神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

石切劔箭(つるぎや)神社と宮山

2009-05-23 21:11:58 | 奈良の山


石切劔箭神社の起源は、神武天皇、紀元2年、生駒山中の宮山にニギハヤヒの尊を奉斎申し上げたこと。崇神天皇の御代になって、「下の之社(現在の本社)に可美真手命が祀られたとあります。



大阪では石切りさんと親しまれて、「でんぼ」(腫れ物)を治して下さる神様として確固たる地位をお持ちの神様ですが、どっちかって言うと参道の怪しい占い通りのほうが有名で、御祭神の名前を御存じの方は少ないように思います。ニギハヤヒさんをご祭神に銘打って、神社庁には所属しない独立独歩の神様です。御力はありますぞ。


「下之社境内にある神武社」

ニギハヤヒさんはスサノオさんの御子で、幼名を大歳尊(オオトシノミコト)といいます。その後、大和(奈良)に東遷、途中玉櫛姫を妃として、天日方日奇命(大三輪氏の祖先)がご誕生。名前をニギハヤヒと変えられ、当時の奈良の豪族ナガスネヒコさんを服従させて、妹と結婚、可美真手命と伊須気余理比売(神武天皇の皇后)がご誕生。三輪山頂にある奥津磐座がお墓ではないかとの説がありますが、生駒山中にもお墓があります。 古事記の神武記や十種神宝の話をしていると、石切さんの話ができないので割愛。


石切劔箭神社上之社:現在の本社は「下之社」ですが、元は「上之社」が本社でした。



さらに上之社の背後にある「宮山」山中には ニギハヤヒとウマシマジを祀ったとされる「元宮」の地があります。



上之社から一旦歩道にでて、辻子谷ハイキングコースとなっている住宅地や漢方薬工場の立ち並ぶ急なコンクリートの坂道を辿る。道の脇には幾多の石仏がたてられていてそれぞれ表情が豊かで懐かしい気持ちになる。江戸の昔から生駒山に向かう旅人を見守っていた事だろう。 夜泣き地蔵さんを過ぎたあたりで左に分岐して山道に入る。神社の方や、地域の方から「けもの道ですよ」と聞いていたが踏み跡はきれいについている。



分岐から10分も歩くと鶯がさえずる木立の中にひっそりと佇む小さなお社。ここは2000年前に石切劔箭神社が祀られた場所だ。うん、いい・・・・・。



お社から急斜面を5~6メートル駆け上がると縦走路の鞍部にでるが、げっ!案の定お社の真上には生駒名物のアンテナが!



神武天皇が長髄彦と刃を交えた峠「孔舎衛坂」に由来する地名日下(くさか)から遠望した生駒山。 ちょうど下之宮、上之社、宮山を結んだ延長に生駒山の山頂がある。ここ元宮の場所は天孫降臨の地として古代祭祀が執り行われた場所と考えてしても・・・。ふむ納得できる。



ニギハヤヒさんのお墓:
生駒山中、現在生駒総合公園内のグラウンドから林の中を辿ること20分、こちらもアンテナの真下にひっそりと佇んでおられる


白山神社参拝の旅

2009-05-11 12:20:29 | 各地の山


連休は高速1000円利用で奈良~福井~白山神社を周遊した。白山を開山した泰澄大師の出生地である越前国麻生津にある我が家のお墓参りのあと、一番の目的地である白山中居神社を目指す。



まずは越前国一の宮 気比神社にご挨拶、ご祭神はイザサワケノミコト、境内の「土公」に降臨した神とされるが来歴は不明。背後のご神体山と山の神神社が気になるが今日はご無礼を・・・。朱塗りの大鳥居は日本三大大鳥居の一つ。



摂社、角鹿神社は任那の王子の故ある神社で 敦賀の地名はもと「角鹿」ツヌガの所以となっている。敦賀は古くから交通の要所で、大陸文化受容の玄関口としての役割を担っていた。

福井は足羽山山頂に居ます継体天皇、近江で生まれ3歳の時より越前で育つ、御年58歳にて第26代天皇に即位。この時越前の国を離れるにあたり、この地を慕い「永く此の国の守神に成らん」と自らの御生魂を此宮に鎮め御子に託した。


足羽山より三国を望み、現代でも福井の平和と発展を見守っています。

白山比神社
全国に3000余社ある白山神社の総本山、ご神体山の白山に源を発する手取川河畔の鶴来町に陳座する。一の宮駅前にあった御本殿は火災で炎上、当地は以前の三ノ宮であった場所。


境内にある奥宮遥拝所

長滝白山神社 
長滝から石徹白白山中居神社を経て登拝する白山のご参拝基地・美濃馬場として栄えたかつての白山中宮長滝寺。広い境内は神仏混合の古い形態を余すところなく 残し悠久の歴史が漂う。



白山中居神社



景行天皇御代の創建、雄略天皇代に護国鎮護のため剣を奉納したとの伝えがある。その後 泰澄が社殿を修め拡張、修復した。境内は杉の巨木が林立して荘厳な雰囲気が漂っている。


宮川にかかる橋から拝殿が望める

白山美濃馬場の拠点として栄えた石徹白、名字帯刀が許され年貢免除の恩恵にあずかるほど、ご信仰の厚さを誇る伝統の地。 今も白山南縦走路の入山口だが訪れる人は少ない。途中にある雨宿りの岩屋は、泰澄大師の母が女人禁制の白山に大師の後を追って登ったため、山の神の怒りに触れ、血の雨・槍の雨が降ってきたのを避けた場所だとか。母性はいつの時代も変わらない。物悲しい雰囲気に包まれ、古代人が生きていた事を実感できる、言葉では表現できない神社です。



「磐境」(いわさか)は古代祭祀場の磐境で、神が鎮座された場所。稲作を始めた頃からは豊作を祈願する祭りの場所でもあり、本格的な山開きが始まる7月には安全祈願の例祭が行われる。 白山の真っ正面に当たる場所だそうです。

白山文化博物館の受付にいた女性によると、このルートはチブリ尾根に比べると、熊の出没話題は聞かないらしい。 辿ってみたい。