行く先々で感動して、興味を持つので一考に先に進まない、こんなこっては残り少ない人生、時間が足らないな・・・。