神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

吉野山

2008-11-27 16:15:35 | 奈良の山
今年の吉野は台風が来なかった事などが幸いして通常、落下する桜の葉が遅くまで残り、いつになく桜の紅葉が見事だったらしい。 吉野山という特定の山頂はなく、下千本あたりから奥千本あたりまでを総称して吉野山と呼んでいる。 晩秋は桜の季節とは異なり静かで風情があり、西行庵一帯は格別。


奥千本の西行庵(藤原鎌足に連なる武門の出ながら吉野の桜に身も心も奪われた)

古代より特別の聖地として崇められてきた「吉野山」 万葉集に詠われた数は90首、いずれも美しい吉野の山や川、自然を褒め称え古代の歌人がいかに吉野の地に憧憬の念を抱いていたうかがえる歴史の宝庫で 何度訪れても奥が深い。

「神さぶる磐根こごしきみ吉野の 水分山を見ればかなしも」 古代王朝にとって水神が静まる聖山であると共に 吉野の山中には黄金が秘められているとの伝承により「み吉野の御金の岳」と詠われ 吉野山から山上ヶ岳にかけては金峯山とも称され、山頂一帯には 地主神を奉る金峯神社があり最高峰・青根ヶ峰に続くこのあたりは水源の聖地で、古代精進潔斎の地と推定されている。

果たして神の座す吉野山はどこ? 
以前、喜蔵院の御住職に「吉野の神さまはどこにいるのですか?」とお聞きしたらあっさり「青根ヶ峰」と言われたが・・・・。昨今至る所まで林道が巡り、最高峰・青根ヶ峰のわずか数メートル下を車が行きかう。


三角点のある最高峰:青根ヶ峰(水を分ける神の山と称された)


山頂直下にある山上ヶ岳への分岐(女人結界の文字が残る、ハイハイ)

気になるのは途中にある城山、大塔宮親王吉野城の詰城だが、こんもりした形の良い山は神奈備に相応しい。また麓には「牛頭天王社跡」の石碑が在ったので その昔スサノオノミコトが祀られていたのだろう・・・。





現在は山頂に展望台を設けて台無しだが・・・。山頂からの展望は見事!特に高見山の鋭鋒が眼を引く。




歴史の古い大和で、有史以前のことはともかく、それ以後、史書が物語る地名としては吉野が最も古いとされており、即位する前の神武天皇が熊野からヤタガラスに導かれて着いたところは吉野川のほとり、



「夢のわだ」と呼ばれる象川と吉野川の本流が合流するあたりは 旅館や土産物店がひしめく山中よりはるかに古を偲ばせるたたずまい・・・。(吉野宮の南、宮滝界隈)

宮滝遺跡のあるあたりは、飛鳥人たち遊覧の場所で歴代天皇が滞在した吉野離宮があったと推測されている。このことからも7世紀頃、吉野の中心は蔵王堂のある、吉野山ではなく、吉野川の北岸でした。

 
宮滝の吉野宮跡と思われる場所から仰ぎ見る青根ヶ峰 (象山の左奥にうっすらと見える) 


桜木神社(大海人皇子が桜の木の下に身を潜めて難を逃れたという伝承の神社で、ご祭神は 大国主命、少彦名命、天武天皇)

神武天皇、古人大兄皇子、大海人皇子(天武天皇)義経、後醍醐天皇・・・・。「負けたら吉野」 と敗者は必ず吉野の地に逃れるのが日本史の決まりだとか。 伝承によれば、「吉野には敗者に手を差し伸べる」慣習があり、地理的にも南に広がる大峰の山々は遠く熊野に通じ 尾張や東国、瀬戸内に逃げのびる事が出来た。その裏には役の行者を中心とした修験道のメッカとしての吉野の存在が色濃い。

神武天皇が導かれてたどり着いた吉野川のほとりというのが示唆的で、「夢のわだ」は神々しい。 今神さまがいるとしたら土産物屋や林道が交錯する山頂一帯ではなく、宮滝のほとりで決まり。




飛鳥の神奈備 ミハ山

2008-11-23 15:09:12 | 奈良の山


「神が降臨する聖なる山」万葉集で神丘と歌われる数は20を超える。 明日香の神奈備 神岳(かむおか)と詠まれたのはいったいどこの山のこと?  雷丘(いかずちのおか)? 南淵山? 甘橿丘?・・・・。最近の諸説ではミハ山が有力な候補だと言われているが、明日香村の文化財事務局や地元の方でも知られていない山名であるようだ。 「それは桜井の山(三輪山)ですよ」と言われる事が多い。

稲渕の畑にいた地元の人に尋ねたら、自分たちはフグリ山と呼んでいる山の事だろうと 道路の最高地点から畑のわき道に入り展望台に進む近道を教えてくれた。ミハ山は飛鳥右京の南、祝戸地区公園として整備され、立派な遊歩道も出来ている。



展望台からは大和三山を背景に広がる飛鳥右京や奥飛鳥と呼ばれる稲渕地区の見事な棚田が眼下に一望できる。祭祀跡の巨岩や小石が残されているらしいが、これだけ整備されてしまうと現在、神様がいるようには思えない。甘橿丘も同じ・・・。
明日香は年々整備され道路や駐車場、どこも公園化されて昔の面影は薄れてしまった。



飛鳥座神社:日本書紀にも登場する古社、829年3月にご神託により甘南備山から現在の鳥形山に遷都されたと記している。背後の丘も神奈備候補地らしい。



飛鳥川上坐宇須多伎比賣命神社:稲渕集落を過ぎ、飛鳥川沿いの道沿い、「宮山」の中腹に鎮座する神社。宮山は秀麗なご神体山で、古来より神の座す神奈備山をして信仰されてきた。 このあたりまでくると静かな奥明日香の風情が残っており、さらに上流吉野に通じる芋峠の手前に栢森には加夜奈留美命神社が鎮座している。

頂上までハイキング道路が整備されたり、山頂にアンテナが建ったり、住処を追われた神々は さらに奥深く人里離れた山の頂で愚かな人間を見守っている。 山は麓から崇めるものだといまさらながら感じる。