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神々のいる山を訪ねる

巡礼登山家を目指して修行中、 一人淋しく霊山を訪ね歩いています。

朝熊山の八大龍王

2012-01-25 12:27:36 | 近畿の山
伊勢に来るたび足をのばす朝熊山。辰年なので山頂の八大龍王社を目指して朝熊岳道を歩いてみた。
 
「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」 「岳参り」と呼ばれ金剛證寺への参拝道として整備された名残の町石が一町(109メートル)ごとに建てられている。高野山町石のミニ版。 



次第に雪道と変わる登山道路は急な坂もあるが整備されて歩きやすく、時折眼下に伊勢の風景が見える。


終点の22町石。



ここから舗装道路を歩き、八大龍王社の建つ山頂へ、




朝熊山は古来山全体が八大龍王の山だったのでは? 静けさの中に一種独特の雰囲気は残っている。そして山頂にお決まりのテレビ塔



数年前からマイブームは龍神さんなので、朝熊山は気になる山だった。どこからも眺められる身近で神々しい山・・・。昔はさぞ威厳のある霊山だったろう

八大龍王とは仏教を守護する龍(ナーガ)族の王さまを八尊集めたもの。経軌によって内容に差異があるが、『法華経』序品に説く八大龍王がもっとも流布している。他に『陀羅尼集経』では別の組み合わせを説く。わが国では主に、祈雨、止雨の尊格として信仰される。

端的に言えば仏教を守護する龍神のこと。真言密教では水神として雨乞いの神さまです。主に水中に住み、雲をよび雨を降らす神力を有する。インド原住民の間で信仰されていた蛇神が仏教に取り入れられたものと言われる。

「時により、過ぐれば民の嘆きなり、八大龍王 雨やめたまへ」 洪水が天に濫り、河川が氾濫、田畑の荒廃に苦慮した 将軍・源実朝 自ら祈念した歌がある

龍神信仰は奥が深く、幅も広い、朝熊山では感じなかったけれど、ふと宗像神社が浮かんできた。





熊野の神々がいる山

2010-05-13 15:52:44 | 近畿の山

大馬神社境内の大滝

奥深い森に囲まれた熊野、太古の神話が語る熊野の信仰は「山の信仰」と「海の信仰」があると言われる。熊野本宮を中心に、山中を他界として認識したのが、山の信仰。新宮と那智を拠点に海の彼方を理想像として憧憬したのが海の信仰。神話との関わりも深く、独自の歩みと歴史を持つが、11世紀頃互いにご祭神を勧請して「熊野三山」と称するようになった。鎌倉時代には皇族・貴族の間で「熊野詣で」が流行し「蟻の熊野詣」という言葉が生まれた。


熊野速玉大社

全国3000社以上ある熊野神社の総本宮・熊野本宮大社は沢山の人で溢れかえり真新しい資料館や店舗が増えていた。世界遺産に登録されてから参拝者が急増、住人7千人の本宮の町に正月三ヶ日で27万人の参拝者が訪れるとか・・・。明治24年に遷座された歴史の浅い神社だが、静かで厳かだった境内の雰囲気は一変! 以前は見かけなかった禁止事項の看板が境内の至る所に立ち並び、悲しくなる。


熊野本宮大社:大斎原

「聖地の条件は1センチたりとも動かない事」と言う言葉があるが、水害で流出する100年前まで聖地だった大斎原・・。ここもお供え物禁止、無断撮影禁止、あれもこれも禁止・・。でもお賽銭箱はしっかりあるという、新興宗教のような感性で、訪れる人の心に訴えるものは少ない。



熊野速玉神社の元宮・神倉神社。神倉山の山頂にゴトビキ岩とよばれる巨石がご神体をして祀られている。ここは熊野権現が最初に降臨した根本聖地とも伝えられている。磐座を拝んでいるとホントに神社仏閣の豪華な鳥居や建造物はまやかしで不要だと感じさせてくれる。




世界遺産登録で海外からの観光客が増えている。 ごとびき岩のすぐそばで日本人ガイドに連れられた20人位の中南米団体客が長時間休憩していた。

熊野は古代の自然信仰、原始信仰の聖地であったと思われるが、今なお熊野の神さまが住んでいる山々を探訪しようと、事前に聞いていた山懐の神社を訪ねてみた。どこも深い杜と清流に囲まれ、静かで神々しい信仰の原点を感じさせてくれた素晴らしい神社だった。



神内神社:岩壁をご神体として祭った原始宗教の名残りがある。境内には300種類の植物が繁茂し貴重な杜です。


大馬神社:古代信仰の滝と岩と山がご神体とされています。杉の巨木に囲まれ 熊野地方が植林化される以前の植性を持つ貴重な社叢とされています。


産田神社:地元に伝わる話では「崇神天皇の夢見により、ここにお祭りされていた神様を熊野に遷したのが、熊野本宮大社の始まりだといわれている。広大な社叢をもつ弥生時代からの古い神社で古代には建物はなく『ひもろぎ』と呼ばれる石で囲んだ祀り場(祭祀台)へしめ縄を張り神様を招いた。ひもろぎの跡(神の宿る所)も残っている。日本で二箇所しか残っておらず大変古くて珍しい。と書かれていた。

巨岩を御神体とする丹倉神社には近くまで到達したが、なぜか辿りつけなかった。やはり神さまは観光客を避けて人里離れた山の中にいる。

熊野信仰も元をたどれば出雲にある熊野山(天狗山)を発祥とする出雲の熊野大社にルーツがある。また那智大社社伝には神武天皇が大滝に神を祀ったのが始まりとされているが、那智大瀧にそれより以前、すでに「大己貴神」を祀っていたとされるので出雲より熊野に勧請されたのは神代の時代であったと思われる。




太郎坊山

2009-10-17 21:50:32 | 近畿の山


滋賀県東近江市、蒲生平野の唯中にある。この辺りは大小の山峰が多数散在して独特な景観をみせている。琵琶湖の水位が高かった古代においていずれも島だった事が覗える。平野の中に唐突に現れる山々の姿は古代人の信仰の対象として崇められていたのだろう・・・。中でも箕作山の南に張り出した太郎坊山の岩山は特異な印象でご神体山信仰の象徴とも語られる山である。 



この山は太郎坊宮(阿賀神社)のご神体で、赤神山とも呼ばれる。創祀は約1400年前、推古天皇の御宇 聖徳太子が当地「箕作山」に瓦屋寺を建立された時、当地の霊験が顕著であることを聞き、国家の安泰と万人の幸福を祈念されたと言われている。




山頂直下には太郎坊宮(正式名は阿賀神社)が祀られている。神道に天台宗、修験道の信仰が相交わった信仰形態のもとに今日の太郎坊信仰道が確立された。



夫婦岩:本殿の前に高く聳え立つ高さ数十メートルの二つの巨石は、別名「近江の高天原」とも唱えられ、その昔大神の神力を以って巨石を左右に押し開きおつくりになったものと伝えられる。この間を通って参拝するものは、即座に病苦を除き諸願成就されるが、悪心あるものは「岩に挟まれる」と言われる。心が引き締まり、一種の尊い霊感を覚える神秘的な存在。


見るからに神秘的な霊山は神体山信仰、磐境信仰発祥の地と言われている。従って磐境信仰の定型である山上には奥ツ磐座があり、山麓には奥宮を遠望でくる場所に巨大な磐座の辺ツ磐座と祭祀場もある。

太郎坊と呼ばれるのは神社を守護している天狗さんのお名前で、鞍馬山次郎坊の兄とも呼ばれます。勝運授福の神として霊験あらたかな神様ですが、特に地鎮祭などにはバリバリお力を発揮して頂けそうな心強い庶民の味方の神様です。


笠置山と笠置寺

2009-06-15 09:51:36 | 近畿の山


京都府の南、奈良市の北東にある笠置山、標高は300メートルに満たないが険しい修業を物語る霊峰で古くから修験行の道場として知られている。 山は花崗岩が多く、磨崖仏、ゆるぎ石、甲吹岩など数多くの奇石が林立する様子は、独特の景観で 山頂周辺は修験行場めぐりとして整備され、胎内潜りなど、行場の名残を体験することができる。


弥勒大磨崖仏
1300年の昔、天智天皇の御子によって彫像されて以来、笠置寺を弥勒信仰の中心に位置づけるに至った笠置寺の本尊です。

笠置山の大巨石の前で弥生式時代の石剣が発見されたことにより、すでに2000年以上前から信仰の対象として崇められていた事がわかる。実際に建物が建てられたのは、1300年前、東大寺の和尚によって、笠置山の大岩石に仏像が彫刻され、その仏を中心として、笠置山全体が一大修験行場として栄えた。



虚空蔵磨崖仏
高さ12m・幅7mの花崗岩に、虚空蔵菩薩(こくうぞうぼさつ)のお姿がはっきりと拝める。平安時代・奈良時代と確定していませんが、弘法大師が一夜にして彫ったとの説もある。幸運にも元弘の戦乱の炎を受けることもなく、現在までそのお姿を残しています。

縁起によると、天智天皇の皇子が狩猟の際、危機に瀕したが、弥勒菩薩のご加護により救われた。皇子は報恩のため、石仏を刻むことを発願されたのが発端という。役行者、良弁、空海などにまつわる伝承も数多く、ご信仰の深さをうかがわせる。



胎内くぐり
修行場のスタート場、笠置山には滝がないので、この岩をくぐることによって、一度母の胎内に戻り再生する、浄化の場所です。



貝吹き岩(かいふきいわ)
西側が望めるこの場所は、元弘の戦乱のとき、連絡のためのほら貝を吹いたので、こう呼ばれています。



宝蔵坊あと
お経の収められた、経蔵があったと思われる場所は、もみじ公園と呼ばれる、紅葉の名所ですが、目の覚めるような新緑も素晴らしい。


平安から鎌倉にかけては、世の末法思想の流行りとともに吉野金峰山と並ぶ、弥勒菩薩信仰の霊場として栄え、山中の30か所を巡る修行が盛んに行われた。1191年、解脱上人が日本の宗教改革者として、その運動を笠置寺から発信したとき、笠置山は宗教の山、信仰の山として、全盛を極めた。 



笠置寺山門

しかし、後醍醐天皇が南朝の皇居を笠置山に定められた元弘の乱の戦乱で、後醍醐天皇の拠点となったために 1か月に及ぶ北朝側の攻撃を受け、全山が消亡、壊滅、衰退の一途をたどった。



貝割れ岩から望む木津川は万葉集に泉川として詠われている。



自遊宿 松本亭

一般的には笠置ボルダーと木津川河川敷のキャンプで有名な場所。急カーブの狭い道路が山頂まで通じ きじ料理の料理旅館が数件建つ。 中でも門前の松本亭には素敵なカフェが併設されていて、自然に囲まれた自遊宿というネーミングがぴったり。 近隣に山城国分寺や恭仁宮跡、735年聖武天皇の勅願により東大寺の良弁僧正によって開創されたと伝えられる、海住山寺など見どころ満載の美しい木津川流域です。



志摩国一の宮 伊射波神社

2009-04-20 11:08:26 | 近畿の山


鳥羽市街の南東、安楽島の加布良古岬(かぶらこみさき)に鎮座、海に向かって建つ鳥居から境内まで石畳の古道が続く。由緒によると、天照大神に仕えた稚日女尊(わかひめのみこと)を岬に祀ったことが始まりと伝え、志摩の海上守護の神としてご信仰されてきた。地元では加布良古崎にあるため 志摩の海を見下ろす「かぶらこさん」と呼ばれている。

ご祭神は
 稚日女尊 (わかひめのみこと)
 伊佐波登美尊 (いさわとみのみこと)
 玉柱屋姫命 (たまはしらやひめのみこと)
 狭依姫命 (さよりひめのみこと)

伊佐波登美尊は皇女倭姫命が伊勢神宮に御贄を奉ずる地を探した際、当地で出迎えたといわれる神様。 創建時期は不明ですが、おそらく1600年は経ており、古来より加布良古大明神、志摩大明神と呼ばれており、スサノオさんを祀っていたという記述を何かで読んだことがあるので 由緒は深淵で興味深い。

安楽島集落から時折目にする案内標識や石を頼りに、山道を20分ほどで、海岸線に付く。





ここにはしっかりした表示板が建っていて海に向かう鳥居に到達。



昭和初期までは海岸まで船で来て参拝していたという。鳥居から続く急な階段はまるで来るものを拒むよう・・・。神社の聖域となり、神は人の住む世界の「奥」すなわち山の奥や海の沖から顕れるという古くからの神観念を感じることが出きる。



縁結びの神様としても知られ一の宮巡拝で訪れるひとも多いと聞くが参拝中、人と出会ったことはない。



お社から更に奥の原生林を辿ると、250メートル先に もうひとつの神様 「領有神(うしはくがみ)」が祀られていて、朝日の遥拝所がありお正月には、海からの初日の出を拝む人で賑わう。

一の宮に共通する要素として、背後にご神体山や祭神降臨伝説がある神社が多いが、海に面した一の宮もあり鎮座の由来を海との関係で説く伝承や祭りを持っている。

全国一の宮巡拝の中で、ご参拝の困難度は抜きんでている。それだけに物見遊山で行くだけではもったいない。いまなお神様の息吹を感じる数少ない神社です。 社は通常無人だが麓の海岸沿いに宮司さんがお住まいで 朱印帳にご親切に対応してくださる。 伊勢神宮ご参拝の際に必ず立ち寄るようになったのも御利益を頂き、宮司さんの奥様とのご親縁を頂いたから。 山の神さまを追い続けている自分にとって海に住まう神の存在を教えてくれた神様です。


日吉大社のご神体山 八王子山

2009-03-13 17:09:45 | 近畿の山


八王子山:大山咋神が坐す山
ご祭神 大山咋神(おおやまくいのかみ)は古事記に「此の神は近淡海国の日枝山に坐す」と記述されているように、神代の昔から比叡山に鎮座する地主神です

標高381m。牛尾山とも波母山(はもやま)小比叡山(おびえのやま)山王山 とも呼ばれており 比叡連邦を背後に印象的なコニーデ型の神奈備として実に気品のある山容で、頂上付近に建つ牛尾宮、三宮宮も坂本の街から眺められる。



奥宮登拝は東本宮の西側、牛尾宮遥拝所から、八丁坂と呼ばれるつづら折りの山道を15~20分歩く。かなりの急こう配だが、ご神域に溢れる神の「気」に癒される。 山王祭りご信仰発祥の源と云われる大岩、金大巌(こがねのおおいわ)の両側に、懸造り(舞台造り)の牛尾宮、三宮宮が並び立っています。



八王子の頂上近くに建つ、いずれも本殿は三間社流造り、拝殿は入母屋造りで懸造り、牛尾宮は(右)八王子宮ともいい、大山咋神の荒魂を祀り、三宮宮(左)は鴨玉依姫神の荒魂を祀る。両宮の間に屹立する巨石で、神の降り立つ磐座と考えられる。古くより「朝日に輝く金大巌」とよばれ、崇められております



比叡の山すそに、琵琶湖を望んで建つ日吉大社。西本宮、、東本宮を中心にして数多くの社殿が鎮座。古くより山王信仰の総本山として栄え、神仏混合の一大宗教世界が築かれていた。境内は八王子山を含む十三万坪で、国宝二棟、重要文化財一七棟を有す。かつては坂本の町々までもが神々の一大拠点であった。まさに千古の歴史遺産、坂本の町並みは深い重い宗教的雰囲気が残されています。


西本宮
ご祭神、大己貴神は天智天皇の大津京遷都にあたり三輪山(大神神社)より御神霊をお迎えして、大津京の国家鎮護の神として祀られた。


東本宮
大山咋神は山を支配する神であり、奥宮のあるご神体山を中心としてきわめて原始的な古代祭祀を司っていた神代の昔から比叡山に鎮座する地主神です。


山王鳥居

ふつうの明神鳥居の上に合掌組みと束がついた日吉社独特の鳥居。神道と仏教が結びついて生まれた。山王神道の教義を形に表したものといわれる。



1571年、信長により日吉社の社殿も坂本の街も焼き尽くされた。結界を越えて、八王子山へ逃げ延びようとした住民を信長の軍勢は老若男女問わず全員斬り殺し、その人々の血で大宮川や足洗川が真っ赤に染まったと伝えられている。その後領地は明智光秀に与えられ坂本城を築いたのは有名な話。光秀の死後、妻子ともども天守閣に火を放ち落城。夕刻、境内を流れる美しい大宮川を見てるとなぁんか因縁めいた話を想い出す・・・・。景山春樹さんの書かれた「神体山」に日吉社の神体山信仰について詳細に書かれている。神社の奥に山があるというより、山の中に神社がある・・・。清浄な気に満たされたご神苑であります。


神の坐す山 伊吹山

2007-10-08 20:10:01 | 近畿の山
 滋賀県と岐阜県の県境に位置する標高1377m(滋賀県の最高峰)高山植物には伊吹山固有の種類も多い貴重な大自然の宝庫で日本100名山の一つです。歴史的にも古くは古事記や日本書紀にも登場し、中でもヤマトタケルの伝説は有名です。


山頂のヤマトタケルさん、なぜか年寄り風味


ドライブウェーを利用すれば2~30分で山頂に達し、誰でも簡単にお花畑や琵琶湖に沈む夕日が眺められます。 頂上にはヤマトタケルの銅像が祀られていますが、ヤマトタケルは伊吹山の神を平定しようとして、大きな痛手を被り命からがら逃げ大和を目指して帰る途中力尽きたはずでは・・・。 


二の宮にある磐座 (古代祭祀遺跡で「しゃくじの森」とよばれている)


6人乗りゴンドラに乗れば、3合目まで8分ほどで到着しますが ぜひ麓の三ノ宮から歩いて下さい。 2合目あたりは小高野とも呼ばれ 白山神社の前には二ノ宮の磐座「しゃくじの森」が鎮座、しゃくじとは石神であって、伊吹山信仰が原始的な祭祀の場として存在したことに拠ります。以後、仏教信仰の霊地として栄えた霊地と言えども いずこも同じ・・・。冬季のスキーゲレンデでは色とりどりのパラグライダーが宙を舞っておりました。 



「いぶきすさぶる神の山」と古代人が伊吹山を信仰した大きな理由は朝夕 麓から崇める山の形によるところが大きかったのでしょう。近づくにつれ圧倒される存在感はよそ者の私でも崇敬の念を持たずにはいられません。ご神体山の事を調べているうちに、伊吹山がとても気になるようになりました。山頂からの眺めより麓からの景観がずっと素晴らしい。山は誰彼と安易に登頂するものではなく麓から眺めるものだと実感します


近づくにつれ圧倒される霊峰

 残念なのは 西方斜面の大阪セメント採掘による更なる山容の崩壊!!! 滋賀県が行なった企業誘致の第一号で、最盛期には500人を越える作業員が働いていて地元の景気を活性化、セメントさまさまだったらしい。 山から麓の工場まで引いた長大なパイプラインの生々しい形跡が今も残っている。現在中国からの輸入品に対抗できずに 4~5年前からほぼ廃業しているにも関わらず、掘削権は返却せずに温存しているらしい。


痛ましい現状・・・。


「円空の十一面観音座像」
修験の道に入った円空が身を寄せた太平寺、この崩壊地の中腹にあった大平寺も滅び 最後に残ったも崩壊の危機により 鉱区に買収され昭和三十九年麓に 集団移村を余儀なくされた。 現在大平地区の由緒を伝える違宝として地元民に守られているのが「円空の十一面観音座像」 像高2m弱の桜一本造り、円空58歳という晩年の大作で 今なお地元保存会によって守られています。




誰でも見せて頂けます。一見の価値は大いにあり

伊吹山の原始信仰は幅広く奥が深いのでどうやら何度も通うようになりそうです



伊勢神宮と朝熊山

2007-09-26 17:31:15 | 近畿の山
伊勢神宮でのご参拝は外宮・内宮の後、伊雑宮にご参拝する事が多い。その後朝熊山に足を延ばすのだが、いつも軟弱に伊勢志摩スカイラインを利用する。 古来よりの登山道は朝熊岳道、宇治岳道、丸山道が有名ですが他にも10箇所を下らないらしい。 



朝熊山は標高555mの北峰と約540mの南峰(経ヶ峯)のほかにいくつかの山頂があり志摩半島の最高峰で伊勢志摩を代表する霊山として知られています。展望は周囲にひらけていて神島・答志島など鳥羽市の離島、伊勢湾対岸に渥美半島のほか、天気がよければ富士山を見ることができるとか。



もう一つの顔は 神宮奥の院として伊勢神宮の鬼門を守る寺として栄えた 朝熊岳金剛證寺 です。  古くから山岳信仰の対象となり、825年 空海が真言密教道場として南峯東腹に金剛證寺を建立したと伝えられており、室町時代には伊勢信仰と結びつき、「伊勢へ参らば朝熊を駆けよ、朝熊駆けねば片参り」とされ、隆盛を極めた。 400年ぶりに一般公開された国の重要文化財 本堂内陣は、御本尊の福威智満虚空蔵菩薩の真後ろに、天照大神をお祀りし神仏習合の思想を表しています。

一時は高野山とともに三大霊場と言われ この地方では宗派を問わず 葬儀ののちに朝熊山に登り、金剛證寺奥の院に塔婆を立て供養する岳参りという風習があり、約1万柱の卒塔婆が建立されている様子は他では見られない景観で圧倒されます。



山岳信仰・霊山など 何のその・・・。大正時代はケーブルカー、昭和に入るとスカイライン、ご多分に漏れず、山の頂上にはアンテナ立てまくり、なぜか展望足湯などという設備まである。それでも人出は少ないのだろう。設備はひなびてレストランに至っては閉館している。これで良い、ご神体山と言えども個人や企業所有では観光開発を止められないので 山から霊魂は逃げ出すことになるが、再び 静かになるとまた元のお姿に戻るかもしれない。


高野山と丹生都比売神社

2007-08-15 14:16:19 | 近畿の山
816年、弘法大師空海によって開創された高野山、真言密教の根本道場という性格を維持しながら、庶民の弘法大師信仰を中心として、心の安らぎと人間が目指す未来的思考を誘う 宗教宗派を超えた憧れの霊場。 伊勢神宮と並び称される まぎれもない日本の神仏2大聖地。 

最近は年に5~6回参拝しているので、ちょっとした高野山フリークの感もある。
山上台地は壇上と呼ばれる真言密教の世界感を表した空海の世界と奥の院を中心とした弘法大師の世界に分かれているが もともとの高野山には丹生川水源としての水神信仰があり、壇上の一角には高野山という神領を司る丹生明神と地主神である高野明神も祀られている。

お墓参りと奥の院参拝のあと 高野山霊宝館で開設されている「信仰マンダラの世界高野山、神仏への祈り」展を鑑賞 (9月9日まで) 国宝・重要文化財の絵画や彫刻などそんじょそこらで行なわれている展示とはレベルが違う。必見の価値有りです。 有名な孔雀明王坐像が見当たらなかったので係りの人に尋ねたら 国宝や重文は貸し出す事も義務づけられているらしく、今年中の展示予定はありません・・・とか。  印象に残ったのは 平安時代製作の十一面観音立像です。


朱塗りの太鼓橋・鳥居

帰路、紀伊の国一の宮 丹生都比売神社にお参りした。通称天野神社と呼ばれる この神社は高野山の地主神を祀るとされていて「 丹生明神が空海に土地を譲った 」という高野山縁起の伝説もあり、高野山のみに参詣すると「片参り」になるとされている。 静かで荘厳な神社が鎮座する一帯の かつらぎ町はホタルの里としても知られ、全国一の柿の生産量を誇る。



高野山へ入山する空海を黒、白2匹の犬を連れて道案内したと伝えられる狩場明神が矢の根を研いだとされる石の碑は、移築され、集落の道路脇に再建されている。

京奈和道路が高野口まで開通、交通アクセスは日増しに改善され、奈良市内の自宅からだと 30分以上時間短縮されるようになった。(所要2時間強)  三輪山と高野山にお参りするのは自分の中で癖になっていて、歩き慣れた道を 一人で歩いていると常に新しい発見がある。

今が一番幸せと 感じさせてくれる瞬間 


岩間寺と岩間山

2007-07-27 22:43:55 | 近畿の山
「岩間寺に行ってみなさいよ。私が白山に関心を持ったのもそこなんです」 北国新聞社が発行している  「 霊峰 白山 」の中に 哲学者 梅原猛氏の考察として、日本における神仏習合は白山信仰にその源流を見出す との記述がある。  梅原氏に促されて、岩間山に行ってきました・

岩間寺は滋賀県と京都府の県境に位置する。京滋バイパス瀬田インターからほど近く、奈良から1時間弱。 標高445Mのほぼ 山頂直下までバスも通行可能な舗装道路があり、駐車場で入山志納金として300円徴収している。  歩き出すとすぐ関係者以外通行止めと書かれたNTTドコモ岩間無線中継所の専用道路があり、なにやら悪い予感。



1280年前、白山の開山者 泰澄さんが、岩間山に登り、カツラの木の根元で休んでいると、その木から、千手陀羅尼経が聞こえてきた。 よし!ここを聖地だ と決め、 養老6年(722)第44代女帝元正天皇の勅命で建立したとされている。その 日本最大級のカツラ群生地は沢沿いに降りた場所に今でも存在しているが、特別整備されているようでもない。ご住職さんに聞いてみたら、「 あまりいく人いないですよ・・・。」 (ノд-。)   往時は 熊野、吉野と共に日本三大霊場として隆盛を極めた岩間寺だが 現在は 西国33ヵ所参りの12番札所として、またぼけ封じ観音さまとして賑わっている。 別名雷除け観音様と言う名の通り、一帯は雷の多い地域だが、泰澄さんの法力で雷害を封じ込めている。 ピーカンの今日も 本堂手前でいきなり雷雨、龍神さまが出迎えてくれたんだと思った。 白姫龍神さまは女性が拝むと綺麗になるらしい。
 


梅原氏はこの寺の何処に神仏習合の源流を見出したのか? 

山にしか興味を持たない私は・・・。本堂で岩間山頂上の場所を尋ねた、奥宮神社あたりの展望台だろうと教えて頂いたので、車で奥宮神社方面に向かった。 一車線のかなり勾配のキツイ車道を5分ほどで 着いた奥宮神社は昭和46年建立と、新しい。  標高400メートル越の山頂は笠取山脈に属し、通称塔の峯と言い、ご神域に立てば 遠くに琵琶湖を望み、足元に瀬田の清流と眺望佳境の地・・・・。と書いた碑が立っている。 (本堂から続く散策路もある)



気になったのはドコモアンテナ基地。 ご神域より高いこのざまはなんなんだ!