神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

物部神社と八百山

2009-09-07 14:08:51 | 中国地方の山


石見国一の宮:島根県大田市、山陰の名山三瓶山入口にあたる川合町に鎮座。社伝によれば514年(継体天皇8)勅命により祈祷を専門とする神殿が創建されたという。その後石見銀山争奪戦の兵火などで三度消失。現在の本殿は1856年改修された春日造りの重厚な建築で、県下では出雲大社につぐ規模となっている。



御祭神は宇摩志麻遅命(ウマシマジノミコト) 物部氏の御祖神として知られ、神武天皇即位の際、父神ニギハヤヒノミコトが携えて天降った十種の神宝を用いて、天皇のために鎮魂宝寿を祈願。その後 天香具山命(高倉下命)と共に物部の兵を率いて尾張、美濃、越国を平定され、高倉下命は越後の弥彦神社に鎮座。ウマシマジさんはさらに播磨、丹波を経て石見国に入り都留夫(つるぶ)・忍原(おしはら)・於爾(おに)・曽保里(そほり)の豪族を平定し、厳瓮(いつぺ)を据え、天津神を奉斎され(一瓶社の起源)、安の国(安濃郡名の起源)とされました。
そののち鶴に乗り鶴降山に降りられ国見をして、八百山が大和の天香具山に似ていることから、この山の麓に宮居を築かれました。


折居田のお腰掛岩:ご祭神が腰を掛けられた磐座と桜の樹を移設


物部神社はウマシマジさんが住居とした所に創建され、最初はご神体山である八百山を崇めていました。命が亡くなられてから八百山に葬られ、これが山頂にあるご神墓であるという。


稲荷神社の脇から登拝する



すぐに結界がある





御祭神ウマシマジノミコトの御神墓といわれる元宮(登山口から5分ほど)

熊野大社~出雲大社をご参拝して、念願の物部神社に来ることができた。出雲にはスサノオさんやニギハヤヒさんの気になる神社が多い。ウマシマジさんはニギハヤヒさんが長髄彦の妹を妃として誕生された御児。父から伝えられた大和国統治の印であり皇位継承の印でもある「瑞宝十種」を神武天皇に奉献。神武天皇が橿原宮で即位された時の皇后はウマシマジさんの妹・・・・。 これはニギハヤヒさんの統治権をウマシマジさんから神武天皇が継承されたということで、大和朝廷成立に関わる重大な事柄?・・・・。


ご朱印帳をお願いした時、宮司さんにお聞きしたら どうぞ登っても良いですよっと言われたが、最近ご神体山に登拝するのは躊躇してしまう。 山頂の磐座に本宮としてスサノオさんをお祀りしている石上布都魂神社と雰囲気が似ていた。せめてのお詫びに社殿創建1500年記念事業のご奉賛ご寄付をしてきた。

鎮魂祭:
古くは11月中の寅日申刻に行われていたが、現在は新嘗祭前夜に行われる。神武天皇御即位の時、祭神が宝寿の長久を祈念された古事による神事。神武即位以後毎年11月にウマシマジ及びその子孫が司祭者となって宮中で行われていた「鎮魂祭」の儀。その後現在に至るまで石上神宮でも行われているが、皇居では今でも布留大神の鎮魂祭を受け継いで行われているとか。

いやいや、日本国建国に関わる奥の深い神社です
物部神社の物静かで、すべてを語らない威厳は実にタイプ。アンチ藤原 物部ファン だしね





吉備の中山

2008-08-19 13:06:23 | 中国地方の山


吉備の中山は古代信仰の原点となる秀麗なご神体山。原始の信仰は山そのものがご神体であり、それを排するために麓に拝殿が設けられた。 山上には神の依代である磐座があり、吉備津彦神社の神池の亀島にも石を円形にめぐらした磐座があり、神が里に降りたときに鎮座した里宮と言われている。山頂一体は散策路ともなっていて、最も高い山頂に元宮の磐座が鎮座し、南の方の山頂には吉備津彦命をお祀りした御陵墓・前方後円墳があります。


中山茶臼山古墳(なかやまちゃうすこふん)
通称「御陵」(ごりょう)
全長140m、後円部の経80m、後円部高さ12mの古墳時代前期の前方後円墳。大吉備津彦命の墓と伝えられ、現在は宮内庁の管理下にあるため、立ち入り禁止となっているが、採取された埴輪などから、最古級の前方後円墳とされる。古代史的に天皇の地位を覆すような遺跡が出てくるのを恐れているのか、全国の主な古墳はどれも立ち入り禁止となっている。


造山古墳(全国4位の規模を誇る前方後円墳)

古代「吉備国」と呼ばれ、大和朝廷と競うほどの強大な勢力を誇っていた事をうかがわせる弥生時代の古墳や歴史ある神社が点在する吉備路・・・・。古墳時代は吉備王国として君臨。5世紀前半の繁栄ぶりはかなりのものがあったと思われるが、以後大和朝廷は葛城氏を駐在させて直轄領とし、大化の改新を経て事実上勢力の中に組み込まれていき、壬申の乱後、7世紀には備前、備中、備後に分割され、さらに美作に分け4つの国として支配に服することになる。



衰退と引き換えに都の文化を受け入れ 以後華やかな独自の吉備文化が築かれていく・・・。聖武天皇が建立した備中国分寺や国分尼寺跡周辺の風景など、吉備路一帯はどことなく出雲や明日香に似て古代ロマンの香りが漂っている。




吉備高原の最南端、標高400Mに築かれた鬼ノ城からは総社平野が一望できる。

お盆の休日、和気にある親類のお墓参りを理由に、かねてから気になっていた吉備に来られてちょっと感動。奈良からだと充分日帰り圏内だけど前日は岡山駅のグランヴィアに宿泊  雰囲気は良かった。 吉備の中山は幾多の出版物もあるくらいメジャーな神奈備だが、古代史的にも興味深い。 行く先々で感動して、興味を持つので一考に先に進まない、こんなこっては残り少ない人生、時間が足らないな・・・。


石上布都魂神社 磐座

2007-11-07 12:33:50 | 中国地方の山


備前の国一宮:御祭神は スサノオノミコト :御神体は 布都魂の剱(フツノミタマノツルギ)
日本書紀一書に「スサノオ、乃ち、蛇の韓鋤の剱を以って、頭を斬り腹を斬る。(中略)其のスサノオの蛇を断りたまへる剱は、今吉備の神部の許にあり。」との記述があります。

由緒によると、剣は第10代祟神天皇の時(270~290年)大和地方に病が蔓延した、それを平らげるには、布都魂の刀の霊力で払いのける事、となり 吉備の国当社から大和に献上、不思議な事に病は治まったと伝えられ、献上の剣は石上神社の裏山に埋納した。  明治7年教部省の許可を得て発掘し、曲玉と神剣を発見。 明治天皇に天覧ののち、刀匠 月山貞一氏によって再鍛造され、当神社にも奉納された。 (つまり奈良の石上神宮にスサノオさんの神剣を献上した神社です。)


社務所や休憩所がある境内

現在の社殿は大正4年に再建されたもので、元来山中にある巨石がご神体である。以前は社殿も山頂にあったが明治末期に火災で焼失。500メートル下方の現在地に再建された。社殿は駐車場からコンクリートの小道を5分、更に階段を登ると前方が拓けて立派な建物のある境内に着く。

大和の石上神宮同様、物部氏が代々神官の祭祀を預かることとなっており、居合わせた宮司さんが 物部の御子孫で姓も  物部 と聞いて驚いた!(マジ本物!) 私が物部のファンだと言うと、女性で古代史の研究をしているなんて珍しいですね・・・。と言われて 由来や伝説にまつわる話を色々して下さった。



本宮への入り口(急登の連続で登山道路は荒れている)

山頂にある本宮 : 後ろの磐境(磐座)は神霊を祀るもので、古代祭祀を伝える貴重な遺跡となっています。神社の左手から階段状の急登を続けると備前や岡山市内方面が遠望できる開けた場所につく 更に山道の急登5分で鳥居が立っている場所。



続いて50段ほどの石段を登ると10メートル四方が台地になっていて正面に巨大な磐座があり、その前に本宮が祀られていて禁足地となっている。池田公の時代にはこの場所に社殿、神楽殿、拝殿まであったと掲示板に書かれている。




山頂の本宮さんで磐座は禁足地となっている。禁足地内に いぼ水 という水たまりがあり、この水をイボに付けるとイボが取れるとの言い伝えがある。希望の人あれば、神社の人にお話下さいとのことです。


麓から見た御神体山:一帯の風景は岡山県下の代表的なツブラジイの純林で景観保護区となっている


広い駐車場:
少し解り難い山間の僻地に建っています、人口減少で祭礼、伝統のお神楽、棒使い、神輿なども満足に出来なくなっている現実があり石上布都魂神社崇敬会を結成して会員を募っています。

古代祭祀を如実に感じさせる ビビッとくる御神体山。 大松山という記述もあるが、麓の方は 本宮さん と話していた。時間の許す限り山の麓周辺を歩いていると、嬉しくてニヤニヤしてしまった。

熊野大社の元宮祭 「天狗山登拝」

2007-05-30 14:58:42 | 中国地方の山
出雲には荘厳で由緒豊かな神社の数が多いが、中でも熊野大社はスサノヲノミコトを御祭神とする、出雲国一ノ宮として、古代出雲文化の聖地として存在する。 元宮祭はかつて熊野大社の元宮があった天狗山(昔は熊野山)山頂ちかくにある磐座の前で毎年5月に祭祀が行なわれる。参加は自由でちょうどこの日は天狗山の山開きも兼ねていると聞いて はるばる出かけてきた。


熊野大社

快晴の5月27日、門前に置かれた申込み書に記帳して、朝9時30分から本殿前で本日の予定や注意ののち、 御祓いを受けてご祈祷、榊奉納の代表者は毎年参加されている御年89才の氏子男性だったが、見かけはどうみても60代に見える姿勢の美しい矍鑠とした方。その後各自自家用車を乗り合って天狗山登山口まで行く。  近年この近辺 八雲でも熊の出没があったので 出来るだけ集団で歩くようにとの注意があった。


登山道への入り口

天狗山は神社の南方3キロ、意宇川の源流にある。神社の先を左に入り小さな集落の続く舗装された林道を小川に沿って行き、やがて舗装はなくなり 小さな橋を渡って山あいに進む。どこまで入れるか知らなかったので 随分手前の駐車場にとめたが、林道を20分くらい余分にのんびり歩けて気持ちが良かった。登山口からは沢の音が聞こえる樹林帯の九十九折の急登りが続くが時間にして磐座まで3~40分ほど、磐座前は左手が広々とした斜面になっていて、上方に斎場と書かれた立て札があり、さらに上には磐座と書かれた立て札が立っていて その上部正面には元宮のお社が祀られている。

登山姿の宮司さんが正装にお着替えをされてから、磐座前の大きな石を積んだ祭壇の前で厳粛な祭祀がとりおこなわれた。※式典や磐座の写真は恐れ多くて載せられない※

その後昼食のため頂上に向かうが、ここからは木々に囲まれた歩きやすい道で、10分足らずで頂上に到着、標高610メートル、この辺りでは最も高い山で、見晴らしは熊野大神の国見の山にふさわしく、松江市はもとより、美保関や出雲大社まで一大パノラマが展望できる。信仰の山ではあるが、同時に近年、森林浴を楽しむために登山するものが多いらしい。頂上ではお神酒が振舞われた。


天狗山頂上:参加者の中には子供たちが8名ほど。

私は元の磐座に下りて休憩したが、天気が良く、とりわけ暑い一日だったにも関わらず、斎場のあたりは風の通り道になっているのか さわやかな風が吹き抜けて 涼しさと 神さまの霊気を頂いた心地良さで心底満足させて頂いた一日だった。

帰りも各自だったが、神社では茶菓の接待をして下さった。今回の参加者は50名ほど、例年4~50名だが、10年位前は100名ほどいたらしい。斎場での写真撮影も磐座まで上がって行く人にも 宮司さんは「 どうぞいいですよ・・・。」今日は元宮祭ですから・・・。と 写真撮影どころか入山自体に緊張していた私は すっかり おおらかな熊野の神さまのファンになってしまった。

元来 神さまは男女問わずとてもおおらかで自由な方々らしいです・・・。そういえば行く先々で結婚されて、誕生しているお子様の数は驚くほど多い。


帰路、大山の不思議な雲